第6話 黒い囁き
黒峰が二人組の男にナンパされていた。
近くに紫音や八雲君の姿はない。別行動をしているのか、トイレに向かったところで捕まったのかはわからない。
「助けなくていいんですか?」
「必要に見えるか?」
本来なら助けるべき場面だろうが、黒峰の表情と雰囲気はそれを望むものではなかった。ナンパしてきた男達にゴミを見るかのような視線を向けていた。
「――鏡で顔見てから出直しな!」
辛辣すぎる言葉の刃がナンパ男達に向かって放たれた。
結構遠くにいるのに声が聞こえてきた。黒峰も相当怒っているらしい。
その程度の言葉が効くわけがないだろ。ナンパしてくる男達はしつこいと相場が決まっているぞ。
と、思っていたのだが。
「すみませんでしたっ!」
「で、出直します!」
ばっさり切られた二人組の男達は何故か嬉しそうな顔で去っていく。
どうやらダメ元でチャレンジしてきたタイプのナンパだったらしい。相手が悪かったと思って諦めてくれ。個人的にはそのチャレンジスピリットは買いたいが、最後に笑顔だったのは辛辣な言葉で罵られて喜んだとかじゃないよな?
しばらくすると黒峰に別の男が話しかけてきた。
……だからしつこいって言ってたのか。
何度撃退しても次から次にナンパ男が近づいて来る。そりゃ怒りたくもなるだろ。
黒峰の心中を察していると、別のほうから声が聞こえてきた。
「どこから来たの?」
「ねえねえ、どっか遊びに行こうよ」
八雲君がナンパされていた。彼もまたソロだった。
ナンパしていたのは俺が何度かちらちら見ていた女子大生のグループだ。
逆ナンとか初めて見た。実際に起こりえるのだと震えた。ちなみに俺にそんな羨ましい経験はない。
当の八雲君の表情は無そのものだった。全然興味がなさそうだ。
俺が助けるのも変なので黙って様子を見ていると。
「わたくしの彼になにか用ですか?」
いつの間にかいなくなっていた白瀬がすっと間に割って入った。
逆ナンしてきた女達は相手が美少女だとわかり、どこかに消えていった。華の女子大生でも白瀬のような圧倒的な存在の前では敗北を素直に認めるらしい。
「こういう時はカップルを利用するものですよ」
「助かったよ、姉ちゃん」
「ええ、是非とも頼ってください」
その後、白瀬は八雲君を連れて戻ってきた。
「あれ、紫音は?」
「黒峰先輩と向こうで待っています。飲み物を頼まれまして」
どうやら紫音から飲み物を買ってくるように頼まれたらしい。八雲君の手には二人分の飲み物がある。
黒峰のほうに視線を向けると何度目かのナンパを撃退したところで、そこに紫音が小走りで近づいてきた。どうやらトイレにでも行っていたらしい。
我が義妹ながら自由な奴だ。
とか思っていたら、またも二人組の男が近づいてきた。
「あいつら――」
「待ちなさい」
歩き出そうとした八雲君を白瀬が制した。
「ここは虹谷さんの出番ですわ。わたくしでは逆に巻き込まれますし、八雲は向かう途中でナンパされる可能性もあります」
……こいつ、俺と黒峰をくっつけようとしてるな。
さすがに連続で逆ナンはないだろうと思ったが、八雲君は少しばかり無理のある白瀬の言い分を信じた。
「っ、確かに姉ちゃんの言うとおりかも」
あの話は本当に半分事実らしい。彼は随分と単純な男だな。
「虹谷さん、いいところを見せるチャンスですよ?」
「……」
白瀬は八雲君が購入した飲み物を渡してきた。
「わたくし達は万が一のために施設の方を呼びにいきましょう」
「わかった。翔太先輩、よろしくお願いします」
そう言って二人は歩き出した。白瀬は一歩目を踏み出したところで転倒しそうになっていたが、八雲君に支えられてどうにか転倒は免れた。
「……」
飲み物を両手に持った俺は歩き出した。
二人に近づいていくと、次第にナンパ男達の声が聞こえてきた。
近くで見ると男達は中々のイケメンだった。茶髪で肌が焼け、遊び慣れているのがわかる。年齢は少し年上だろう。
「さっきから聞いてたよ。俺等ならどう?」
「中々のイケメンでしょ」
チャラ男が謎のアピールをしている。視線はどちらも黒峰に向かっていた。紫音をついで扱いするそいつらの態度が何となくむかついた。我が義妹の可愛さを理解できないとは終わってるな。
黒峰は露骨に嫌そうな顔をしていた。眼中にないという表情だ。隣にいる紫音は男を無視して黒峰の表情を見てテンションが上がっているようだ。
男の一人が黒峰に向けて手を伸ばそうとした。
「――お待たせ」
ドリンクを両手に持って割って入った。ついでに男の手を払う。
「ほら、頼まれてた飲み物だ」
困惑している黒峰と紫音に手渡す。状況がわからずに固まる黒峰に対し、紫音は笑顔で「ありがと」と感謝してその場で飲み始めた。
俺はナンパ男達に視線を向ける。
「彼女達に何か用ですか?」
男達は俺をじろじろ見た。
その表情はどうにも微妙そうなものだった。俺という人間を値踏みするような視線だが、彼等に俺はどう映ったのだろう。
「なんだおまえは」
「この子達の友達か?」
友達?
馬鹿言うな。紫音は義妹だし、黒峰は友達でも何でもない。元同じ傷を持った仲間であり、裏切り者であり、今となってはバイト仲間だ。
素直にそう言ったところでどうだろう。
『バイト仲間くらいで邪魔するな』
と、男達がますます黒峰に迫るのは目に見えている。
迷った俺の脳裏に先ほどの白瀬の言葉が浮かぶ。発言に勇気と覚悟が必要だが、ここで躊躇うと追い払うのが困難になる。
「こっちは義妹で……」
紫音を指さす。
「で、こっちは俺の彼女だ」
黒峰の手を取る。
男達は驚いていた。
それ以上に黒峰と紫音のほうが驚いていた。特に紫音は「こいつマジか」みたいな目で俺を見やがった。
解せぬ。
「おまえが彼氏?」
「釣り合ってねえだろ」
わかってるよ。というより、こんな女は俺のほうが願い下げだよ。
ただ、目の前にいるチャラ男もあまり黒峰には似合っていない。むしろ黒峰に似合う男がいるなら見てみたい。
面倒事にはしたくない。穏便にこの場を収めたかった。そんな意図が伝わったのか、黒峰は顔をわずかに上気させながら俺の腕に絡みついてきた。
「悪いな、あんた等より彼氏のほうがいいわ」
そんな風に言って笑みを浮かべた。
「ってわけで、どっか消えな」
密着しているせいで胸が腕に当たる。その感触にドキッとしながらも、俺は気丈に振舞う。
その姿を見た男達は顔を見合わせて歩き出した。どうやら諦めたようだ。
意外とあっさりしていたな。そう思っていたら男達は白瀬に声を掛けようとした。当然のごとく近くにいた八雲君に撃退されていた。それでも諦めきれない男達は女子大生のグループに近づいていった。
めげない連中だな。
ナンパ男に憧れるってのもおかしな話だが、女に拒絶されても堂々としている姿はまぶしく映った。
頑張ってくれ。いずれその努力が実を結び、あんた達にふさわしい女神のような女性が現れるかもしれない。
◇
ナンパ騒動が終わり、合流した俺達はボールで少し遊んでからベンチで休むことになった。
気付けば結構な時間が経過していたらしい。俺は最後以外ぷかぷか浮いていただけだが他の四人はそれなりにプールを満喫したようだ。
全員で行動するとさすがにナンパはなくなったが、目立つ集団になってしまったので周囲からの視線は集まる。
「ナンパされちゃった。生まれて初めてだよ、お兄ちゃん!」
そんな視線など気にならないのか、紫音のテンションは高かった。
「……嬉しそうだな」
「まあね。いやー、世間が紫音の可愛さに気付いちゃったか」
あのナンパはどう見ても黒峰狙いだったのだが、野暮なことを言うのは止めておこう。
「に、虹谷さんは素敵な女性だから仕方ないよっ」
「あれ、白瀬君も紫音の良さに気付いちゃった系?」
「えっと、その――」
「もぉ、そこはスッと褒めてくれないとダメでしょ」
頑張れ、八雲君よ。
しかしあれだな、ナンパは怖いものみたいなイメージがあったけど人によるらしいな。
黒峰は飲み物を片手に相変わらずクールだった。男嫌いのこいつにとってナンパの連続は苦痛だったはずだが、あれから克服でもしたのだろうか。ボール遊びしている時も特に気にしている様子はなかった。
「――じゃあ、この後はみんなでご飯行きましょう」
紫音が提案する。確かに結構な時間が経過しているし、移動の時間を考えるとそろそろ出たほうがいいだろう。全員賛成でプールはお開きとなった。
大半は浮いているだけで終わってしまったが、それでも十分楽しめた。
更衣室に向かうため歩いていると、黒峰が隣に近づいてきた。
「……あの、さっきはありがとね」
「気にするな」
黒峰は周囲をきょろきょろ見回した。三人は俺達よりも前を歩いている。それを確認すると、耳元に口を近づけて。
「ホントはすごい怖かった。虹谷君が彼女って言ってくれて……嬉しかった」
耳元でそう囁かれ、心臓がドクンと跳ねた。
『黒峰さんと交際してみる気はありませんか?』
白瀬の言葉が頭の中で反芻する。
「っ」
俺は思考を振り払うかのように首を振り、小走りで更衣室に向かう
……耳元で囁くとか反則だろ。あの頃の地味子ならともかく今のおまえは女神だぞ。ちっとは考えろよ。クソがよ。
心の中でぶちまける。
認めたくないが、俺はドキドキしていたんだと思う。




