第3話 黒と白と虹色の絶望
黒峰月夜が近づいてくる。
天華院学園が誇る【4色の女神】の一角であり、黒の女神と称される存在。学園ではクールでサバサバした姿から女子に圧倒的な人気を誇る。その正体は陰キャの地味子だ。本人は表と裏の性格に悩まされているらしい。
現在は髪を下ろし、メガネを外して化粧をした学園スタイルだった。
飾り気のないシャツにパンツというシンプルな服装であったが、長身でスタイルのいい黒峰が着ると立派なファッションに映る。
「偶然ですねっ、お姉様」
きゃっきゃとはしゃぐ紫音が近づいてくる黒峰に飛びついた。
紫音の背丈は大きいほうではないが、黒峰と一緒にいるとテンションの差もあって大人と子供のように映って仕方ない。
やはり黒峰は紫音のことを随分と可愛がっているらしく、優し気な笑みを浮かべていた。ポンポンと頭を軽く叩いた後に優しく撫でる。その姿はもう完全に母と娘にしか見えなかった。
そんな二人の様子に俺の心は落ち着きを取り戻していく。
黒峰は俺のほうを向いた。
「……おっす」
「おう」
こっちのスタイルの黒峰のほうが緊張しなかったりする。姿が過去と違いすぎるからだろう。脳が別人と判断しているのかもしれない。
「黒峰は買い物か?」
「ぶらりとね。そっちこそ兄妹で仲良く買い物?」
「まあな」
黒峰の手には見知った袋がある。どうやら服を買いに来たらしい。
「お姉様っ、今日の用事って買い物だったんですね!」
「欲しい服あったんだ」
「だったら紫音も誘ってほしかったです」
「……悪いね、買い物は一人でしたいタイプなんだ」
偶然の遭遇ではあったが、紫音が一緒で助かった。
しばらく黒峰と紫音はおしゃべりをした。
俺は近くにあるベンチに腰かけて仲睦まじい二人の様子を眺める。
二人は連絡先を交換してちょくちょく連絡を取り合っていたが、夏休みが始まってから初めての出会いらしい。紫音は夏休み開始から数日間の出来事を嬉しそうな顔で話していた。
話が長くなりそうだ。先ほど起動できなかったアプリのログインボーナスを貰おうとポケットのスマホに手を伸ばした。
丁度その時だった。
「――あら、奇遇ですわね」
聞き覚えのある声に振り向くと、背後に白瀬真雪が立っていた。
◇
白瀬の登場に俺は固まった。
天華院学園が誇る【4色の女神】の一角であり、白の女神と称される存在。社長令嬢であり、小柄であざといところが特徴的。しっかりしているようでドジっ子な点があり、多くの男子から人気を集めている。
不意打ちだった。
予期せぬ登場に困惑していると、白瀬の存在に紫音が気付いた。黒峰にひと言断ってから、とことこ近づいてきた。
「白瀬先輩、お久しぶりです」
「……ごきげんよう、紫音さん」
白瀬はぎこちない笑みを浮かべた。
「先輩は相変わらずめちゃくちゃ可愛いですね」
「ありがとうございます……紫音さんは中学の頃に比べて随分と垢抜けましたね。見間違えましたわ」
「えへへ、高校デビューです」
この二人って知り合いなのか?
俺は紫音の肩を叩き、耳に近づいた。
「……白の女神と知り合いなのか?」
「あれ、お兄ちゃんに言ってなかったっけ。紫音は白瀬先輩と同じ姫宮女学院出身で、先輩とは部活が一緒だったんだよ。家にお邪魔したこともあるんだから」
初耳だった。
俺よりも白瀬について詳しかったのか。それは朗報なのか、あるいは悲報なのか。間違いなく悲報だろうな。
「というか、お兄ちゃんこそ白瀬先輩と知り合いだったの?」
「まあ、一応な」
どう答えていいのかわからない。あいつとの関係性だが、友達ってことになっている。少なくともあいつはそんなことを言っていた。弟には恋人に思われてるとか何とかも言っていた気がするけど、その辺りは俺には関係ない。
などと話をしていたら。
「あら、黒峰さんじゃありませんか」
「……ちっ」
「相変わらず愛想がないですわね」
「うっせぇ。気安く話しかけんなっ」
相変わらず仲が悪いらしい。
黒峰の態度は先ほどと打って変わり、完全にケンカ腰だった。
しかし白瀬はそんな黒峰に興味もない感じだった。くすくすと笑って相手にしていない。
「ところで、紫音さんは兄妹でお買い物ですか?」
「はい。水着を買いに」
「……水着?」
白瀬はちらっと俺のほうを見た。それから紫音を見て、さらには黒峰のほうに視線を移した。
数秒程固まった後、なにかを閃いたといった感じの顔になる。
「よろしければ、後日この面子でプールに行きませんか?」
とんでもない提案が飛び出した。
「はぁ?」
「はぁ?」
黒峰と俺の声が重なった。
「水着を買いに来たんですよね。ここで出会ったのもなにかの縁でしょう。黒峰さんと紫音さんは仲良しみたいですし、わたくしと虹谷さんも友達です。ならば遊びに行っても全然おかしなことはないでしょう」
待て、そいつはやばい。
いくら何でも突然すぎる。この面子でプールとか俺の精神が持たない。絶対に行くわけない。
「俺は――」
「わぁ、いいですね。七月中に行くなら紫音とお兄ちゃんは絶対参加です!」
おい待て、義妹よ。
俺は紫音の腕を引っ張って陰に移動する。
「勝手に決めるな」
「えっ、だってお兄ちゃん予定ないって言ってたでしょ?」
「それはそうだが――」
「お兄ちゃんは彼女いないんだし、これはチャンスだよ」
「……」
「っていうか、白瀬先輩と友達だったんだね。超チャンスじゃん。相手は女神様だし、一緒にプール行けるなんて普通ないんだよ。悩む必要なくない?」
無邪気な顔で小首を傾げる。
そう、そうなのだ。
紫音の意見はとても一般的なものである。
我が義妹は俺の過去を知らない。だからこの二人と近づきたくないという俺の気持ちなど理解できるはずもない。
当然、過去のことを言うつもりはない。元々なかったが、紫音が黒峰と仲良しになったことで余計に言えなくなった。もし、女神のドス黒い本性を知ったら紫音がどう暴走するか想像できない。
俺としては可愛いこの義妹の生活に余計な負担を掛けたくない。
――女神とプール。
このイベントを拒否する男子生徒は天華院学園に果たしているのだろうか。女子だって行きたい奴が多いはずだ。
紫音は俺に彼女がいないと知っている。だから、これは兄に対する気遣いでもある。つまりは優しさだ。
だからこそ始末に悪い。善意には怒れない。おまけに七月中は暇だと、さっき自分の口で言っちまった。ここで断るのは不自然だし、その不自然さから調べられると最悪の事態になりかねない。
……どうにかしないと。
「あっ、なるほどね。お兄ちゃんは男がソロだからきついんだね」
「そ、そうなんだ!」
ナイスアシストだ。
うむうむ、そうじゃないか。冷静に考えれば女性が三人に男性が一人はバランスが悪い。黒峰が参加するとは言っていないが、もし参加したらバランスが悪いのは間違いない。
「男一人に女三人はちょっと気まずいだろ。それに、学校の連中に見つかったりしたら面倒な騒ぎになりそうだし。俺がハーレム作ってるみたい殺意を向けられるぞ」
「確かに」
「だからここは女性陣だけで――」
行ってくれ、と言いかけたところで「あっ」と紫音は何かを見つけて駆け出した。
俺と白瀬と黒峰はその方向をジッと見つめる。紫音は誰かと話しているようだ。そして、言葉をいくつか交わした後で男を引っ張ってきた。
長身でイケメンのその男には見覚えがあった。
隣から「げっ」と声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
「暇そうにしてた男をゲットしてきたよ。彼は同じクラスの白瀬八雲君。そこにいる白瀬先輩の弟君だよ。他人じゃないし、白瀬君なら連れていっても大丈夫でしょ」
エッヘン、と紫音が胸を張る。
突然のことに戸惑っている八雲君に向けて紫音は続ける。
「白瀬君、こっちは紫音のお兄ちゃんだよ」
俺を紹介しやがった。
突如紹介されて困惑したのは八雲君よりもむしろ俺のほうだ。ただでさえ女神二人と同時に接触して頭が混乱しているところに新しい爆弾が投下された。
彼と俺の関係性はどうにも表現しにくい。
中学時代に白瀬と交際していた際には本命彼氏として現れた。その後、白瀬の弟だと判明した。でもって現在、彼は俺と白瀬が交際していると思っているらしい。言葉にするとめちゃくちゃややこしい関係である。
「は、初めましてっ」
イケメンが俺の前で頭を下げる。
実際には初めましてではない。いや、言葉を交わすのは初めましてになるわけだが俺はこいつをよく知っている。
「……初めまして。二年の虹谷翔太だ」
「一年の白瀬八雲です」
「紫音が世話になってるみたいだね」
「いえ、いつも虹谷さんに助けられてばかりです。しかし、虹谷さんにお兄さんがいるなんて知りませんでした」
……えっ?
おかしくないか?
彼は俺と白瀬が恋人同士だと思ってるんじゃないのか。以前、白瀬とデートした時にそのような話になったはずだろ。虹谷って苗字は珍しいから普通はわかるはずだ。
だが、俺は空気を読む。
ここは何も知らないままで振舞ったほうがいい気がした。少なくともそのほうが余計な騒動に発展しない気がした。
「紫音とは違う中学だったし」
「なるほど、中学が別だとそういうことありますよね。俺も姉ちゃんとは違う中学だったんですが、天華院に入学してから弟だと知られて大変でした」
「あはは、そっかそっか」
こういう時、どういう顔をすりゃいいんだよ。
俺は苦笑いを浮かべるしかできなかった。
「……」
その様子を静観していた黒峰が大きく息を吐いた。
「あっ、あの……お姉様も行きますよね?」
まだ望みはある。
こうなったら頼みは黒峰だ。こいつが行かないといえば紫音のテンションは下がりまくりだろうし、行かない方向に話を持っていけるはずだ。
黒峰はコンプレックスを持っている。昔から胸が大きいのが悩みと言っていたし、中学時代は水泳の授業に参加するのが嫌で仕方ないと愚痴っていた。だから断ってくれる可能性は高い。
困惑の色を浮かべている黒峰と目が合う。その後、黒峰は紫音を見てから白瀬を睨みつけた。
「……わかった。行ってやる」
マジか。断ってくれよ。
「やった、月夜お姉様とプールだ!」
「……」
行くとは言ったもののとてもじゃないけど黒峰のテンションはプールに行く前のものじゃなかった。俺と同じか、いやそれ以上に絶望していた。
よくわからんけど嫌がらせか?
女神連中は何故か仲が悪いし、白瀬はこうなることがわかってて誘ったのか。だとしたら性格悪すぎだろ。白いのは名前だけだな、おい。
……白瀬さん?
誘ったはずのおまえがどうしてそんな絶望的な表情を浮かべているのか説明してくれ。そういえばさっきから全然喋ってなかったな。
姉とは対照的に八雲君は嬉しそうな顔をしていた。
そうだよな、興奮するよな。
普通の感覚ならばそうなのだ。姉である白瀬との関係は俺にはわからないが、少なくとも女神である黒峰とプールに行けるとかテンションが上がるはずだ。それが普通だ。
「誘ってくれてありがとう。虹谷さんや、先輩達とプール行くの楽しみだよ」
「だね。紫音もお姉様とプール行けるの楽しみ」
八雲君と紫音はニコニコしていた。
「……」
「……」
「……」
俺と黒峰と白瀬はそれぞれ死にそうな顔をしていた。
五人中三人が絶望に顔を染めるというカオスな状況の中、プール行きが決定した。




