第2話 虹色の家族と紫色の妹
「おう、いらっしゃい」
俺は寝転びながら手を上げて来訪者を歓迎する。
視界に映ったのはラフな服装をしたギャルっぽい少女だ。母親の再婚相手であり、新しい父の連れ子。俺からしたら義理の妹である。
ここでポイントになるのはあくまでも”ギャルっぽい”という点である。
ギャルの定義について様々な意見があるだろう。俺にとってギャルとは「濃いメイク・明るい髪色・派手な服装」の三拍子が含まれている少女に適用する言葉である。
そういった意味で紫音はギャルとは言い切れない。
確かに髪の色は茶髪だし、薄いメイクをしている。しかしそれだけだ。服を着崩すわけでもないし、授業はマジメに受けているし、敬語だって使える。ピアスも開けていない。
だからギャルではないのだ。
兄妹になってまだ三か月程度なのでそれほど詳しいわけじゃないが、前に中学時代の画像を見せてもらったことがある。
その頃の紫音は素朴だった。何となく過去の黒峰のような地味具合だ。あそこまで凄まじい変化ではなかったが。
雑な言い方をすれば高校デビューである。
「……お兄ちゃん、ニートみたいになってるじゃん」
そんな義妹が部屋に入るなり、第一声がそれであった。
確かに寝転びながらスマホアプリに熱中する俺の姿は健全な学生像とはかけ離れているだろう。否定はしない。
「まあな」
「まあな、じゃないでしょ。だらしないよ」
「別にいいだろ。夏休みくらい」
紫音は呆れたように嘆息した。
「で、どうしたんだ?」
「ああそうだ、これから買い物に行くんだ。でね、暇だったらお兄ちゃんに付いてきてほしいなって」
「……忙しいからパス」
「全然忙しく見えないんだけど」
わからないとは嘆かわしい。
俺はこれから本気出してアイドルをプロデュースしなければならない。その後、別のアプリを起動してログインボーナスを貰わなければならない。忙しいに決まっている。ついでに宿題もしなくちゃいけないし。
「買い物なら母さんと行けばいいだろ」
「今日はお父さんとデートだって」
「仲のよろしいことで」
「まだ新婚さんだから仕方ないよ。だから、紫音としてはお兄ちゃんを頼りたいわけです。荷物持って欲しかったりもするんだよね」
紫音は手を合わせて――
「お・ね・が・い」
甘ったるい声を出した。
先に断っておく。俺は紫音にとてつもなく甘い。
これまでの人生において女難の相でも出ているんじゃないかってくらいの生活を送ってきた自覚がある。だから紫音と初対面の際にビビッていたが、紫音は初対面から優しかった。
その頃はギャルになりかけって姿をしていたわけだが、緊張していた俺を気遣ってくれたりした。その優しさがありがたくて、俺は兄としての役割を立派に勤め上げようと密かに決意した。
あの悪魔共に目を付けられないように振る舞っている最大の理由は紫音だ。俺を兄と慕ってくれるこの子に被害が及ぶことだけは避けなければならない。
紫音だけじゃない。
新しい父親も非常に出来た人物であり、俺の中にあった新しい家族に対する警戒心みたいなものはすっかりなくなっていた。今では虹色に輝く家族の一員になれて幸せと言える。
とはいえ、相手は今まで面識のなかった歳の近い少女だ。
最初どう接していいのかわからず変に距離が開いてしまった。近い世代の女の子といきなり同居するって言われたら普通そうなる。
紫音も最初はそうだったらしく、お互いに気まずかった。特にトイレとか風呂でニアミスした時はどうにも言えない空気が漂ったものだ。
しかし生活していくうちに触れ合いは増えていった。
黒峰と俺が接点を持ち始めた辺りから家の中でも頻繁に喋るようになった。俺と黒峰に交際の噂が出たとき、初めてこの部屋に入って尋問されたことは記憶に新しい。それからだったな、紫音との距離が縮まったのは。
「……わかった、手伝うよ。どうせ暇だし」
「やっぱり暇じゃん」
「嘘ついて悪かったよ。ちょっとアプリゲームに夢中になっちまっただけだ。七月中はこれといった用事もない」
「気持ちはわかるからいいよ。紫音もスマホを手に入れた時はそうだったし」
紫音はニコニコしながらそう答えた。
「今日はよろしくね、お兄ちゃん」
「おうよ。で、なにを買うんだ?」
俺の質問に紫音は少しだけ考える素振りをしてから。
「水着だよ」
照れ笑いを浮かべながら言った。
◇
やってきたのは近所にあるショッピングモール。
こっちに戻って来てから過去のトラウマもあって外出は控えていた。だからここに来るのも数年ぶりである。相変わらず多くの人でごった返している。都会の人の多さに改めて驚かされる。
「今度クラスの子達とプールに行くんだ。けど、紫音が持ってる水着は地味なのしかないから新しいの買おうかなって」
聞けば友達とプールに行くらしい。
で、水着を購入する。俺が呼ばれたのは男の目線からおかしくない水着か否かをチェックしてほしいってところだろうな。ついでに荷物持ちをさせようという腹積もりだろう。
クラスの友達と聞いて安堵した。紫音は高校生活を上手くやっているらしい。たまに見かける時も黒峰の追っかけをしている時だから友達がいないのかと不安だったが、この分なら問題なさそうだ。
「お兄ちゃんはプールとか行かないの?」
「行かないな。誘われてもないし」
「うわっ、寂しい高校生活」
「やかましい」
その後、くだらない話をしながら目的の店に向かう。
紫音は道中にあるいろいろな店に興味を示した。可愛い小物だったり、化粧道具だったり、ぬいぐるみ等に瞳を輝かせている姿は見ていて気持ちがほっこりした。
「……はぁ、いつか月夜お姉様とプール行きたいな」
ふと、そんな呟きが聞こえてきた。
月夜お姉様というのは黒峰のことだ。
紫音は黒峰の取り巻きをしている。派閥と呼ばれるファンクラブに属しており、数多くいる黒の派閥の中でも特に気に入られているらしい。黒峰と共に行動している姿をよく見かける。
その関係もあって俺が黒峰とまともに会話している唯一の男子、と周囲の連中は思っている。実際には単なるバイト仲間なわけだが。
バイト先に黒峰がいることに関しては紫音に伝えていない。伝えたら面倒な事態になるのは目に見えているからだ。
「唐突だな」
「お兄ちゃんも月夜お姉様とプール行きたいでしょ?」
「……別に」
「強がっちゃってさ。ホントは行きたいくせに。月夜お姉様ってば顔だけじゃなくてスタイルも抜群なんだから」
強がってもないし、実際に行きたくもない。
「素朴な疑問だが、紫音はいつ黒峰と知り合ったんだ?」
気になっていた。
紫音がどこの中学出身か聞いていないが、東部中でないことは確実だ。黒峰と知り合ったのが天華院学園だったとしても、俺が転校してきた時にはすでに取り巻きをしていた。
俺の転校は四月下旬だ。入学してからまだ数週間しか経過していない時期だ。いくら何でも早すぎるだろう。
「知り合ったのは天華院に入ってからだよ」
「含みのある言い方だな」
「紫音がお姉様のことを知ったのは中学時代だからね」
「……その言い方だと同じ中学だったのか?」
あえて知らないフリをする。
紫音は俺が元々こっちに暮らしていたことは知っているが、どこの中学だったのかは知らないはずだ。
恐らくだが、紫音は俺のことを複雑な事情を持った人間だと考えているはずだ。中学から親の元を離れて生活していたわけだしな。
そういった意味でも紫音は優しい。また、とても頭のいい子だ。俺の過去を詮索しようとしないし、本当の兄のように接してくれている。もしかしたら同じ片親だった紫音も様々な苦労と問題を抱えていたのかもしれない。新しい父は優しいが、仕事が忙しかったりする人だから。
「ううん、違う中学」
「でも知ってたんだろ」
「お姉様は紫音がいた中学でも超有名人だったんだよ。美人で刺々しくて、近づいてくる男子を蹴っ飛ばしたとかって噂も聞いたな。紫音が中三の頃、たまたま見かけたことあったんだけど颯爽としてて素敵だったんだ」
昔からの憧れね。
学園内での黒峰の行動を見れば確かに美人でクールだし、憧れる気持ちは理解できなくもない。
しかし個人的には結構複雑だったりもするわけだ。
女神達の本性を知っている俺からしたらなるべく近づいて欲しくない相手ではある。過去にされた経験がある俺だから言えることでもあるのだが。
ただ、黒峰に可愛がられている今の状態で離そうとするのは逆効果だろう。紫音には恨まれるし、黒峰からも不審がられるに決まっている。
「……他の女神達とはどうなんだ?」
「どうって」
「話したりするのか?」
「えっと、実は――」
その時だった。
「あっ、月夜お姉様っ!」
突如として紫音が大声を上げた。視線の先に立っている黒峰の姿を認識すると、自分の喉がごくりと鳴ったのがわかった。




