第5話 白い囁き
「……やっぱこれだよな」
レンタルした浮き輪の穴に腰を落とし、波に揺られる。
どこか浮遊感を味わえるこの感覚が昔から好きだった。ゆらゆら漂っていると自分がクラゲにでもなったような気分になる。
浮き輪の上に乗ってぷかぷかしているのが最も楽しいプールの過ごし方だと個人的には推したいところだ。
照りつける太陽、ちょうどいい感じの水温、大きくも小さくもない程よい揺れが心を浄化してくれるようだ。
現在、俺はソロで行動している。
いじめを受けているわけではない。あの四人はウォータースライダーに向かった。紫音が高いテンションで駆け出し、その後を三人が付いていった形だ。
バランス的に心配ではあるが、あちらには八雲君が付いているので問題ないだろう。周囲からはイケメンがハーレムを形成しているように映るかもしれない。八雲君が近くにいながらナンパする男は早々いないだろう。
驚いたのは黒峰と白瀬だ。あいつ等が一緒に行動するとは思わなかった。仲が悪いことは周知の事実なので別行動すると思ったが、並んで歩いていった。向こうでケンカでもしてなきゃいいけど。
それ以上に気になるのは白瀬の行動だ。
あいつは自分からプールに誘ったくせにテンションが低かったり、今日も様子がおかしかった。
以前から白瀬だけはわからないことが多い。行動も発言も突飛だし、なにを考えているのかさっぱりだ。
ぷかぷかしながら頭を働かせていると、突然揺れが止まった。
「……?」
俺の浮き輪が何者かの手に掴まれていた。
掴んでいた不届き者は白瀬だった。いつの間にか俺の背後にいた白瀬はプールの中から手を伸ばし、がっちりと浮き輪をホールドしている。
「少しよろしいですか」
「……えっと、ウォータースライダーに向かったんじゃないのか?」
「抜け出してきました」
「俺と話すためにわざわざ抜け出してきたのか?」
白瀬はこくりと頷いた。
「虹谷さんに大事な話があります」
どうしよう。凄く嫌な予感がした。
◇
プールから上がった俺達は人が少ない場所に移動した。
移動中にも白瀬には多くの視線が集まる。水が滴る姿も絵になっており、さながら水辺の女神様といったところだ。
こうして見ると白瀬も出ているところは出ている。着痩せするタイプらしい。幼い顔立ち、小柄な体躯でありながら胸元には存在感がある。アンバランスな感じが何かこう、背徳的な雰囲気を漂わせている。
「……で、大事な話って?」
「すでに気付いているでしょうが、八雲のことです」
だと思った。内容も想像できる。
彼は紫音に兄が存在するという事実を、俺という人間について知らなかった。つまり、一学期のデートで白瀬は嘘を吐いていたわけだ。
八雲君が俺に嘘を吐いたって可能性もなくはないが、彼はどう見ても紫音に好意を寄せている。その兄である俺の印象を悪くしたくないだろう。そもそも彼は嘘とか苦手そうに見える。
「八雲君には話が通ってないんだろ」
「……はい。あの時のことは半分嘘です」
「半分?」
「親との確執は事実です。父と揉めて家を出たのも事実です。それとなく八雲がわたくしを家に戻そうとしているのも事実です。しかし、八雲にわたくし達のことは話していません」
だから半分か。
「なんで俺とデートしたんだ?」
「黒峰さんがあなたに興味を持っていたからです。彼女と交際の噂になり、学園で話ができる唯一の男子がどんな人か興味を持ちました」
男嫌いの女神が興味を持った相手を確かめようとしたわけだ。
同じ女神だし気になる相手でもあったんだろうな。理屈には納得した。納得はしたが、問題はその後だ。俺の友達とか言い出して積極的に絡んでくる意味がわからん。
「素直に白状します。虹谷さんを繋ぎとめた理由は保険です」
「保険?」
「万が一の時は恋人のフリをしていただこうかと。父から婚約の話をされているのも事実で、もし強引な手段を使ってきた場合はすでに心に決めた人がいると虹谷さんを紹介するつもりでした」
それで友達とか言い出したわけか。
「何故俺だったんだ?」
自分のファンを使えばいい。派閥とかあるみたいだし。別の学校の生徒でも良かったはずだ。
俺の問いかけに白瀬は硬直した。
「り、理由はいくつかあります。進学校である天華院学園に在籍しており将来有望なこと、性格的にお人好しなので協力してくれる可能性が高かったこと、ルックスが一定以上であったこと、実際にデートしてみた時に感じた印象の良さなどです」
褒められているような、貶されてるような。というか、その条件でいいなら他にいそうだけどな。
他にも理由はありそうだったが、白瀬は何も言わない。
中学時代もこれが真相か?
後になって考えてみればあの時は突然の告白だった。今ならわかるが、俺達に恋人となるような雰囲気はなかった。白瀬は中学時代にもお見合いだか婚約の話があったと言っていたし、あの時も俺と付き合っているといって退けようとした。しかしその前に話が流れたので、使えなくなった俺を捨てた。
ありえそうだな。
要するにあの時も今も親からのお見合い攻撃を避けるための偽装恋人役として俺が選ばれたわけか。まったく大した偶然もあったものだ。
「八雲君はなにも知らされていないんだな?」
「はい」
この分だと中学時代の八雲君も知らなかったんだろう。こいつに巻き込まれただけか。
……こいつやっぱ性格悪いわ。
要するに俺を利用するためだけにキープしたってことだろ。しかも中学と高校の二度に渡って。
「申し訳ありません」
「……」
こいつは確かに性格が悪い。
だが、こいつにも家の事情があった。そういった意味じゃ他の悪魔共よりはマシかもしれない。少なくともあいつ等と違って俺を狙い撃ちにしたわけではなかった。
たまたまそこに居合わせた俺が被害に遭った。運が悪かっただけ。
怒りよりも真実を知ったすっきり感が勝った。
「虹谷さんがお怒りなのは重々理解しています。ですので、わたくしは罪滅ぼしとして虹谷さんに協力させていただきます」
「……うん? 協力?」
白瀬はコホンと咳ばらいをして。
「話は変わりますが、黒峰さんは素晴らしいスタイルだと思いませんか?」
「えっ……ま、まあ、そうだな」
突然どうしたよ。
黒峰のスタイルについて今さら言うまでもない。
「わたくしは発育が悪いので憧れますわ。高い身長にすらりと伸びた手足、胸元もセクシーでした。こうしてプールに来ると嫌でも差が出ます」
気持ちはよくわかる。
俺も昔は身長が低かったのがコンプレックスだった。成長して多少は伸びてくれたが、それでも平均よりはやや下だ。羨ましい気持ちは十分に理解できる。こればかりは後から手には入らない。だからこそ余計に価値があるように映ってしまう。
「あの素晴らしい女神は虹谷さんにお似合いではないでしょうか」
「……お似合いって?」
「ですから、黒峰さんのお相手ですわ」
白瀬は含みのある笑みで顔を寄せてきた。
「黒峰さんと交際してみる気はありませんか?」
突然の囁きだった。
意味がわからず俺は何度か瞬きをした。
「黒峰さんはあなたに対して特別な気持ちを持っています」
「っ、冗談言うな」
「冗談ではありません。彼女が唯一まともに話せる男子はあなただけです」
「それは――」
「八雲と彼女が楽しそうに喋っている場面を見かけましたか?」
見ていない。
黒峰は八雲君の存在を視界に入れていないというか、完全にないものとして扱っている。
まあ、八雲君のほうも紫音に夢中であまり黒峰を見ていないわけだが。
あいつは男を苦手としている。イケメンであっても例外ではない。
俺と普通に会話できているのはバイト先が同じで、悪い噂を払拭したからだ。学園では紫音の存在があったからという話になっている。
「紫音さんの存在は関係ありませんよ。黒峰さんは間違いなく虹谷さんを特別に思っています」
「……」
「ですので、罪滅ぼしとして協力させてください」
「俺はあいつに興味がないって言っただろ」
「わたくしも前にも言ったはずです。あなたは迷っている、と。実はその悩みは女神に関係しているのではないでしょうか?」
当たってやがるよ。
こっちに戻って来てからの俺の悩みの種はあいつ等だけだ……いや違うな。あいつ等というか、おまえも含めて女神全員だよ。何なら転校前からそれが悩みだったよ。
でも、ちょっと待てよ。
「前に噂になったことがあったろ。あの時、俺が黒峰と付き合ってなくて良かったと言っていなかったか?」
「ええ、言いましたよ」
「あいつを悪魔呼ばわりしていたな」
「はい。ですが、考えが変わりました」
急にですか?
「本日、一緒に行動して黒峰さんは素晴らしい女性とわかりました。モデル並みのスタイルに、女優のように整った顔立ち、大人の魅力がたっぷり詰まっています。確かに粗暴なところはありますが、それは魅力とも言えます。ワイルドな女性が好きな男性も多いでしょう」
唐突にべた褒めだ。
怪しい。ひたすらに怪しいぞ、こいつ。
ニコニコした白瀬からは不気味な圧を感じた。
あいつの気持ちとか知らないが、生憎と俺にそのような気はない。あいつと恋人とか想像もできない。
断ろうと口を開いた瞬間。
「――しつこい。消えろ」
苛立った黒峰の声が聞こえてきた。




