黒色の独白 後編
高校生になったわたしは自分が裏だと思っていた性格のほうで生活していた。こっちのわたしは楽だ。今まで隠していた本心が素直に出せるようになった。
「――邪魔。失せろ」
それだけで周囲の連中が道を開けていく。
中学の後半からこれで生活してきた。急に性格が変化したこと、姿が変わったことに同級生達は困惑していた。
入学当初のわたしは尖っていた。
特に男に対しての当たりはとても強かったと自覚している。
無川君があんな目に遭った原因はわかってる。元はといえばあのロクでもない男が図書室が話しかけてきた時、わたしが激しく拒絶しておけばあんなことにはならなかった。
男がますます嫌いになる一方で、自分を助けてくれた恩人である無川君に対しては別の感情を持っていた。
入学してすぐにわたしは浮いた。
当たり前だ。進学校に不良が入学してきたのだから。それでもわたしは気にせずポケットに手を突っ込み、周囲の声など無視して生活していた。
不良といっても我ながらなんちゃってだ。髪を染めていなかったのは怒られるのが嫌だからで、ピアスを開けていないのは単純に怖かったからだ。
たまに告白してくる奴もいたが、バッサリと切り捨てた。
「その顔でよく告ってきたもんだね。鏡見て出直せ」
「呼び出すな。迷惑」
「試しに付き合うとかないから」
ホントにもうばっさりと切った。
しかし元来小物であるわたしは強い言葉を吐きながらビクビクしていた。
……ごめんなさい。逆上して襲ってこないでね。
心の中で謝罪しながら強い言葉を使った。今までとは真逆になっていた。
嫌われてもいいと思いながら生活しているのは楽だった。
しかし、思惑とは別にわたしは人気者になっていた。何故か周りにはいつも女の子達がいた。彼女達から情報だったり、ファッションの話だったり、お洒落グッズなどの知識を得た。
根っこの部分は内気でマジメで弱気だったわたしはオススメされたお洒落アイテムを装備したり、彼女達の会話に付いていけるように情報を仕入れた。
自然に自分磨きが出来ていた。
気付いたら女神に選出されていた。男からはともかく、女からの人気が高かったらしい。言われてみれば周囲にはいつも誰かがいた。
女に告白されたこともある。さすがに強い言葉を使うことはできず、やんわりと断ったけど。
女神とか興味なかったけど、女神になった面子を見てわたしは嬉しくなった。
赤澤夕陽はアイドルだった。中学時代はとても自分が比べられる相手じゃなかった。あのアイドルと肩を並べられるようになったことに喜んだ。ちなみにわたしはその時まで赤澤と犬山君が付き合っていると思っていた。
青山海未は万能スポーツ美少女だった。中学から陸上で名を馳せ、大会で成績を残して表彰されたこともある。明るくて可愛くて、密かに憧れていた人物だ。
白瀬真雪は別の中学出身だったけど、天華院ではマスコット的に可愛い存在だった。お嬢様なのに気さくで、多くの人から愛されていた。
こんな凄い人達と肩を並べられて光栄な気持ちと、自分が過去にやらかしたことに対しての後ろめたさで会議室に向かうのが複雑だったのは記憶に新しい。
男神になった犬山君から告げられた時にすべてが始まった。
こいつ等は女神ではなかった。
青山海未は酷い女だった。無川君と親友だったのに無視したり悪口を言ったりして、階段から突き落として大怪我をさせた
白瀬真雪は無川君の元カノで交際直後に浮気をして無川君を捨てた。すでに傷ついていた無川君はこれで心がぽっきり折れた。
わたしにとって最も許せなかったのは赤澤夕陽だ。幼馴染のくせに、無川君にあれだけ好かれていたくせに全然興味の欠片もなく気持ちを踏みにじった。許せなかった。あれだけ想いを寄せられながらまるで興味なさそうなこの女にイラっとした。
でも――
「おまえは自分を助けてくれた翔太を犯罪者のように扱った。そして自分は被害者面して同情を誘った」
中学時代にも聞いた言葉。
正確にはわたしは何も知らなかった。無川君が犯罪者のように扱われているのをまるで庇わなかった。それでいて無川君を陥れた相手と仲良くしていたので周囲の連中は無川君が噂通りの悪だったと結論付けた。
反論はなかった。
知らなかったとか、気付かなかったという言い訳はしない。相手は無川君の親友で、本当に無川君のことを大切に思っている相手だ。
そんな相手に「知らなかったんだから許して」と言えるほど厚顔無恥ではない。
復讐はすでにしてあり、あいつ等は地獄に送ったと言ったところで意味がない。無川君には届かない情報だし、仮に無川君が知ったとしても彼が喜ぶのか疑問だ。
わたしにとってその会議は様々な転機だった。
こいつ等に一瞬でも憧れた過去の自分を殴りたくなった。
◇
高校二年になった。
わたしはある下級生に付きまとわれることになった。
名前は虹谷紫音ちゃん。
彼女はわたしに憧れていると言ってくれたギャルっぽい子で、入学した翌日から接触してきた。中学時代からファンだったらしい。他にも何人かそういう子はいたが、彼女が最も積極的だった。わたしに会うために姫宮女学院から来たらしい。
最初は特に気にしていなかったが、紫音ちゃんがわたしの気を引くために義兄が出来るという話をしてくれた。
「へえ、その歳で兄貴できるんだ」
「はいっ。紫音も楽しみなんです。来週こっちに来る予定なんですよ」
「そいつは良かったな。兄貴の名前は?」
それほど興味はなかった。
「翔太さんです」
「……新しくお母さんになる人の名字は?」
「確か『無川』です」
心臓が飛び出るかと思った。
無川君が戻ってくる。しかも天華院学園に通うことになる。
どんな顔をして会えばいいのかわからない。それでも最初に行うのは謝罪しかない。
でも、わたしは迷った。
本当に謝罪なのだろうか?
助けてくれてありがとう、と頭を下げるのが普通じゃないだろうか。そもそもわたしは個人的に彼に何かをしたわけではない。そんなわたしは何に対して謝罪をすればいいのだろう。
迷ったまま、その日はやってきた。
無川君は謝罪なんか望んでいなかった。
彼は生まれ変わろうとしていた。遠目から彼の行動を見ているとよくわかる。自分が無川翔太だったことを誰にも言わず、新天地で新しい生活を全うしようとしている。意図的に過去の自分を切り離そうとしているように映った。
わたしには理解できた。何故なら自分自身がそうだったから。
出来るならわたしも過去の自分を捨て去りたかった。でも、それができず中途半端に留まった。引っ越しする気もないし、元々名前が特徴的だし、苗字変更する予定もない。
彼はそのチャンスを得たのだ。
外見も苗字も変わり、過去の情報を一切出さずに生活していた。
だとしたら感謝や謝罪は逆効果だ。無川君は無川翔太を捨てようとしている。ここで謝ったら彼を傷つけてしまう。
悩み抜いた結果、わたしは彼に接触しないことを決めた。
心の中で彼に助けてくれたことを感謝して生活しようと心掛けた。いつか、もし無川君がわたしにムカついて謝罪を要求してきた時に一生懸命謝ろうと決めた。
彼の義妹である紫音ちゃんを可愛がった。無川君に何もできないこの気持ちを義理の妹である彼女に返そうという浅ましさからだ。
わたしは自分を知らないであろう数駅離れた場所にある本屋で働いていた。仕事なので学校と違うようにしよう、と妙にマジメだったわたしは昔の姿で大人しく労働に勤しんでいた。
そんなある日、バイト先に新人がやってきた。
「……」
無川君――いや、虹谷君だった。
変な声が出そうになった。昔に比べると凄くイケメンになっていた。
あの時の虹谷君の顔はどう表現したらいいのだろうか。わたしを見て迷っている感じだった。それもそのはずだ。わたしはバイトの時は目立たないように昔の恰好をしていた。
「あれ、俺のこと知ってるんですか?」
「えっ――」
「初対面ですよね」
しまった。
慌てて取り繕った。
バイトを変えようかと思ったけど、ここでわたしがバイトを変えるのはおかしい。出会ってしまったからには仕方ない。
こうして再会したわたし達だったが、互いに初対面を貫いた。彼の態度で確信を持った。どこかぎこちないのはわたしに対して含むところがあるからだろう。
お互い過去の件に触れず、バイト仲間という距離感を保った。
それから数日後、学校である噂が流れた。
わたしが「パパ活してる」だの「援助交際してる」といった下世話なものだ。無論、わたしはしていない。
男性経験は皆無だし、未だに男の人が苦手で触れることもできない。ただ虹谷君だけは別だ。近くにいても嫌悪感もないし、バイトで体が触れても全然不快じゃなかった。
話の内容からして恐らく父と出かけていた時のことだろう。母のプレゼントを買うためにショッピングした。一度目で決まらず、二度目は長い時間かけてションピングした。帰りにレストランで食事もした。
虹谷君がバイト先に入った直後で、まるで狙いすましたようなタイミングだった。
この噂に関して、わたしは黙秘した。
そうしている内に噂は広がっていった。虹谷君も噂を耳にしているだろう。
黙秘したのはかつて彼が味わった苦しみを自分も受けることで彼の溜飲が下がると考えたからだ。これで虹谷君が自分と同じ苦しみを味わったと思ってくれればいいなと考えた。
でも、予想外の展開になった。
噂が消えたのだ。払拭してくれたのは虹谷君だった。
あの日、わたしはあなたに手を伸ばさなかったのにどうしてあなたは大嫌いなはずのわたしを助けてくれたの?
バイト先でそれとなく聞いてみると返ってきたのは。
「陰口とか噂とか嫌いなんだ。前に黒峰が親父さんと楽しそうに歩いてるのを見かけた。親父さんの顔はここに迎えにきたから知っていた。だから近場にいる女子に教えてやっただけだ。あいつ等が適当言ってるのにムカついたからな」
いい人過ぎでしょ。
復讐とか報復とかそういう方向にしか思考が向かわなかった自分が嫌いになった。
わたしは虹谷君に自分の胸の内を吐露した。そして、馬鹿だった過去の話をした。
「――事情を知らない俺がどうこう言うつもりはないが、耐えてばっかりだと良くないぞ。辛いのに耐えてるうちにダメージは蓄積されていくし、最悪潰れるぞ」
虹谷君の経験から来た言葉だろうか、その言葉は身に染みた。
それからわたしは学校でも彼に話しかけたいと申し出た。男性恐怖症を治すためといったら彼は渋々了承してくれた。嘘だ。優しくされたから気持ちが傾いて学校でも話したくなっただけ。周囲の人間に男嫌いと思われているわたしが唯一喋れる特別な相手だと知らせたかった。
学校で話しかけると、交際の噂になってしまった。焦ったわたしは紫音ちゃんを理由に納得してもらった。
派手なことはできないと反省し、虹谷君とは単なるバイト仲間としての関係が続いた。
しばらくはその関係でいいと思った。ゆっくりと時間を掛けて新しい関係を築いていこうと、そう考えていた。
平穏な時間はすぐに潰された。
白瀬が神会議に虹谷君を連れてきたのだ。しかも友達とか言い出した。
その後、テスト対決をすることになった。わたしは死ぬ気で勉強して女神の中でトップになった。勝負は犬山君に持っていかれたけど、勝利してちょっぴり気分が良かった。
あれからわたしはずっと考えていた。
あのクズ共はきっと【無川翔太=虹谷翔太】とはなっていない。あれだけ見た目が変化している。気付くはずがない。
それに、もし連中が気付いているのなら再び悪質な嫌がらせをするに違いない。それがないってことは今のところは大丈夫だ。つまり、あのクズ共は抜群の嗅覚で無川君に狙いをつけたわけだ。
……わたしが守るしかない。
彼には恩がある。
今度は間違えない。今度こそわたしはあなたに恩返しをする。
◇
家に到着した。
自分の気持ちが好きという感情なのかまだ判断できない。多分、今はまだ好きというよりは罪悪感とか恩返しとかそっちの感情が強い。
でも、今のわたしにとって虹谷君の存在は兄さんよりも大きくなっていた。
これからわたしの取るべき方向は決めた。
まずはわたし以外の女神から彼を守る。そして【無川翔太=虹谷翔太】を気付かせないように心がける。最後に、自分の気持ちをしっかり確かめて彼と向き合う。
その為には積極的に関わる。過去を切り離した新しい関係で。
迷っていたけど心は決めた。わたしは決意の胸に、玄関の扉を開けた。




