第19話 白い再会
頭が真っ白になった。
白瀬の声は虹谷翔太に向けてのものではなく、無川翔太に向けてのものだ。かつて彼女からは苗字ではなく名前で呼ばれていた。こちらに戻ってから名前で呼ばれたことは一度もない。
……待て、本当にバレたのか?
一瞬で様々な考えが頭を過った。
白瀬が気付いたのはメガネと髪の毛だ。玄関に置いてある姿見に映る今の俺には無川翔太の面影がある。
しかしだ。
身長はあの頃よりも大分伸びているし、筋トレのおかげで体つきも変わっている。そう簡単にバレるはずがない。元幼馴染にもバレる気配など一切ないってのに、最も関係が薄い白瀬にバレたってのか?
「翔太さん、ですよね?」
確信は得ていない様子だ。ある種の不安が混じったような聞き方だった。信じられないけど、目の前の光景を信じるしかないという感じに映る。
どうする?
考えるまでもない。答えなど決まっている。
「……チガイマス」
動揺のあまりカタコトになってしまったが、ここは否定するしかない。全力で否定する以外に選択肢はない。
「俺は翔太じゃない。虹谷翔太だ!」
「いえ、名前は翔太さんで合っているじゃないですか」
くそっ、揚げ足取りやがって。
確かに俺の名前は翔太だからその呼び方でも間違いはないんだよな。このとぼけ方は流石に苦しいな。
「えっと……アレだっ。いきなり名前で呼ばれても意味わからんだろ。俺達の関係はそこまで深くないはずだ。急にどうしたんだ?」
まだ確証は得ていない様子だ。ここは力技で誤魔化すしかない。
白瀬はジッと俺を見ていた。それからしばし考える素振りを見せた後でスマホを取り出した。
「では、その姿を見てもらいましょう」
「見てもらうって、誰に?」
「赤澤さんですわ」
その名前に俺は止まった。
「な、仲悪いのに連絡先とか知ってるのか?」
「学園の都合でいろいろとありまして」
女神同士だから知ってるのか?
いや、今は考えなくてもいい。
ここで連絡されるのはまずい。よりにもよって一番知られてはならない相手だ。あいつに知られたら俺の学園生活は完全終了だ。
どうにか白瀬を止めないと。しかしどう説得すればいい。ここで必死になれば逆に疑われるのは目に見えている。
「……顔色が優れないようですが?」
「べ、別に大丈夫だぞっ」
「そうですか。では、早速連絡を」
「まっ、待て、落ちつけって。そもそもどうして赤澤なんだよ。さっきから白瀬が何を言っているのかさっぱりわからんぞ。俺は虹谷翔太って名前で、白瀬とは天華院学園で出会って間もない存在だ」
必死に弁明したが、白瀬の冷たい視線が俺を射抜く。
「……で、連絡していいですか?」
「ダメだ」
「何故ですか?」
「普段はコンタクトだろ。メガネ姿を見られるのは嫌っていうか、恥ずかしい」
何をどう言えばいいのかわからねえ。
この姿を拡散でもされたら終わりだ。いくら元幼馴染が俺に気付かない薄情者といってもさすがに気付かれる可能性がある。
もしかしたら気付かないかも?
いや、その可能性に期待するのも無理があるか。
「というか、白瀬はさっきから俺を誰かと間違えてるみたいだな」
「シラを切るつもりですか。では”無川翔太”という覚えはありませんか?」
「お、俺は生まれた時から虹谷って苗字だ。翔太って名前は珍しくもないだろ。俺のそっくりさんでも居たのか?」
「それがわからないので翔太さんの幼馴染である赤澤さんに――」
「どうして俺と赤澤が幼馴染だって知ってるんだ!?」
しまった。
言った直後に気付いた。
「……これで確定ですわね」
転校生である俺が赤澤の幼馴染のはずがない。墓穴を掘っちまった。
白瀬は大きく息を吐いた。
「よく考えれば最初から疑うべきでしたわ。紫音さんにお兄さんがいるなんて聞いたことありませんでした」
「……」
そういえば同じ学校だったな。なら、最初から疑われていたわけだ。関係が薄いので一番バレる可能性が低いと思っていたが、紫音の存在から考えると一番可能性が高かったのかもしれない。
「あなたが翔太さんならば辻褄が合います。女神達と仲良くしたくないと言っていた理由も、ところどころにあった違和感の正体も」
俺は観念した。こうなったら誤魔化すのは無理だ。
「そうだ……俺は無川翔太だ」
◇
部屋に移動した。
あのまま玄関で喋っているのは暑すぎる。ただでさえ突然の事態に頭が混乱しているのに酷暑とのダブルパンチは堪える。
冷蔵庫で二人分の麦茶を用意して部屋に戻る。麦茶を注ぎながら今後どうしようか考えたが、いい案は浮かばなかった。白瀬がどういうつもりか知らないが、話をしたいと提案してきたのは白瀬のほうだ。
部屋の中央に白瀬が座っている。現実感のない光景に戸惑いながら、対面に腰かける。数秒の沈黙があった後に。
「お久しぶりです、翔太さん」
「どうも」
どうすりゃいいんだよ。俺と白瀬の関係は中学二年以来になる。そして、関係ってのはごく短い期間である。
こうして再会しても特に感慨深くもないし、感情が昂ったりはしていない。
だってそうだろ?
元々違う小中学校だったし、会っていた期間も短かった。関係性としては元恋人なわけだが、あれも恋人などという甘い関係ではなかった。
こいつには心を折られた。その原因は浮気っていうか、俺との関係を遊びとか言われたからだ。
でも、今はあの時の男が八雲君であると知っている状況である。この再会に特別な感情が湧かないのも仕方ないと言えるだろう。八雲君をどう思っているのかさっき聞いたし、どうしたらいいのかわからないってのが本音だ。
再び沈黙が場を支配する。
「……話を聞いてください」
白瀬は口を開くと、語り始めた。
幼い頃から弟の八雲君に特別な感情を持っていたこと。中学時代に俺と出会ったのは偶然だったこと。転校生である俺に近づいてきたのは他の女神とくっ付けて自分が今年も女神になろうとしていたこと。俺の正体については今日まで全く気付かなかったこと。
「……そっか」
すべて聞き終えた俺の口から出たのはそれだけだった。概ね知っていたので驚きは少なかった。
そして本日、八雲君と紫音に交際疑惑が出たことで我を見失ってこの家に乗り込んできたらこうなっていると。
「……」
「……」
冷えた部屋の中で麦茶を飲む音だけが響く。
「翔太さんのことも教えてください」
「俺の?」
「はい。転校した後のことです。どんな生活を送っていたのか気になって」
「……」
ちょっと迷ったが、バレてしまった以上は隠す必要もないだろう。俺は転校してからの生活について話した。
中学三年になる前に田舎に転校し、そこで暮らしていたこと。向こうで進学して普通に生活していたこと。親の再婚を転機にこっちに戻ってきたこと。
聞かれなかったので転校した原因については触れなかった。
女子からの攻撃に心が折れたとか言いたくなかった。白瀬は俺がどうして転校したのかも知らないはずだ。余計な情報を与えないほうがいい。
「そうでしたか。普通に生活を送っていたのですね」
どこか安心したような白瀬は麦茶を飲み干した。
「俺も質問がある。どうして俺と赤澤のことを知ってたんだ?」
話した記憶はない。昔、こいつと会っていた時は世間話をしただけだった。赤澤どころか誰の名前も出してはいなかった。学校の話とかしたくない状況だったし。
俺の質問に対して白瀬は正座のまま地面に指を置くと、ゆっくり頭を下げた。
「その前に、まずは謝罪をさせていただきますわ」




