第14話 赤い思い出
手を振る赤澤に近づく。
赤澤は浴衣を着ていた。白地にアサガオが描かれている浴衣だ。藤色で描かれたアサガオが清楚な印象を与えつつ大人っぽさを醸し出している。
帯は髪の色と同じく赤色だ。髪の毛よりも明るい赤で、華やかさの中に清楚感を残したコーディネートである。
髪型はサイドアップ。綺麗なうなじがちらちら見える。
華やかさと清楚感と色気を同時に出すという神をも恐れぬ所業をやってのけやがったその姿は、言葉を失うほど可愛かった。通り過ぎる人々も視線を向けているのがわかる。
記憶にある姿より随分と成長した浴衣姿の幼馴染にどうにも複雑な心境だった。
「早かったね。もしかして、虹谷君も待ちきれなかった?」
「……まあな」
「実は私もなんだ。お祭りが楽しみで早く来すぎちゃった!」
こいつは昔から祭りが好きだった。わたあめとかたこ焼きを美味しそうに頬張っていた姿をよく覚えている。
食べるだけでなく遊びも好きだった。射的だったり、型抜きだったり、ヨーヨー釣りに何度も挑戦していたっけな。
「楽しみだね、お祭り」
「お、おう」
そう答えて赤澤の隣に立つ。
「……」
「……」
気まずい。どうしよう。
計算外だ。早く来て全員集まるまでソシャゲでもしていようと思ったが、こいつが俺よりも早いとか予想していなかった状況だ。おまけにソロとか。
赤澤は隣に立つだけで喋りかけてこない。
どうする?
ここで離れるのも違うっていうか、不自然すぎる行動だろう。今の俺は単なるクラスメイトである。ここはクラスメイトの女子に対する普通の対応をしなければおかしい。
となれば、ここは会話をするのが正しい選択だ。
会話の糸口になりそうなものを探す。
「……似合ってるな。その浴衣」
浴衣を褒めるという結論に至った。
紫音も浴衣姿を褒められて笑顔になっていた。女性心理とかわからないけどこれが最も無難な選択のはず。
「ホント!?」
ちょっと褒めただけで過剰な反応が返ってきた。どうやら正解だったらしい。
「かなりいい感じだぞ」
「良かった。久しぶりの浴衣だから緊張してたんだ」
「まあ、去年の夏以来だからな」
「去年は着てないよ」
「祭りに参加しなかったのか?」
「……うん」
クラスメイトとの関係が上手く行かなかったのだろうか。
去年の夏といえば赤澤はまだ女神ではない。今のような人気はなかったのかもしれないな。あるいは別の予定があったのか。俺が知る由もない。
「虹谷君は浴衣じゃないんだね」
「まあな。おかしいか?」
「おかしくないけど、ちょっと残念かも。浴衣似合いそうなのに」
浴衣に似合うとか似合わないとかない気もするがな。
残念そうにつぶやいた赤澤のスマホにメッセージが届いた。赤澤は怪訝そうな顔をした後、誰かとやり取りを始めた。
赤澤から視線を外して駅の様子を眺める。
祭りに行く人は結構多いらしく、浴衣姿の人もちらほらいる。普段よりも三割増しくらいで美人が多く見えるのは浴衣効果だろう。駅が祭りの雰囲気を帯びる景色は昔も見たが、大人になった今は違う印象を受ける。
ふと、隣からため息が聞こえてきた。
連絡を取り合っていた誰かとのやり取りが終わったらしい。俺は気付かないフリをして正面を見続ける。
「……虹谷君。髪、伸びたね」
不意に赤澤がそう言った。
しばらく切っていなかったので確かに結構伸びていた。夏休みの終わりには切っておかないとな。
ハッとした。髪が伸びると過去の自分に重なる可能性がある。幸いにも赤澤は気付く素振りはないが、危ないところだった。
「新学期までには切っておくよ」
「うん、絶対切ったほうがいいよ。短髪のほうが似合うと思うから」
髪の長い男が嫌いだったのか?
そんな話は聞いたこともなかったが、どっちにしても切るのは変わらない。ここは素直に従っておくとしよう。
「ねえ、夏休みはどんな感じで過ごしてたの?」
「別に普段と変わらないぞ」
「どこかに出かけたりした?」
頭の中にプールが浮かぶ。
「特にないな。田舎のほうに顔を出したくらいかな」
「プールとかは行かなかったの?」
「……行ってない」
「へえ、そうなんだ。友達がプールで虹谷君らしき人を見たって言ってたけど、人違いだったんだ」
あの場にいたのか?
落ちつけ、俺よ。こいつが見たわけじゃないんだ。ここで顔に出したら嘘がバレちまう。
「気のせいだろ。ずっと家にひきこもってたよ。そもそもプールとか好きじゃないし。その友達の見間違いだろう」
赤澤は納得したらしい。多少ジト目だった気がするけど勘違いだろう。
それから赤澤はスマホを少し弄った後で。
「話は変わるけど、ゲームの大会に参加しなかった?」
「……してないぞ」
「ふーん、そっかそっか。知り合いが虹谷君に似た声の人が大会に出てたって言ってたけど、気のせいだったんだね」
どこ情報だよ。
と思ったが、配信者である青海の視聴者は天華院学園にもいるらしい。俺の声を聞いただけで正体に気付いた探偵気取りの奴がいたのかもしれない。
大丈夫だ、これも確定した情報じゃない。
「それも気のせいだろ。俺は大会とか出てないぞ」
「でも、名塚君は虹谷君と一緒に参加したって言ってたよ?」
「……」
情報源あいつかよ。
というか、知ってるなら最初から言えよ。カマかけるようなこと言いやがって。
「あっ、忘れてた。そういえば大会に参加したんだった。優勝とかしたわけじゃないからすっかり頭から抜けてた。いやー、あれ大会だったわ」
「名塚君と二人だったの?」
「……トリオだ」
あえて青山の名前は出さない。
恐らく真広の奴がメンバーについて教えているだろうが、わざわざここで青山の名前を出すのはまずいと判断した。
女神同士は仲が悪い。名前を出したところで会話が広がるとは思えない。
その後、特に追及もなく世間話をした。赤澤の夏休みはそれほど充実したものではなかったらしい。自宅で勉強する以外は特に何もしていなかったという。配信ばかりしていた青山といい、女神ってのは意外と暇のようだ。
中身のない話をしているとクラスメイト達がやってきた。
隣から舌打ちのような音がしたような気がしないでもないが、俺達は無事クラスメイト達と合流して会場に向かった。
◇
会場は既に賑わっていた。
パッと見た感じ浴衣姿の人は半々くらいだ。集団で浴衣というのは意外と少なく、俺達はかなり目立っていた。
今日の服装事情だが、女性陣は全員浴衣だった。男子は俺と真広以外の二人が浴衣だ。女子はあらかじめ浴衣で参加すると話をしていたようだ。
今日集まったのは八人。
男が四人に女が四人。本当なら男女五人ずつで十人になる予定だったが、直前になって二人キャンセルした。聞けばその二人は夏休みに入って交際を始めたらしく、夏祭りには二人きりで参加したいとかふざけたことを抜かしたそうだ。是非とも不幸な目に遭ってほしいものである。
「やっぱり人が多いね」
真広が苦笑する。
「そうだな」
「離れると迷子になりそうだし、女子達にナンパが群がって鬱陶しいかも」
「じゃあ、固まって動くのが賢明か」
俺の提案に全員賛同し、集団で動くことになった。
買い食いしながら屋台を渡り歩いた。さすがに大人数の移動なので不埒な男連中は近づいて来ない。その代わりといっては何だがあちこちから視線を向けられた。
最も視線を集めている赤澤は楽しそうにはしゃいでいた。
射的でぬいぐるみをゲットしたり、ヨーヨー釣りをしたり、たこ焼きを購入しては皆と食べさせ合っていた。
他のクラスメイト達も同様だ。普段教室ではまじめな奴ばかりだが、祭りでテンションが上がっていたらしく大いに騒いでいた。全く子供ばかりだな。
俺はといえば――
「はしゃぎすぎでしょ」
真広にツッコミを入れられてしまうほどハイテンションだった。
久しぶりの祭りを満喫していた。アルバイトをして多少余裕があったのもまずかった。わたあめを右手に装備し、りんご飴を左に装備していた。クラスメイト達にその姿を子供だと馬鹿にされてしまった。
しょうがないだろ。
中学時代は一度も来なかった祭りだ。それに、昔は貧乏だったから祭りに来てもただ見ていることが多かった。お金に余裕ができたらこうなるのも自然の流れだ。
クラスメイト達が一緒だったので特に赤澤の存在も気にならず、夏祭りを堪能した。こんな風に大勢で騒ぐのも数年ぶりで楽しかった。
ただ、一つだけ問題があった。
基本的に祭りの思い出は幼い頃のものしかないわけだが、何かを買ったりする度に昔の赤澤の顔が頭にちらついた。
『翔ちゃん、これおいしいね』
『翔ちゃん、射的で勝負しよ』
『翔ちゃん、花火が始まるよ』
無邪気な姿が脳裏にちらつく度に胸がざわつく。
過去の記憶から逃げるように、俺は屋台で売られていた変なキャラのお面を購入した。意外と高くてビビった。
その直後だった。
轟音の後、夜空に光の花が咲いた。
花火が始まった。周囲の人達の視線が一斉に空に向かう。連続して打ち上がる花火がそこにいた多くの者達の視界を独占した。
俺も口を半開きにして花火の美しさに感動していたのだが、ふと視線の端にある人物が映った。
猫田が人の群れから離れた塀の上に座っていた。俯いて花火を見ていない。そういえば今日の猫田はずっと元気がなかった。いつもなら最前線を歩くはずの彼女は今日は最後尾を付いてくるだけだった。
俺は思い出す。
ファミレスで見かけた時の猫田も今と同じ顔をしていたことを。
「どうしたんだ?」
「……虹谷」
「ずっと元気なかったよな。具合悪いのか?」
「具合が悪いわけじゃないんだけどね」
「良かったら相談に乗るぞ」
隣に腰かけると、猫田は少し迷った素振りを見せた後で。
「じゃあ、相談に乗ってもらおうかな」




