第9話 青い曇り
見覚えのある少女達の姿に俺は目を逸らした。
天華院に通っていない中学の同級生と接触するのは初めてのことだ。
今までバレる気配がなかったので大丈夫だろうと高を括っていた。見知った顔の登場で冷や水をぶっかけられたような気分になった。
その点は反省ではあるが、後悔はしていない。何故なら今の俺はGPEX熱がとてつもなく高まっていたからだ。だってプロや人気配信者と戦えるわけだし、そりゃ楽しみだろ。
「久しぶりだね、海未」
少女の片方が青山に話しかける。その子のことはよく覚えていた。青山とよく行動を共にしていた子だ。
「……うん。久しぶり」
青山は少しバツが悪そうだ。
そんな様子を見ながら頭をフル回転させる。
今はこの場をやり過ごすことだけ考えろ。初対面として接するしかない。というより彼女達の顔は見たことあるが、実際に名前も知らないので初対面と変わらない。
「名塚君も元気そうだね」
「久しぶりだね。僕は相変わらずだよ」
「えっと……そっちの人は?」
少女が俺を見る。
「彼は虹谷って名前で、学校の友達なんだっ!」
何故か青山が俺の紹介をする。
というか、勝手に友達にするな。
しかしここで否定したらどうして一緒に飯を食っているのかとツッコミを受けるだろう。あの無川君と悟られないためにも陰キャ感を出すわけにはいかない。俺は可能な限り爽やかな笑みを作る。
「どうも、虹谷です。青山や真広と同じ天華院の二年です」
そう言って、片手を上げる。
「よろしくね」
「おっ、爽やか系のイケメンだ。よろしくっ」
バレている気配はない。
緊張したのが馬鹿々々しくなった。あいさつを交わした直後から少女達の視界に俺は映っていなかった。彼女達のお目当ては青山だ。
「……海未、やっぱり陸上はもうやらないんだね」
「前にも言ったよね。もうやらないって」
「まだあのこと引きずってるの?」
「……」
この空気はなにさ。
青山が陸上辞めたのって単に怪我したからだろ。今は治ったみたいだけど、陸上をしなくなったのは気分が萎えたとかそういった感じだろ。前にGPEXをしながら自分で話していた。
「あの、突然ごめんなさい。ちょっと海未を借りてっていいかな?」
青山を借りたいと言い出した。
俺と真広が了承すると、二人は青山を自分達の席に招いた。席は俺の真後ろだった。こちらの食事はすでに終わっていたし、作戦会議のほうも大方終わっていたので問題ない。
背後から華やかな声がする。どうやら久しぶりに会ったらしく、学校での生活ついて喋っている。
……気のせいか。
先ほどは変な雰囲気だと思ったが杞憂だったらしい。
「彼女達は同じ中学だったんだ。青山さんとは陸上部の仲間でね」
「へえ」
真広が説明する。卒業後は別の高校に入学し、彼女達はそちらでも陸上を続けているらしい。
で、青山が部活を辞めたから関係が疎遠になっていたらしい。
それを聞いたところでどうってわけじゃない。俺には関係がない。話したこともない相手だしな。
さして気にせず大会での動き方について再確認した。
しばし時間が経過し、俺と真広の間に言葉が少なくなった頃。
「――無川君のことだけど」
心臓が跳ねた。
話の流れを聞いていなかったのでいきなり自分の名前が出て酷く驚いた。振り返ることはせず、背後の会話に意識を集中する。
「っ、ここでその話は――」
「あれから会えたの?」
「……まだ」
「そっか」
彼女は俺のことを知っているらしい。
どうしてだろう、とあの日の記憶を頭に思い浮かべる。そういえば彼女は俺が不登校になっていた時に尋ねてきた子だ。あの時は会わなかったから目的もわからなかったけど。
おいおい、ここで俺の悪口とか止めてくれよ。
事情は知らんけど大会直前に悪口とか言われたら耐えられない。連携が完全に崩壊しかねないぞ。
「……翔太、顔色悪いけど大丈夫?」
「っ」
真広が心配そうに覗きこんできた。
「ああ、全然平気だ。少し食べ過ぎたみたいだな」
「美味しそうに食べてたもんね」
「絶品だったよ。そうだ、デザートでも注文するか」
「……満腹じゃないの?」
「デザートは別腹だろ」
「女子みたいなこと言うね。けど、僕もパフェが食べたかったんだ」
デザートを注文し、待機時間に再び背後の会話に意識を集中する。
いつの間にか会話は少し飛んでいた。
俺との関係についてはどちらの少女も知っているらしい。話は転校した俺がどんな生活を送っているのか、という話題になっていた。
「海未ちゃんいつも言ってたよね。無川は良い奴だって」
「……うん」
「そんな良い奴なら向こうで元気にやってるよ。友達たくさん作って、彼女とかもいたりしてね。あんまり気にしなくていいと思うよ。もう昔のことなんだし。あっちも海未ちゃんのこと忘れてるかもよ」
簡単に言ってくれるぜ。
彼女達は当然ながら事情を全部知っているわけではない。そもそも青山も知らないのだ。俺と【4色の女神】についての関係を。俺が過去にされたことを知っているのは母と親友の犬山蓮司だけだ。
ただ、彼女の放った言葉は半分正解だ。残念ながら彼女はいないけど、元気でやっている。友達もたくさん出来た。
「それにさ、海未ちゃんは謝ったんでしょ?」
「……メッセージは打った。多分、見てくれてるとは思う」
「だったら謝ってるじゃん」
そう、忘れちゃいけないポイントがここだ。
青山は俺にしたことを謝罪している。
チャット越しではあるが、こいつだけは俺に対して謝る気があった。自分の行いがまずかったと謝罪の言葉を連ねていた。
あの時はまだ信用できなかったが、少なくとも今のこいつが悪い奴じゃないってことは理解した。一学期の間に何度もゲームをしてそれは理解している。
「そもそも無視してた時の海未ちゃんは悪くないよ。あの頃は完全に無川が悪いって空気だったし、下手に助けたら海未ちゃんまで悪者になってたよ。無視して正解だって。それについては無川も同意してたんでしょ?」
「……うん」
その通りだ。学校で喋りたくなかった。
「無川を突き落としたのも単に体調不良で、意識が飛びかけてたところにたまたま無川がいて接触しただけでしょ。海未ちゃんも自分が無川を突き落としたって気付いてなかったわけだし」
えっ、体調不良?
知らなかった。あれは俺を攻撃するためじゃなかったのか。その辺りもディスボに書いてあるのかもしれないが、怖くて確認していなかった。
「あいつは良い奴だから、ボクを犯罪者にしたくないって庇ってくれたんだ。あんなことをしちゃったのにさ。ホントに最低だよ」
うん?
庇ってないぞ。俺はただどうせ誰に言っても信じてくれないから黙っていただけだ。青山はそんな風に受け取ってたのか。
ただ、ここに来て初めてこいつの事情を知った。
「大丈夫だよ。無川がホントに良い男なら許してくれるって」
「……」
「ちなみに良い女である私も彼氏に浮気されたけど、許してあげたよ。そしたら彼氏は私のこと『おまえはホントにいい女だな』って半泣きになって抱き着いてきたりしたんだ。男なんてチョロい生き物だよ」
それは都合のいい女の間違いだと思うけどな。
……しかしなるほどな。
真実を知ってしまった。
だからって俺の正体を明かそうとは思わないけど、俺の正体が無川翔太と気付いていないのにこんなことを話している辺り反省は事実だろう。
「てかさ、あの問題で一番悪いのは無川の噂を流した奴でしょ!」
「それわかる。確かに海未ちゃんはあんな体調で学校にきた馬鹿だったと思うけど、元はといえばあんな噂を流した人が一番の悪だよ」
同感である。
元をただせばすべての元凶は俺を陥れようとしたあの元幼馴染だ。あいつが俺をストーカーと言い触らすことさえしなければ後々の問題は回避できたはずだ。
「あの噂って誰が流したんだろうね」
「さあね。夕陽ちゃんは自分から誤解だって言ってたから違うとして、私もわかんないよ。でも、誰かが言い出さないと噂にならないわけじゃん?」
いや、あいつは保身に走っただけだ。全部あの女の所為だぞ。
その時だった。
スプーンが地面を転がった。
……猫田?
落としたのは猫田だった。パフェを俺達の元に運ぼうとして落としてしまったらしい。ドジな奴だ。
「ほら、落としたぞ」
俺は落としたスプーンを拾い上げると、猫田に渡した。
「あっ、ありがと。すぐに新しいの持って来るからっ!」
「気にするな」
猫田も話を聞いていたのかな。今の話を聞いて自分の親友の過去の行いに胸を痛めたってところかな。
「ねえ、今の猫田さん?」
「だよね。ここでバイトしてるんだ」
猫田の登場によって無川君の話題は完全に消えた。
その後、しばらくして青山が戻ってきた。俺達は青山の友達にあいさつをして店を出てから解散となった。
真実を知った俺の気持ちは少し楽になった。
今さら過去は変わらないが、少なくともあいつが俺が憎くて突き落としたわけじゃないと知って何となく気分が楽になった。
……ただ、楽になった俺とは逆に青山の表情は最後まで曇っていた。




