第25話 黒と白と虹色のクローゼット
二人がいなくなってからしばしの時間が経過した。
様々な意味でショックを受けていた俺だったが、現実を受け止めてようやく立ち直った。先ほどの話を聞いた感想は多々あるが、ひとまずクローゼットの中から出てからにしよう。
手を伸ばしかけた時、不意に部屋の扉が開いた。
赤澤だった。今度は一人だ。
そろりと部屋の中に入ってくると、静かに扉を閉めた。それから音を立てないように歩いてベッドの前に到着した。不審者というか泥棒みたいな動きだった。
学園のアイドル様は俺のベッドの前できょろきょろ辺りを見回した後。
――ポフン。
ベッドにダイブした。
布団にくるまり、ごろごろとベッドの上を転がる。続いて枕に顔を埋め、足をばたばたさせた。更には枕を抱きしめ、まるで頭を撫でるかのような動作をする。
ちらりと見えた顔は恍惚としてい。その行動とだらしない顔はアイドルではなく、単なる危ない人であった。
「……」
この光景をどんなモチベーションで見りゃいいんだよ。
かつての幼馴染であり、初恋の相手であり、学園のアイドルであり、俺に最も酷い仕打ちをした女が俺のベッドの上で転がっている。布団と枕に自分の匂いをこすりつけるようにしていたことも付け加えておこう。
普通の男子なら美少女に惚れられていると喜ぶべき場面だろう。
残念ながらそうもいかない。
なにせこいつは昔の俺を存在抹消レベルに嫌悪しているのだ。過去の事情とか、現在の状況とか、諸々な感情も相まってその光景を見つめていると複雑な心境になった。喜怒哀楽のどれにも当てはまらない無の表情になってしまうのも理解してほしい。
そんなこんなで時間は流れる。
ふと、赤澤は何かを思い出したように涙を流し始めた。
……どうしたんだ?
声を出していないので理由はさっぱりわからない。唐突に涙を流した赤澤はしばらくベッドの上でぐずり、俺愛用の枕を愛おしそうに抱きしめる。
数分して涙が止まると、名残惜しそうに部屋から出ていった。
「……」
今の光景と行動についても言いたいことはあるが、まあいいだろう。
精神が落ち着くのを待ってから、クローゼットを開け――
丁度そのタイミングでノック音が響いた。いきなりの出来事にビックリした俺は再びクローゼットの中に戻った。
◇
前回と同じように部屋の前で許可云々の言葉を述べた後、白瀬が入ってきた。その後ろから付いてきたのは黒峰だった。
どうやらまだ俺が出かけていると考えているらしい。だとしたらノコノコ出ていくわけにはいかない。
「……ここが虹谷の部屋」
こいつまで部屋の中に入ってくるとはな。
黒峰が俺の部屋に入り、白瀬の対面に腰かけた。
座った黒峰は先ほどの赤澤と同じく室内を見回している。黒峰は見た目こそクールで男など興味ないって感じだが、実際には男慣れをしていないだけだ。同級生の部屋に対して
「……で、話ってのは」
「無川翔太さんについてです。覚えていますよね?」
また初手にその質問か。
白瀬としても赤澤の返答が衝撃的だったのだろう。聞きたくなる気持ちもわかる。俺も聞いてほしいと思っていたところだ。
黒峰は初恋の幼馴染に失恋したという同じ傷を持つ仲間だった。
あの図書室での日々を忘れはしないだろう。あの時の黒峰は友達も少なかったし、俺との関係は重要視していたはずだ。
黒峰はしばらく考えた後で。
「……誰それ」
おまえもか。
「黒峰さんを助けてくれた人という話でしたが?」
「……」
「あ、あの」
「…………」
「そっ、そうですか」
こいつも記憶抹消レベルであることが確定した。
二人目ともなればショックは多少緩和されたが、それでもショックだった。
「で、では、虹谷さんのことはどう思いますか?」
「どうって?」
「一緒にプールに行ったじゃありませんか。普段の黒峰さんなら断っているのに一緒に来たということは、虹谷さんに好意があるのではないかと考えました。いかがでしょうか?」
ショックを受けながらも話に耳を傾ける。
「いい感じかな」
おっ?
「あいつはいい奴だよ。外見は爽やかで清潔感あるし、一緒に居ても居心地悪くないし、他の男子と違ってやらしい視線じゃないんだよね。喋ってて楽しいし、お節介で優しいところも嫌いじゃないかな。こっちの気持ちを理解してくれるっていうのかな。だから全体的にいい感じ」
べた褒めだった。
「好き、ということでよろしいですか?」
「はぁ!?」
「嫌いなんですの?」
「べ、別に嫌いじゃないし!」
「好きか嫌いかで言えば?」
「そりゃまあ、好きなほうだけど」
なんてこったい。
黒峰は顔を染めながらそう言った。
あれが恋愛感情なのか定かではないが、あの男嫌いの黒峰から好印象を持たれているのは事実のようだ。白瀬の話を冗談半分に聞いていたので意外だった。
……というか、以前の俺とこんなに評価が違う理由は何なんだ。
外見が変化してるのはその通りだが、自分で思っていないだけで俺って奴は内面もかなり変化していたのだろうか。
わからん。全然わからんぞ。
ここまで評価が爆上がりの理由が謎すぎる。黒峰との接点は学園以外にもバイト先が同じってのはあるが、学園での接点はクラスが違うので薄い。お節介で優しいとか言ってるし、噂を払拭した件が響いているんだろうか。
「てかさ、急にこんな話してきたけど何なわけ?」
黒峰が若干気分の悪そうな声色になった。
「先ほども言ったように親睦を深めるのが狙いですわ」
「親睦ね」
「折角の機会なので色々と聞かせていただこうかと」
「……あっそ。まっ、キッチンが空くまでヒマだからいいけど」
黒峰が大人しく話し合いに応じたのはキッチンが占領されているからだったのか。
それから白瀬はいくつか質問した。世間話を織り交ぜつつ会話を繋げようとするが、黒峰の反応は乏しい。
「わたくしに対して急にケンカ腰になった理由を教えてください」
もう一つの本題というべき質問をぶつけた。
「また急に」
「どうしても気になったんです。わたくしが怒らせることをしたのならこの機会に謝罪させてもらおうかと」
「必要ない」
「では、どうしてでしょうか?」
「それは――」
それは?
「特に理由はない」
何だそりゃ。
黒峰は何事かを言いかけてやめた感じがした。それが何なのか俺にはわからない。
「では、女神の関係が急に悪化した理由はご存じありませんか?」
「さあね」
「ならばわたくし達の間に確執はないということですね。では、友達になりましょう。黒峰さんとは一緒にプールに行った仲ですし、仲良くなれる気がするんです」
「……嫌」
「何故ですか?」
「……」
「わたくしに気に入らないところがあるならば改善いたします。黒峰さんと仲良くしたいんです。お願いします」
自分で理由がないと言ったばかりの黒峰だ。
しばし考えた後で観念したように。
「……わかった。負けたよ」
「では、仲直りの握手をしましょう」
こうして白瀬は黒峰とも和解した。
白瀬が順調なのはいいが、俺の心は晴れない。
いや、好意を寄せられているのは素直にうれしいんだよ。だけど昔の俺が存在抹消レベルで嫌われている事実は見逃せない。
存在抹消っていうか、単純に忘れたとか?
その線はさすがに無理があるだろうな。赤澤に関しては幼馴染だからその線はありえないし、黒峰の記憶力があればあの日々を忘れるとかありえないはずだ。
こうなってくるとますます正体バレが怖い。反転アンチ云々の話は笑い話だと思っていたが、あながち冗談ではないのかもしれない。俺の正体がバレたら恐ろしい事態が待っている気がしてならない。発狂して逆ギレするルートは十分ありえる。
でも、逆に受け入れられる的な展開はないだろうか?
リスクが高すぎるな。
結局、二人が出ていくまで俺は思考の海を平泳ぎするのであった。




