第4話 黒と白と虹色の水着
七月某日、俺はとあるレジャー施設を訪れていた。
女神と共にプールに行くという天華院学園の生徒なら誰しもがテンションアップ間違いなしのイベントが発生したからである。
しかし、天華院学園の生徒でありながら俺のテンションは朝から下がりっぱなしだった。ため息を連発して紫音から叱責を受けたくらいだ。
ショッピングモールの邂逅から数日。
プールに行くという話が出てスケジュールを確認すると、全員そこそこ暇だったらしく七月中に行くことになった。
で、当日。残念ながら全員参加だった。
どうにか欠席できないか考えてみたが、結局いい手は浮かばなかった。
気は乗らなかったが、紫音は昨夜からうきうきしていた。あの姿を見てしまうと今さら行きたくないとは言えなかった。憧れのお姉様と一緒に遊べて喜ぶ紫音を悲しませるのは兄としてダメだろう。
俺達の集団は移動中でもかなり目立っていた。
黒と白の女神、さらにはイケメンとして有名な白瀬八雲君がいる。紫音も贔屓目なしに可愛い部類である。
そりゃ目立つさ。目立たないわけがない。
今日は夏休みとはいえ平日なので人は比較的少ないらしい。それでも涼とか出会いを求める人で溢れており、都会の凄さを思い知らされる。
「……いい天気だな」
「ですね」
俺と八雲君は一足先に着替えを終え、女子達が出て来るのを待っていた。
「今日は任せてください。虹谷さんは俺が守ってみせます!」
「お、おお」
兄としては心強い言葉であるが、守るところはそこじゃないだろ。紫音よりも自分の姉を全力で守ったほうが良いと思うのだがな。人気的にも身長的にも。
この八雲という男はとてつもないハイスペックだった。
鍛えているようで体つきはガッチリしている。顔立ちは端整で、品もある感じだ。紫音の話を聞くとクラスの中心的な存在であり、リーダーシップもあるらしい。どことなく我が親友とイメージが重なった。
もっとも、紫音は八雲君に対して少し違う印象を抱いていたが。
『えっとね。イケメンだけど、挙動不審かな?』
とか言っていた。
俺はそうは思わない。
八雲君には挙動不審な点はなく、堂々とした立ち振る舞いであった。俺と違って通り過ぎる美女達にいやらしい視線を向けていない。むしろ美女達のほうがさっきからちらちらと八雲君を見て瞳を輝かせていた。
ちなみに俺の視線は先ほどから女子大生らしき集団から離れない。これはもう男の性だから仕方ないだろうな、うん。
……けど、まさか彼とプールに来る日があろうとはな。
昔は八雲君に対しても複雑な感情を持ったものだ。こうして隣に並ぶ日が来ようとは人生ってのはホントにわからないものだ。
「あの……虹谷先輩。昔の虹谷さんってどんな感じだったんですか?」
不意に話を振ってきた。
「昔の?」
「はいっ、共通の話題ですし」
俺と紫音は義理ではなく本物の兄妹という事にしてある。義理だからとあれこれ邪推されるのが鬱陶しいからだ。
だから八雲君は俺が過去の紫音を知っていると思っている。この質問はごくごく自然なものだ。
「俺のことは名前でいいよ。苗字だと紫音と被るからな」
「わかりました。翔太先輩」
「で、紫音のことだったか」
「はい……どんな子だったんですか?」
どう答えよう。
知っている情報など皆無である。紫音は白瀬の家に行ったことがあるとか言っていたし、八雲君とも面識があるかもしれない。昔のことなら彼のほうが詳しいかもしれない。とはいえ義理の兄妹とバレるわけにはいかない。
「……地味かな」
「地味?」
「あいつは結構地味なタイプでさ。まあ、家だと生意気だったけど外では人とお喋りするのが苦手なタイプではあったな。打ち解けたら積極的になるんだけど、打ち解けるまでには時間が掛かったりするかな」
知ったように語る。
頭に思い浮かべたのは黒峰のことだ。
勝手に似たタイプだと思い、そう言ってみた。あながち間違ってはいないはずだ。実際に家での紫音はスマホを弄るか、少女漫画を読みふけっていることが多い。小説も好きと言っていた。インドア派であることは確実だ。
「それから料理が得意だぞ」
「っ、料理が出来るんですね」
「お、おう……かなり美味いぞ」
実際、母と共によく料理を作っている。腕前はかなりのものだ。料理ができない俺からしたらそれだけで尊敬に値する。
八雲君は目をきらきらさせていた。
「いいですね。俺もいつか――」
と、言いかけたところで。
「お待たせっ!」
ポンッ、と肩を叩かれた。
振り返ると紫音が立っていた。
紫音が纏っていたのは先日、ショッピングモールで購入した青色のビキニだ。シンプルな水着だったがよく似合っていた。
我が義妹ながら素材がいい。健康的な印象を受ける。非常によろしい。
「……似合ってるかな?」
「似合ってるぞ」
俺がそう言うと紫音は満足そうに笑う。
人生初のビキニと言っていたが、十分イケている。もし兄妹でなければジッと眺めているくらいには魅力的だった。
「あれ、他の二人は?」
「先に出てきたの。だってあの二人と一緒じゃきついし」
「……そうか?」
「女神様と一緒に登場したら紫音は霞むからね。それに、お姉様の水着姿はちゃんと完成した状態で見たかったから」
変なこだわりだな。
それから紫音は俺の隣に視線を向ける。
「白瀬君の感想を聞きたいな。紫音の水着姿どう?」
問われた八雲君は固まっていた。
どうしたんだ?
「あ、あの……素晴らしいっ。まさに芸術だよ」
うん?
「芸術?」
「こっ、こんな女神みたいな人が実在するのかって思ったよっ」
「女神は白瀬君のお姉ちゃんだよ?」
「いや、俺が言いたいのはあくまでも比喩表現で――」
先ほどまでの落ち着いた印象はなくなり、明らかにテンパっていた。顔を真っ赤にして、身振り手振りでどうにか美しさを表現しようと頑張っている。
……あれ、こいつもしかして紫音が好きなのか?
恋愛事に関して別段鋭くないが、決して鈍くもないつもりだ。
八雲君の態度は明らかにおかしい。というよりも、これは完全に好意を寄せているタイプの反応じゃないだろうか。いやでも、分かりやすすぎるだろ。
『えっとね。イケメンだけど、挙動不審かな?』
ああ、納得したよ。
あまりにも分かりやすい八雲君に若干引いていると、周囲の空気が変化したことに気付いた。
鬱陶しい程の喧騒がぴたりと止まり、直後にざわついた。
「うわっ、なにあれ超可愛い!」
「人形みたい」
そんな声が鼓膜を震わす。
喧騒の中を歩いてきたのは白瀬真雪だった。周囲の視線を一身に集めた小柄な少女がこちらに近づいてくる。
白のバンドゥビキニだった。たっぷりとフリルをあしらい、水着というよりはビキニタイプのメイド服のようにも映った。ロリータ風のビキニとでも表現すればいいのだろうか。髪はツインテールにしていて――
あざと可愛いを全身で表現していた。
白瀬はそのまま八雲君に近づいた。
「どうかな、八雲?」
「うん。いいと思うよ。姉ちゃんっぽい」
素っ気ない対応だった。とはいえ、実の姉弟なら普通の反応だろう。
何故か白瀬は露骨にテンションが下がっていた。
「……虹谷さん、わたくしの水着はどうでしょう?」
「あっ、おう。似合ってると思うぞ」
「ありがとうございます」
無機質なお礼を言った白瀬は暗い息を吐いて俯いた。
何だこいつ?
そういえばプールに誘ってきた時も絶望的な表情をしていた。着替えるまではテンション高いと思ったら急にこれだ。
小首を傾げていると、落ち着きを取り戻してきたプールが再び騒然となった。ざわつきは先ほど白瀬が登場した時よりも遥かに大きい。
「……」
予想はしていたけどな。
数多の視線と共に黒峰が歩いてきた。
ここはあえて「降臨した」と大仰な表現をしておくとしよう。
黒峰は無地の黒ビキニだった。スタイル抜群の黒峰が着ると破壊力抜群だ。光沢のある長い黒髪、白く穢れのない肌、そして黒いビキニというコントラストが美しさすらあった。
……あの地味子がこうなるとはな。
男の理想とも言うべき肉体に俺の視線も離れない。細いウエスト、長く伸びた脚、柔らかいヒップライン、豊満な胸元。出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる。
プールに舞い降りた黒の女神に周囲の視線がくぎ付けだった。まるでスーパーモデルが現れたかのような騒ぎだ。
改めて思い知らされる。我が校の誇る【4色の女神】は伊達ではないと。
まあ、一番メロメロだったのは――
「素晴らしいですっ! これはもはや芸術です!」
紫音である。
自分が褒められた時は芸術って言葉に首を捻っていたのに黒峰を賞賛する言葉がそれはどうかと思うぞ。
「だ、大丈夫だよっ。虹谷さんも負けてないから!」
何故かこのタイミングで八雲君が紫音を褒める。
「むぅ、紫音がお姉様に勝てるわけないでしょ。というか、勝ちたくないんだよ」
「えっ」
「いいかな? お姉様こそ至高なの。紫音を褒めるならまずはお姉様を褒めて」
「な、なるほど。黒峰先輩は本当に素晴らしい女神で――」
八雲君が黒峰を褒めだしたところで近くから「ちっ」と舌打ちが聞こえた。気のせいだと思うから流しておいた。
「……」
「……」
黒峰と目があった。
途端、胸を隠すような仕草を見せた。
おい、それじゃまるで俺が変態みたいじゃねえか。
何となく変態扱いされた気がしたので視線を背けた。背けた先には先ほどの女子大生達がわいわいと話していた。華やかな雰囲気に心が癒された。
だが、次の瞬間。黒峰が俺の視界を覆った。そして俺の耳元に近づいた。
「……あの、どうですか?」
っ、急に地味子スタイルで話しかけるな。
「人生初ビキニなんです。ちょっと恥ずかしいんですけど」
「……あんま無理するなよ」
「似合ってないですか?」
「…………似合ってる」
悔しいが嘘を吐きたくなかった。
俺は慌てて視線を外し、その場から離れた。
その後、黒峰は紫音にべたべたされながらあらゆる言葉で褒めちぎられていた。そんな紫音を八雲君が褒めるというどうにもコントのような光景が目の前で展開された。
「……」
あれ、そういえば白瀬は?
視界にいなかった白瀬は壁の花になっていた。楽しそうな三人をジッと見つめている。
八雲君の様子を見るかぎり俺の予想は間違っていたのだろう。白瀬は弟とデキてなどいない。恐らくだけど過去にもそういったことはなかったと思う。過去に何かしらの関係があれば姉弟関係を続けるのも困難だろうし。
……ってことはアレだな、あの時も俺と別れるために弟を利用したってところか。
そこに関してはもういい。
問題は今のこいつの態度だ。こいつは何がしたいんだ?




