閑話 白色の衝撃
「激動の夏休みでしたわね」
今年の夏休みは人生の転機となりました。
夏休み初日と同じように、とある家を見つめます。ただし、その視線に込められた感情はあの時とはまるで違うものです。
わたくしは大きく息を吐き、夏休みに起こった衝撃的な出来事を振り返ります。
まず、動きがあったのは夏休み序盤でした。
その日、ショッピングモールで買い物をしていると見知った顔を発見しました。その兄妹は非常に目立っていました。
――虹谷兄妹。
仲睦まじく買い物する姿は高校生カップルにしか見えません。目立っていたのはどちらも容姿が整っていたからです。美男美女というのは注目を集めるものですが、当の本人達は視線に気付いていない様子でした。
今でこそ義理の兄妹と知っていますが、あの時はその事実を知りませんでした。
特に話しかけることはせず、自分の買い物を続けました。
しかし、次に見かけると状況が変わっていました。
紫音さんが黒峰さんと楽しそうにお喋りをしていました。あの無愛想な黒峰さんが楽しそうに喋れる相手はあまりいないので貴重な光景です。虹谷さんはその近くにいて、二人を微妙な表情で眺めていました。
わたくしはある考えを持って近づきました。
『――あら、奇遇ですわね』
声を掛けると虹谷さんは戸惑っていました。
わたくしと会うのが嫌という感じの反応でした。これまでの人生であまりなかった反応なので新鮮でした。もっとも、今となっては当然の反応と理解できますが。
そこでプールに行こうと提案しました。
目的は虹谷さんと黒峰さんをくっ付けるためです。
ですが、八雲が登場したことでわたくしの予定は大幅に狂いました。想定外の事態に自分の顔が凍りついたのがわかりました。
「……あれは完全に墓穴を掘りましたわね」
結局、八雲を加えた面々でプールに行くことになりました。プール自体はとても楽しかったのですが、プールイベントのせいで八雲と紫音さんの関係が進展してしまいました。
それ以降、わたくしはすっきりしない日々を過ごしました。
お父様から呼び出されて言い争いをしたり、慣れない一人暮らしに寂しくなって泣き出してしまったり、料理をしようとして失敗したり、どうにも落ち着かない日々を過ごしました。
状況が動いたのは夏休み中盤のことです。
八雲がクラスの面々と夏祭りに行くというのです。その中には当然、紫音さんもいました。
夏祭りに行かないでほしい、などとは言えませんでした。上級生であるわたくしが付いていくのもおかしな話なので一緒に行こうとも言えません。わたくしに出来たのは笑顔で「行ってらっしゃい」を言うことだけでした。
退屈でつまらない夏休み。
例年と変わらない夏休み。
このまま何事もなく終わると思っていた夏休み終盤。
衝撃的な事件が発生しました。
八雲が紫音さんとデートすることになったのです。服のチェックをしてくれと自撮りした画像を送ってきた時は驚きのあまりスマホを落としてしまいました。
プールと夏祭りで関係が深まったので、その可能性はあると思っていました。思っていましたが、いざその状況になるとショックは大きいものでした。
冷静さを失ったわたくしは虹谷さんのところに突撃しました。今になって考えれば謎の行動ですが、兄であるあの人に文句を言いたかったのでしょう。
そこで更なる衝撃がわたくしを襲いました。
『まさか……翔太さん』
虹谷さんが、あの無川翔太さんだと判明したのです。
全然気付きませんでした。外見も違うし、出会った頃のような陰気な雰囲気が一切ありませんでした。あれで気付けというのは無理があります。完全に別人でした。
彼の存在は胸に刺さったトゲのようにずっと残っていました。
わたくしは素直に過去の行いを謝罪しました。当時の彼の精神状態を知らなかったとはいえ、あの行いは反省すべきものでした。
正直、許されるとは思っていませんでした。
『わかった。謝罪を受け入れるよ』
翔太さんはあっさりと許してくれました。
いいえ、実際にはあっさりではありませんね。紫音さんのために仕方なくだったのでしょう。本当は罵倒したり、殴りたいと思っていたのかもしれません。
妹のために憎いはずのわたくしを許す。
本来ならば許しがたいはずのに、紫音さんのために理不尽を受け入れるその姿はとても眩しく、とても格好よく映りました。
「……本当に妹思いの素敵なお兄様ですわね。ダメ姉のわたくしとは大違い」
わたくしの気持ちが入れ替わったのはあの時でした。
素敵な兄である翔太さんに尊敬の念を抱きました。無論、過去の行いを謝罪をしたいという気持ちもありました。二つの気持ちが絡まり、絶対に翔太さんの生活を守ろうと強く決意しました。
問題となるのは女神達の存在です。
これは当然ですね。あの方々は天敵ですから。
しかし、あれだけの変化です。女神達は誰も正体に気付いていないでしょう。もし気付いているのなら何かしらのアクションがあるはずです。それが一切ないので今のところは気付いていないはずです。
ただ、今後無関係でいることは難しいと思いました。
何故なら女神達は明らかに翔太さんを意識していたからです。残念ながらその感情が恋愛感情なのか、あるいは別のものか判断できるほどの人生経験はありません。
ですから、彼女達から直接聞いてみることにしました。
料理対決を企画して、聞き出したのですが――
「あれも衝撃でしたわね。予想していたとはいえ、予想以上でしたわ」
驚くべきことに彼女達は無川翔太という男性の存在を抹消していたのです。
信じられません。彼の親友であった犬山蓮司さんが激怒したあの表情を忘れたというのでしょうか。本当に薄情な方々です。
心の底から軽蔑しますわ。
軽蔑はしますが、彼女達が学園の人気者なのもまた事実です。下手に敵対すると面倒なことになります。翔太さんの平和な生活を守るためにも仲良くしておいたほうがいいでしょう。
正直、彼女達の行動が読めませんからね。
最悪なことに今の翔太さんに対しては全員が高評価でした。もし【無川翔太=虹谷翔太】と知られたらどんな行動に移すか想像もできません。
わたくしは彼女達との関係修復を目指しました。
そもそも、どうして彼女達はわたくしを敵視するのでしょうか。その答えはずっと知りたかったのです。
ちなみに、わたくしがあの方々と相容れなかったのは八雲に何かするかもしれないと思ったからです。
一人ずつ事情を聞くと、原因は翔太さん関連ではありませんでした。
赤澤さんは女神という称号が気に入ったらしいです。その座にこだわったからこそ、わたくしに強く当たった様子でした。
黒峰さんは特に理由がありませんでした。何となくわたくしが気に入らない様子でしたが、粘ったら折れてくれました。
青山さんは「何となく」と答えました。少しばかり動揺した感じ様子でしたが、本人が言うのならそうなのでしょう。
無事に女神との関係は修復できました。
しかし、彼女達が今の翔太さんに好意を抱いているので今後も接触を図るでしょう。そこで翔太さんにわたくしを支持する派閥に入って欲しいと願いました。わたくしを支持すると表明すれば、彼女達も強引には来れないはずです。
もしそれでも強引に来たら?
そうなったら毅然とした対応をしましょう。
衝撃だらけの夏休みでしたけど、これで終わりませんでした。
最後の最後に特大の衝撃が待っていました。
『誕生日って聞いたからな。その、プレゼントだ。誕生日おめでとう』
料理対決の帰り際、少し照れながら渡してくれた袋の中身は可愛らしいポーチでした。
「……初めて八雲以外の男子からプレゼントを貰いましたわ」
頭が真っ白になりました。
あの時の気持ちは何と言えばいいのでしょうか。
あれだけのことをしておいて誕生日プレゼントを貰うなど申し訳ない気持ちになりましたが、それ以上に喜びのほうが強かったのです。わたくしの誕生日を覚えていてくれて、おまけにプレゼントを渡してくれた気遣いに心がときめきました。
あれからわたくしは毎日そのポーチを眺めています。
「……本当にわたくしを支持してくれてもいいのですけれどね」
二学期が楽しみになってきました。




