第3話 青い勧誘
俺が白の派閥に入ったという情報は瞬く間に広まった。
想定外の展開になったが、広まってしまったものは仕方ない。どうせ誰かに勧誘されたら断るために言うつもりだったわけだしな。ここは手間が省けたとポジティブ思考でいくとしよう。
さて、何事かを訴えるような視線を向けてきた赤澤だったが――
その後のアクションはなかった。
何事もなくて嬉しいような、しかしこの静けさが恐ろしいような不思議な気分だ。あいつの思考など推理できないので、ひとまずは放っておこう。
時刻は昼休み。
俺は真広とくだらないお喋りをしながら昼飯を食った。いつもなら母が作ってくれるお弁当だが、今日は紫音が作ってくれた。これがまた美味しかった。
そして、昼休みも終わろうとした頃。
「や、やあ、虹谷じゃないかっ!」
青山が教室にやってきた。
ちょうど真広がトイレに行くと言って教室から出た直後のことだった。まるで俺が一人になるのを狙ったかのようなタイミングだ。
「奇遇だねっ」
「いやいや、教室に入ってきて奇遇も何もないだろ」
「そ、そっかな」
「つうか、顔色めちゃくちゃ悪いぞ。何かあったのか?」
青山の顔はこれまで見たことがないくらい真っ青だった。
「色々あったんだ!」
「体調が悪いなら帰ったほうがいいぞ」
「大丈夫だよ。むしろここで帰ったほうが悪化すると思うし。用件を済ませるまでは絶対に帰らないからね」
何だそりゃ。
青山はその場で深呼吸してから、周囲を見回した。女神の一角である青山の登場にクラスは少しだけざわめいたが、俺や真広と一緒にゲームしていることは知られているので大騒ぎにはならなかった。
呼吸を整えた青山はおもむろに口を開いた。
「虹谷が白瀬を支持するみたいな話を聞いたんだけど、あれってホント?」
「ああ、そのことか」
青山の耳にも入っていたのか。俺の注目度は自分で思っていたよりも高かったらしいな。
「本当だぞ」
ポケットから白いハンカチを取り出すと、青山の顔色が余計に悪くなった。
「ど、どうして!?」
「どうしてと言われても」
まずい。そういえば白の派閥に所属する理由を考えていなかった。
白いハンカチを見せれば某時代劇の印籠を見せた時のように全員納得してくれると思っていたが、考えが浅かったらしい。
『他の女神からの勧誘を振り切るため』
などと真実を語るのは悪手だ。そうなったら女神と正面からケンカを売ることになるだろう。ここまではそれなりに良い関係を築いてきたつもりだ。いきなりこの発言はおかしい。それがきっかけになり、俺が無川翔太だとバレる可能性だってゼロじゃない。
別の言い訳が必要だ。
『白瀬がとびっきり可愛いから』
これも悪手だ。悪手でしかない。
後々面倒な事態になると容易に想像できる。その場しのぎで口から出すにはリスクが高すぎる。
そもそもコンテストで白瀬に投票するわけでもないしな。この発言をして、コンテストで紫音に投票したら変な空気になりそうだ。
返答に迷っていると、青山は痺れを切らしたらしく。
「ねえ、ボクと虹谷ってゲーム仲間だよね?」
「まあな」
仲間という単語に一瞬だけ引っかかったが、大会にも参加しているのでゲーム仲間で合っている。
「名塚はボクのことを支持してくれてるんだよね?」
「う、うむ」
真広は前々から青の派閥だ。昔からの憧れとか言っていたし、相当な出来事がない限り変わらないだろうな。
この件については何度かゲームを通して触れている。青山は少し照れながらも、推されていると言われて嬉しそうだった。
「――で、どうして虹谷は白瀬なの?」
その発言を聞いて俺はようやく青山が来訪した意図を理解した。
こいつは自分の支持をしろと言いにきたのだ。
白瀬の勘は当たっていたようだ。でもって、俺が白の派閥に入ると知ったから焦って勧誘にきたわけか。こうなると先手を打って正解だったかもな。
予想よりずっと早くこの状況になったが、対応は決まっている。
「言いたいことはわかった。けど、俺はこのまま白瀬を支持させてもらうぜ」
「っ、だから何で!?」
「それはまあ、アレだよ」
「アレって?」
俺は目を泳がせながら。
「……色々あったんだよ」
上手い言い訳が咄嗟に出なかったので便利な言葉を使った。
「理由は言えないんだね。もしかして、あいつに脅されてるとかじゃないよね?」
「へっ?」
「虹谷があいつを支持するとかありえない。絶対ありえない。それなのにあいつを支持するなんて他に考えられないよ」
絶対ありえないは言い過ぎだろ。
いやまあ、別に言い過ぎでもないか。俺自身、夏休みに入るまではこんな状況になるなんて想像もしていなかったからな。
「勘違いしてるみたいだけど、脅されてるわけじゃないぞ」
「……ホントに?」
「ホントだ」
俺は力強く頷いたが、青山はまだ疑問があるようだった。
「……信じていいのかな。でも、あの白瀬真雪だからな。巧妙に脅して虹谷から言論の自由を奪い取ってるのかも」
独り言のつもりだろうが、こっちにダダ洩れだ。しかし白瀬の信頼のなさがえげつない。
「ホントに脅されてないの?」
「違う」
「だったら余計にわからないよ。だってあいつ、めちゃくちゃ性格悪いよ。浮気とかするタイプだよ。というか、絶対浮気女だよ!」
どういう理屈だよ。まるで過去に浮気したことがあったような発言だな。
俺としては心当たりがあるような――ないような。俺にトドメを刺した時のあれは相手が八雲君だったから、実は浮気でも何でもなかったし。
というか、こいつ白瀬とは仲直りしたはずだろ?
妙に攻撃的じゃないか。
白瀬の性格の悪さについては否定できないけど、俺からすれば他の女神だって大差ないぞ。それどころか上回っているまであるくらいだ。
困惑していると、青山は何かに気付いたように「あっ」と小さく漏らした。
「勘違いしてるとかないよね」
「勘違いって?」
「天華コンテストの話なら誰に投票してもいいんだよ。今の女神にこだわる必要とかもないし。ほら、紫音ちゃんとかに票を入れてもいいんだよ」
「……」
あれ、さっきから様子がおかしいな。
俺を青の派閥に勧誘するつもりじゃないのか?
この口ぶりだと、俺が女神の派閥に入るのを嫌がっているみたいな印象を受ける。というか、そうとしか思えない。
……まあいいか。
何を言われても心はもう決めている。
「悪いな。俺の意思は変わらない」
「っ」
「じゃあ、この話はこれで終わりってことで――」
「わかった!」
強引に会話を切ろうとしたら、青山が言葉を被せてきた。
「虹谷の気持ちはわかった。でも、それでも言わせてもらうよ。あいつを選ぶくらいなら、ボクを支持してほしい!」
突然、青山は声を張った。その顔はさっきまでと違い決意に満ちていた。
「ボクのほうが良いとは言えない。けど、あいつには負けたくない!」
「え、えっと――」
「それとも、ボクじゃダメなの?」
予定と全然違うじゃねえか。白いハンカチを見せても一切引かないぞ。
青山がダメな理由が浮かばない。そりゃそうだ。だって俺は別に白瀬を本気で支持しているわけじゃないから。
どうする?
ここは教室の中で、この会話に耳を傾けているクラスメイトも存在する。拒絶の言葉など放ったら状況は悪化する。
捻り出せ。この状況を穏便に収める言葉を。
「あ、青山の魅力が白瀬を上回ったら前向きに考えるかな」
「……ホント!?」
「おっ、おうよ」
「勉強は苦手だけど、運動なら自信あるんだ。ボクの見せ場は再来週の体育祭だから、そこで虹谷の考えを変えさせてみせるから。約束だよ!」
そう言うと青山は駆けるように教室から飛び出していった。教室に入ってきた時と比べたら別人かと思うほど顔色が違った。
「……」
変な展開になったが、選択肢は間違っていないはずだ。
やり取りを終えた俺は息を吐いた。
その時、廊下からジッと俺を見ている人物がいることに気付いた。それは、真っ暗な瞳の黒峰月夜だった。




