白色の独白 前編
冷房の効いた部屋の中で幸せを感じながら、わたくしはとある家を見つめていました。
特に理由などありません。あの家に暮らす人間と少し関わったとしても、わたくしにとって重要なのはたった一人の男性だけです。
順風満帆な人生でした。
お金持ちの家に生まれ、容姿にも恵まれました。発育の面では不満もありますが、それも今では自分の強みだと誇れるようになりました。
姫宮女学院に入学したわたくしはすくすくと育っていきました。
成長するにつれて周囲の話題は少しずつ恋愛方面がメインになり、校内では憧れの先輩などについて話すようになりました。
学校でのわたくしは小柄だったので少し目立ったものの、それ以外は概ね普通といっても差し支えなかったと思います。いじめなどの問題もなく、友達もそこそこいました。学校は楽しい場所でした。
しかしある日、生活は一変しました。
お父様が経営をしている会社が大変な状況になったそうです。あの時は両親もストレスが溜まっていたのか家の中が殺気立っていたのが子供ながらにわかりました。
両親はわたくしと弟をおばあ様に預けました。
おばあ様はとても厳しい方で、様々な習い事をさせられました。また、習い事だけでなく勉強にも力を入れるように言われ毎日くたくたでした。逆に弟はおばあ様に可愛がられていました。
後で知ったのですが、おばあ様はお母様のことが嫌いだったようです。お母様に似ていたわたくしも嫌いだったのでしょう。
ここでの生活がわたくしの性格を若干歪めました。
中学生になる頃、おばあ様が亡くなって習い事地獄から解放されました。
その頃になると両親の顔は穏やかになっていました。どうやら仕事のごたごたが片付いたようです。仕事に追われていて済まないと申し訳なさそうな顔をしていたのは印象的でした。
窮屈な生活から解放されると、おしゃれやドラマ、歌にアイドルといった女の子らしいものに興味を持ちました。その中でも恋愛には特に強く惹かれました。白馬の王子様と運命的な出会いを願っている夢見がちな一面もあったことは否定しません。
わたくしにとって最も身近な異性は弟の白瀬八雲でした。
八雲は近所にある小学校に通い、そのまま中学に進学しました。昔から身長が高く、わたくしと違ってスポーツ万能です。
姫宮女学院に初等部から通い、身長が伸びず、スポーツが苦手なわたくしとは何もかもが正反対でした。
「……」
ある頃から八雲に対し、特別な感情を抱くようになりました。
とはいえ、その頃はまだ自覚がありませんでした。初等部から女子校に通っていたので、中学生になっても男子と話した経験は皆無でした。だから自分の気持ちがよくわかりませんでした。
相変わらず両親は忙しくしており、わたくしは八雲の面倒をみていました。
その時間は本当に楽しいものでした。
勝手にはしゃいで、疲れて眠ってしまう子供っぽい姿に母性がくすぐられました。
次第に独占したい気持ちが湧き上がってきました。友達と遊びに行くという八雲の後をつけたり、友好関係を調べたりしました。八雲が学校でモテモテだとわかり黒い感情が芽生えました。
その頃、自分の恋心を自覚しました。
同時に八雲から特別な感情を向けてもらいたいと思うようになりました。
雑誌やネットで男性の落とし方を研究しました。
男子はあざとい女が好きという情報を手に入れ、低身長を利用した上目遣いやドジっ娘の要素を積極的に取り入れました。まあ、ドジに関しては元々運動神経が皆無だったのであながち狙ってはいないのですが。
すべては八雲に好かれるために。
ですが、いくら上目遣いをしても無意味でした。ドジっ娘アピールするためにわざと転んだりしても反応は芳しくありません。転倒したら身内として心配してくれるものの、それ以上の効果はないといったところです。
センスがないのでしょうか?
もどかしい感情に振り回されたまま生活していたある日、八雲にそれとなく近づきました。
軽く手をにぎり、ついには姉弟のスキンシップと言いながら頬に口づけするようになりました。とうとうガマンできなくなり、唇を奪おうとしたら。
「……ちょっ、近いって。俺と姉ちゃんは姉弟だろ!」
拒絶されました。
わたくしは自分の気持ちを八雲に伝えていません。あくまでも姉弟のスキンシップと言い続けてきました。だからその時も。
「はいはい。冗談ですよ、冗談」
と、お姉さん風を吹かせました。
ですが、内心では八雲の言葉に強いショックを受けました。
確かにそうです。
実の兄妹は結婚できません。口惜しいことにわたくしが総理大臣にでもならなければ変えられない法律という壁が存在します。
拒絶されたショックのあまり塞ぎ込みました。初めての挫折でした。
拗ねたわたくしは軽く自暴自棄になりました。不良になってやろうと、学校の帰りに寄り道をしました。
立ち寄ったのは近場の公園。
公園をぶらぶらしていたわたくしの目に映ったのは同世代の男子生徒でした。名前も知らないその人に気付くと声を掛けていました。
見た目は陰気な方でした。
テレビやネットで見かけた知識でナンパをしてみると、ふしぎと上手くいきました。
男子と話すのもほぼ初めての経験でした。その人は強引だと言っていました。どうやらわたくしの迫り方は少し強引だったようです。男性との会話経験は家族くらいのもので、男性との接し方がよくわからなかったと言い訳をさせていただきたいところです。
彼はとても優しい方でした。わたくしの拙い話を嫌な顔せずに聞いてくれました。物腰も大人しくて、見た目以外は八雲にそっくりだと感じました。
その日、帰宅すると八雲はわたくしの心配をしてきました。
「姉ちゃん、今日は遅かったみたいだけど?」
八雲の顔が曇っていました。
嫉妬?
もしかしてと思いながら、わたくしは翌日以降も彼と会いました。家に戻ると八雲は心配そうな顔をしていました。
確信しました。
八雲もわたくしに少なからず特別な感情を抱いている、と。
まあ、実際には違ったわけですけどね。
しかし勘違いしたわたくしはある計画を立てました。
……あの人を利用して八雲と関係を深めましょう。
わたくしの心に魔が差した瞬間でもありました。それからわたくしは公園に通い、例の男子と関係を深めていきました。当然弟のことは黙っておきながら、これまで鍛えたあざといテクニックを使っていきました。
振り返ると穴だらけでした。あの頃は自分の話をするばかりで、相手の話を聞くという配慮が出来ませんでした。
そして、バレンタインの日――わたくし達は恋人になりました。
そこで相手の名前が判明しました。
無川翔太さん。初めての彼氏でした。
といっても、あくまで八雲に特別な感情を持ってもらうための偽装です。
わたくしの作戦とは八雲を嫉妬させて恋心を芽生えさせることです。彼氏が出来たといえば動揺してくれるはず。姉を盗られるという気持ちが働いてくれれば、と考えていました。
今にして思えばどうにも頭の悪い作戦でしたが、当時は本気でそれでうまくいくと思っていました。
ですが、その計画は全然関係ないところで発生した大波によって無に帰しました。
◇
翔太さんと恋人になった数日後。
「……はい?」
困惑するわたくしにお父様が説明を始めました。
突然お見合いをするように勧められたのです。
大企業のお坊ちゃまが結婚相手を探しているという情報が入り、お父様はわたくしをその男性と結婚させたいと述べました。
ふざけている。だってわたくしは八雲が好きなのに。
もしかしてお父様はわたくしの気持ちに気付いているのでしょうか。だからこんな酷い仕打ちを。
ですが、当時のわたくしに出来ることはあまりにも少なかった。
弟が好きという感情を持っていましたが、常識はありました。弟と結婚はできません。悩み抜いた後、お父様の話を受けることにしました。
それにあたって問題が発生しました。翔太さんの存在です。
八雲を焚きつけるために交際した関係ですが、お見合いをするのであれば別れる必要があります。しかし別れることなど計画していなかったのでどう別れていいのかわかりませんでした。
「八雲にお願いがあります」
「お願い?」
「はい。実は――」
後で振り返るとこれは大失敗でした。
わたくしは八雲に恋人のフリをしてもらい、翔太さんと別れました。
そのどさくさに紛れて八雲とイチャイチャすることに成功しました。あくまでも恋人役ですが、八雲の腕に絡みついているときは幸せで頭がおかしくなりそうでした。
あの時のわたくしはそれがどれだけ罪深く、どれだけ相手を傷つける行為なのかわかっていませんでした。
そして、例え偽りの関係でも好きな人と恋人になったことでどれほど気持ちが燃え上がるのか全然わかっていませんでした。
翔太さんはわたくしの悩みを聞いてくれた優しい方。きっとすぐにもっと素敵な人と出会えるでしょう。当時はそんな風に思っていました。
別れから数日が経過し、お父様から衝撃的な内容を告げられました。
お見合いは流れました。相手の方にはすでに心に決めた方がいたらしいです。元々心に決めたお相手がいて、その方と結婚したいと言い出したそうです。
激しい怒りを覚えました。
様々な感情を呑みこみ、お見合いの話を受ける覚悟をしたのにお父様はわたくしの人生など全く気にしていない様子でした。
これ以降、お父様との関係は悪化しました。
「姉ちゃん、あの人って彼氏じゃなかったの?」
「えっと……そのね」
「別れたい理由は知らないけど、嘘は良くないと思うんだ。俺をダシにしないでくれよ」
翔太さんとの別れ方について八雲は自分を理由にされたことに憤慨していました。考えてみれば当然でしょう。
八雲には翔太さんに対して恋心がないと言っていません。それを言うと余計に嫌われてしまう気がして黙っていました。
「大体、あの別れ方だと彼氏が可哀想じゃん」
この一件を転機に八雲との関係も少し拗らせてしまいました。
それはわたくしにとって非常に辛い傷になりました。なにせあの一瞬、恋人のフリをした一瞬で八雲に対しての感情がとても大きくなってしまったからです。嫌われてしまったかも、と心がざわついて仕方ありません。
と、同時に翔太さんに対して罪悪感が芽生えました。
お父様との確執、八雲に対する感情、翔太さんに対する罪悪感に悩みました。
更に、中学を卒業する頃にもうひとつ別の問題が発生しました。
八雲に好きな人ができたのです。
本人は隠しているつもりですが、はっきりと態度に出ていたのでわかりました。頭をハンマーで殴られたくらいの衝撃でした。心のどこかで八雲と両想いかも、などと淡い夢を見ていたからです。
八雲の心を奪った許しがたい悪魔はわたくしの後輩でもある……虹谷紫音さん。




