第6話 赤い回想
俺の初恋は小学生の時だった。
相手は幼馴染の赤澤夕陽。
出会いはもう覚えていない。家が近所で、親同士が友達というよくある関係だ。同じ病院で生まれ、当たり前のように同じ幼稚園に通っていた。
恋愛感情を抱いた明確なきっかけはない。いつも見ていた彼女の顔が家の中でもちらつくようになり、次第に頭から離れなくなっていた。最初は単なる違和感だったが、後にそれが恋愛感情だったことに気付いた。
小学生の高学年になる頃には完全に恋を自覚していた。
あいつのすべてが可愛く見えていた。
ちょこちょこと後ろを付いてくる姿にキュンとした。マンガを見ているときに表情がコロコロ変化する姿にキュンとした。母の口調をマネて俺を叱る姿にキュンとした。宿題のプリントに頭を抱えていると先生面して教えてくれた姿にキュンとした。
「勉強教えてくれてありがとな、夕陽」
「えへへ、どういたしまして。翔ちゃん」
照れた顔が本当に可愛くてキュンとした。
一番好きだったのは笑った顔だ。大輪のひまわりが咲いたような錯覚に陥る素敵な笑顔は心まで温かくしてくれた。
俺以外にその顔は見せなかった。それはあいつが大きな悩みを抱えていたからだ。
彼女は生まれつき赤い髪をしていた。子供というのは残酷で、自分と違うものに注目する傾向がある。そこに悪意があろうとなかろうと。
「どうして髪が赤いの?」
「染めてるの?」
「夕陽ちゃんって不良?」
興味本位の質問ではあったが、赤澤は元々内気な性格だったので悪意のない質問にもじもじと俯いてしまう癖があった。
困った彼女はきょろきょろと視線を泳がせ、俺を見つけると近づいてくる。袖をぎゅっと引っ張って説明してほしいと懇願する上目遣いをする。
「違うぞ、夕陽は地毛なんだ!」
頼られていつも彼等に説明する。幼い頃から知っている俺が言うんだから間違いない、と皆は納得してくれる。
「ありがとね、翔ちゃん」
「気にするなよ。夕陽は悪くないんだ。堂々としてろ」
「う、うん」
「夕陽は可愛いんだからアイドルみたいにいつも笑顔でいればいいんだ。そうすればみんな友達になってくれるはずだ」
当時の俺にとってあいつがなによりも大事で守ってあげたい存在だった。自分が守っているという実感があって気持ち良かったのかもしれない。
感謝されるのがうれしくて世話を焼くようになった。
友人からはお節介と言われながらも、赤澤が髪の色でいじられないように先に手を回したりした。
両想いだった、と思う。
あの当時はそういった事柄に機敏ではなかったが、冷静になれば彼女は俺にべったりだった。もっとも、それが恋愛感情だったのか兄や弟に向けるような感情だったのか定かではないが。
俺を通じて赤澤も友達を増やしていった。友達と遊ぶことによって内気だった性格が徐々に変化していき、気付けばクラスの中でも中心になっていた。
いつまでもその関係が続くと思っていた。
だが、その関係は程なくして崩れた。
中学生になると思春期に突入した。あちこちで恋バナをするようになり、少しでも近づく男女がいればあっという間に噂になる。
中学生になって台頭してきたのが俺にとってもう一人の幼馴染であり、大親友でもある犬山蓮司だ。
蓮司はとにかくモテた。容姿端麗にして頭脳明晰。おまけに運動神経抜群となればモテない理由はない。万能な王子様がモテないはずがない。
まさにこの世界の主人公であり、燦然と輝く太陽であった。
対して俺は普通だった。
自分を卑下するわけではない。卑下するのなら自分の評価を更に下げるべきだろう。そう、俺は紛れもなく普通の男だった。
勉強は中の下くらい。運動は得意だったので上の下くらい。自分じゃよくわからないけど顔は中の中くらいだったと思いたい。
中学になるとグループごとに行動することが多くなった。俺は親友でもある蓮司と共にいたことからクラスの中ではそれなりに影響力のある立場にいた。カースト上位グループとでも言えばいいのだろう。蓮司のツテでそういったグループの仲間に所属することができた。
俺はあくまでもおまけ。
すべてにおいて完璧である蓮司の元に女子が集まるのは必然である。
淡い恋心を抱いていた赤澤夕陽の興味も俺から蓮司に移っていくのもまた、ごく自然な流れだったのだろう。
「蓮司君って好きな人いるのかな?」
「さあ、聞いたことないな」
「蓮司君の好きな物ってなにかな?」
「あいつは肉より魚派だ」
「蓮司君って恋人いるのかな?」
「いないな」
いつも聞かされるのは蓮司の話ばかり。
きらきらと瞳を輝かせながら赤澤は蓮司を追うようになっていた。その視界には俺など映っていなかった。
中学生になったばかりの頃はまだ赤澤に恋心を持っていたので、胸を刺すような劣等感に襲われた。
だが、暗い感情が爆発することはなかった。
あいつが嫌な奴なら俺もイライラしていたのだろうが、蓮司はホントにいい男だった。頭も運動神経も良かったが、本当に性格が良かった。
中学では学級委員をこなし、クラスの不和を見つけるとそれとなく仲を取り持っていたりした。また、クラスで孤立していた人間がいると積極的に手を伸ばした。
イケメン、優等生、文武両道、完璧超人。
言葉にして並べると薄っぺらいが、事実だから仕方ない。月日を重ねるごとに輝きが増していったように感じる。
中学二年生になった頃、変化があった。
赤澤が目に見えて俺を貶すようになったのだ。それも蓮司と比較して。
「蓮司君に比べると翔太君ってダメだよね。比較にならないくらい頭悪いし、運動はいい勝負だけど多分負けてるし、顔は完全に負けてるし」
「……そうだな」
勝負する気などなかった。勝てないからではない。赤澤に対して興味が薄れてきたからだ。
そんな感じで適当に返事をしていると、あいつはあらゆる手段を使って俺を貶めてきた。
「隣のクラスに転校生来たんだよ。翔太君と違って可愛い顔してるよ」
「あの先輩イケメンで素敵だよね。翔太君と違って」
「彼氏にするなら頭いい人だよね。翔太君は馬鹿だけど」
とにかく俺を罵倒できれば何でもいいとばかりだった。どうしてここまで嫌われたのか原因を教えてほしいくらいに嫌われていた。呼び方もいつの間にか変わっていた。
それでも親同士が仲良しだったので距離は開けられなかった。俺は母が大好きだった。母を悲しませたくなかった。だから比較されて貶められながらもあいつの側を離れなかった。
……今ならその選択が大間違いだとわかる。
◇
中学二年になってもこれまでと変わらず赤澤と登校を共にしていた。
心境はすっかり変化していた。恋心は消えており、初恋の幼馴染は劣等感を煽ってくる苦手な相手になっていた。
「昨日のカラオケ楽しかったよ。蓮司君ってば超上手いんだよ」
「……さすがだな」
「ホント才能の塊だよね。無川君とは大違いだよ」
無論、俺は誘われていない。
正確には蓮司のほうから声を掛けられてはいる。しかし最近ハマっているゲームに夢中になっていて、そっちで先約があったので断った。
もっとも、用事がなくとも断っていただろうけど。
「もうすぐ期末テストだね」
「……夏だな」
「私は友達と海に行く予定なんだよ。もちろん、蓮司君も一緒だよ。他にも格好いい男子が一杯いるんだよ」
俺と赤澤は所属するグループも異なっていた。そもそも中学生になってから学校で会話する機会がめっきり減り、中学二年になると露骨に俺を避け出した。
さらに、少し前から赤澤は俺のことを名前ではなく苗字で呼び出した。だからこちらも夕陽ではなく赤澤と苗字で呼ぶことにした。何となく距離を取ってほしい、という要望を出された気がしたので空気の読める俺はそれに応じた。
何故かこいつの機嫌が悪くなったけど。
「まあ無川君には関係ないし、誘ってもいないけどね」
「……そうだな」
「あれ、傷ついちゃった?」
「……かもな」
「誘ってほしいなら私にお願いしてみたらどうかな?」
「……別にいい」
赤澤と登校するのは苦痛でしかなかった。
それでも一緒に登校していたのは母に怒られるからだ。幼馴染として何かあったら守ってやれと言われていた。赤澤の両親からもよろしくと言われている。どうやら俺達がまだ仲のいい幼馴染だと考えているらしい。迷惑だから止めてほしいが、否定すると仲直りさせようと動き出す可能性があるので愛想笑いを浮かべておいた。
学校での俺はラノベを愛読していた。
ライトノベルは素晴らしい。マンガのように読みやすいのにマンガ以上に時間を潰せる。おまけに小説なので学校で読んでいても怒られない。
「うわっ、ライトノベルだ。無川君ってオタクなんだね」
「……悪いかよ?」
「別に悪いとは言ってないでしょ。ただ気持ち悪いって思う人もいるかもね」
くすくすと笑う赤澤は明らかに馬鹿にしたものだった。学校で話しかけて来るのは馬鹿にする時くらいだった。
気分は悪かったが、その頃はまだ普通に生活できていた。
大きな転機が訪れたのは夏が近づいてきたある日。いつものように読書をしていると、誰かが近づいてきた。
「無川ってあの噂知ってる?」
猫田葉月だった。猫田とは同じクラスなだけで面識はなかった。
「噂ってなんだ?」
「ストーカーの噂」
「物騒な噂だな」
「えっ、無川のことだよ。無川が夕陽にストーカーしてるって噂があるの。知らなかった?」
想定外の言葉だった。最近何となくクラスメイトから避けられている気がしたが、まさかそんな噂が流れているとは思ってもみなかった。
「無川が夕陽に付きまとってるってみんな言ってるよ」
「……」
「気になったから夕陽にも聞いたんだ。そしたら事実だって」
寝耳に水だった。
あいつだって事情は知っているはずだ。俺があいつと一緒に行動しているのは双方の親から言われているからだ。
むしろ付きまとわれているのはこっちだ。近づいてきては罵倒するし、一人で登校しようとしたら俺を馬鹿にしながら横に並びかけてきたこともあった。
噂はかなり広がっていた。
ひそひそと話している声に耳を澄ませば、俺が赤澤を毎日追い回していると話をしていた。
「学校でたまに話してるけど赤澤さん嫌そう顔してたよな」
「前に一緒に帰ろうとして夕陽の部活終わりを待ってたみたいだよ」
「うわ、マジで犯罪者じゃん」
「家も知ってるみたいで、夜に外で待機して部屋から覗いてたらしいぜ」
「そういえば、スマホが盗撮画像でいっぱいだって」
「私もそれ聞いた」
濡れ衣だ。
嫌そうな顔してるって言われても俺から話しかけたわけじゃない。部活終わりを待っていたのはあっちに頼まれたからだ。それに幼馴染だから家を知っているのは当然だ。夜に外で待っていたのは赤澤の両親から作りすぎた料理のおすそ分けをもらうために家の前で待っていただけだ。
スマホに盗撮画像?
残念ながらスマホを持っていないのでありえない。
これらの情報がどうして流れているのだろう。
決まっている赤澤本人が流しているからだ。夜に外で待機していたという件はあいつしか知らないはずだ。
目が合うと赤澤は笑った。まるで「ようやく気付いたの?」と言っているようで、視線からは悪意みたいなものが感じられた。
ようやく気付いた。自分が嵌められていると。
「ストーカーは犯罪だからしないほうがいいよ」
「……」
猫田からの忠告に小さく頷くことしかできなかった。
それ以来、赤澤から距離を取った。
しかし相手はカースト最上位。影響力は凄まじいものがあり、いつの間にか俺はクラス以外の連中からも白い目で見られるようになっていた。赤澤を狙っているであろう男子からケンカを売られ、女子からは陰口を叩かれた。
俺は完全に孤立した。
その後、蓮司の助けもあって心を繋ぎとめたものの他の悪魔から追撃を受けて壊された。赤澤とはその日を境に一度も会話をしていない。
これが俺の初恋だった。




