第4話 赤い悪魔と孤独な猫
転校してから数日が経過した。
日々の生活は安定していた。
家庭関係は良好。勉強は問題なし。学校での人間関係も円滑だ。中学時代の自分とイメージを重ねないために若干無理して明るく振る舞ったのが功を奏したらしく孤立せず上手くやれている。
あれ以来、赤澤夕陽との接触はない。
昔は転校生とかイケメンに興味津々だったが、どうやらイメチェンした俺はあいつのお眼鏡にかなわなかったらしい。それ自体はとても喜ばしい。
おめでたいはずなのにイケメンではないと暗に言われているようで謎の敗北感を覚えたのは内緒だ。
他の悪魔共とはそもそもクラスが違う。休み時間も教室から出ないので今のところ遭遇はない。
「おはようっす」
その日も登校し、クラスメイト達に声をかける。
明るい田舎キャラという印象を推したせいか、俺が挨拶するとクラスでもカースト上位の連中が明るく返してくれる。男女共に関係は良好で、陽気な印象を与えられていると思う。
登校して席に着くと、隣の席の女子に声を掛ける。
「おはよう」
隣の席の少女は長い前髪で顔を隠し、いつものように読書をしていた。
「……おはよう」
素っ気ないものの挨拶は返してくれた。
天華院学園には俺が通っていた東部中学校からの生徒が数多く進学しているらしい。隣の席に座る彼女もその一人だ。
名前は猫田葉月。
その名の通り猫っぽい顔立ちの女の子だ。若干ツリ目で、鼻筋が通っており、顎が細く、シャープな輪郭をしている。笑うと特徴的な八重歯が姿を見せ、猫っぽい印象を加速させる。
最初はそれが猫田だと気付かなかった。
それほどまでに以前とは様子が異なっていた。中学時代の猫田はいつも元気で明るくて、クラスの中心人物だった。
それが今は誰とも喋らない。黙々と授業を聞き、休み時間には読書に耽る。髪もあの頃に比べると長く前髪で顔を隠している。放課後になればすぐに帰宅するという典型的な陰キャとなっていた。
おまけにクラスの雰囲気的に猫田を敬遠している印象を受けた。良好なクラスの中で唯一の異物となっていた。
授業を消化し、昼休みを迎えた。
いつものように購買でパンを購入して真広と席をくっ付ける。チラッと隣を見ると、猫田が弁当を取り出したところだった。
「猫田は弁当か。いつも美味そうだな」
「……ありがと」
「もしかして自分で作ってるのか?」
「うん、料理好きだから」
「料理上手なんだな。我が家は母親が料理嫌いだから羨ましいよ」
褒めると猫田はわずかに顔を上げて笑みを作る。
テンションこそ低いが、昔見た顔そのものだ。赤澤の隣でニコニコしていた彼女がそこにはいた。
しかし何かに気付いたように笑顔は数秒で消えてしまった。
不思議に思っていると、真広が肩を叩いた。
「どうした?」
「彼女には話しかけないほうがいいよ」
真広は教室の様子をうかがった。
「ほら、あそこ見てよ」
「あそこって――っ」
自分の席で友達と食事していた赤澤がこっちを見ていた。ただ見ているわけではない。その顔にはアイドルらしい表情はなかった。
「……睨んでるみたいだな」
「僕もよく知らないけど、ケンカしてるみたい」
「赤澤と猫田が?」
「うん。あっ、実は猫田さんも僕や赤澤さんと同じ中学だったんだ」
もちろん知っているが、驚くフリをする。
「えっ、そうだったのか」
「記憶が確かなら中学時代よく一緒に行動してたはずなんだけどね」
「だからケンカしてると?」
「予想だけどね」
赤澤夕陽と猫田葉月は間違いなく友人同士だった。中学二年の時は同じクラスでいつも楽しそうに喋っていた。友人というよりは親友同士に映った。
だから俺も驚いたのだ。
あの日、猫田があの噂を伝えてくれた。
彼女の一言がきっかけになって俺は自分が置かれている状況を理解した。赤澤の罠に嵌められ、学校の嫌われ者に仕立て上げられている事実に気付いたのは間違いなく彼女のおかげだ。
そう、俺は猫田には恩義を感じている。いつか恩を返したいと考えていた。実際にはそうする前に壊れて転校してしまったわけだが。
「ケンカの理由は?」
「さっぱりだね」
「いつ頃からケンカしてるんだ?」
「中学では違うクラスだったし、去年も違うクラスだったからその辺も不明だね」
いつからケンカしていたのかも不明か。
「同じクラスになってビックリしたよ。赤澤さんが猫田さんを嫌ってるみたいな雰囲気出しててさ。女神に嫌われたくないから誰も話しかけられない状況なんだ」
「猫田が何かしたのか?」
「その辺りも全然。ただ、猫田さんが悪いことしたみたいな噂は聞くかな」
気分が悪くなる。
元々仲が良かったのに赤澤に孤立させられたわけか。手口はあの時と似ているな。油断していたらいつの間にか裏で工作され、噂を流されて悪者に仕立て上げる。
もやっとした。昔の自分と同じ境遇にある猫田を放っておけなかった。
なにより、ここで猫田を見捨てたら俺まであの悪魔達と同じクズになっちまう気がして気分が悪かった。
「よし、猫田と仲良くするぞ」
「本気?」
「だって可哀想だろ。単なるケンカで孤立って、原因もわからないのにさ」
「……確かにそれはあるかもしれないけど」
「睨まれない程度にするから大丈夫だって」
恩人を放ってはおけない。
早速行動を開始した。
◇
その日から猫田に構うようになった。
構うといっても過剰ではない。挨拶をして、たまに世間話をする。下校時に「また明日」と挨拶をするようにした。あくまでもクラスメイトであり、隣の席であるという関係性からは逸脱しない程度の距離感だ。
反応は芳しくなかった。
明るくてクラスのムードメーカーだったのに今では口を開くことも珍しくなっていた。生返事ばかりだ。
「おっ、今読んでる小説って今度アニメ化するやつだろ」
その日、猫田はいつも通り小説を読んでいた。
ちらっと見えた中身には挿絵があり、そこで内容を理解する。俺も愛読している人気ラノトノベルだった。
「……知ってるの?」
「愛読してるぞ。めちゃくちゃ面白いよな」
「虹谷ってこういうの読まないと思った」
「どうして?」
「いつも明るいから、ラノベとか読むタイプだと思わなかった」
「全然読むぞ。むしろ大好物だ」
ライトノベルにハマったのは中学の頃だ。
学校で白い目で見られていた俺が出来るのは小説を読むことくらいだった。かといって純文学を楽しめるほど大人ではなく、結果としてライトノベルにどっぷりとハマった。
猫田がラノベ好きになっていたことは驚きだが、何だかうれしい気持ちなった。
「他にはどんな本読んでるんだ」
「前にアニメ化された異世界でロボット作るのは面白かったよ」
「俺も見てたぞ!」
「あれ面白いよね。主人公が恰好よくて――」
猫田の声に勢いが付いた時だった。
「ねえ、ライトノベルが好きなら私ともお喋りしてくれるかな?」
突如として声が割り込んできた。
声の主は赤澤だった。
赤澤の姿を確認すると猫はバツが悪そうに手元のラノベに目を落とした。
「えっと……赤澤?」
「私も好きなんだ。ライトノベル」
おまえがどうして俺達の会話に入ってくるんだよ。
そもそもおまえがラノベ好きとか絶対嘘だろ。中学のときに俺がラノベを読んでたら「うわ、オタクだね」と小馬鹿にしてきた件は忘れないぞ。
落ちつけ、俺よ。動揺するな。こいつに俺の正体はバレていない。変に動揺すると正体がバレる危険性が高くなる。
心の中でひとつ深呼吸をして悪感情を吐き出す。
虹谷翔太としては赤澤とトラブルはない。単なるクラスメイトだ。だとしたらここでの対応は決まっている。
「赤澤もラノベが好きなのか?」
「大好きだよ」
「どんなのが好きなんだ」
「えっとね、私が好きなのは古い作品なんだけど――」
どうせ嘘だろ、と思って質問してみたら赤澤はタイトルをすらすら挙げていく。
新作というよりも往年の名作が好きらしい。俺がこっちに居た頃によく読んでいたものが多く含まれていた。
意外と趣味が合ってたんだな。
といっても良い印象など抱かない。むしろ嫌悪感が高まる。だってそうだろ。中学時代のこいつはよくラノベを読んでいた俺を馬鹿にしてきたのだ。
「私が好きなのはそういう感じかな」
「名作ばっかりだな」
「でしょ? そういうわけで、ライトノベルの話しよ」
ちらっと猫田を見る。猫田は諦めたように本を読みふけっていた。声は聞こえているだろうが、反応はない。
「別に話すのは構わないぞ。なら、ラノベ好きな猫田も入れて話そうぜ」
「えっ、えっと――」
露骨にあたふたした。
「どうした?」
「えっと、そのね」
「猫田とケンカしてるのか?」
直球で聞いてみると、赤澤の表情が曇った。
「どうしたの、急に」
「実は真広から聞いたんだ。昔は仲良かったって」
「……そだよ。ケンカ中」
赤澤はおもしろくなさそうに真広を睨みつけた。
睨まれた真広は焦った顔をして俺に視線を向けてきたが、気まずかったのでそっぽを向いた。悪いな、犠牲になってくれ。
「差し支えなかったらケンカの理由を教えてくれないか」
「気になるの?」
「隣の席の女子が暗い顔してたら気になるだろ」
隣の席の女子が元気ないのは嫌という真っ当な理由を添える。
一瞬だけ迷った素振りをした赤澤は観念したように口を開いた。
「……葉月ちゃんが私の大切な人を傷つけたからだよ」




