青色の独白 前編
『また明日の配信で会おうね。バイバイ』
夏休みに入って最初の配信を終了させた。
最後にディスボードを開いて確認する。昨夜のメッセージに返信がないのを確認してパソコンの電源を落とす。ベッドに寝転びながら考える。
かつて、ボクには親友がいた。
過去形にしたのはその資格を失ったからだ。すべてはボクの心の弱さと醜さが原因だ。
ボクは昔から誰かと遊ぶのが好きだった。特に子供の頃は外で動き回るのが好きで、ドッジボールをしたり、鬼ごっこをしたり、男子に混じって遊ぶのが大好きだった。見た目も男っぽかったので男子も快く受け入れてくれた。
その中で一番仲良くなったのはあいつ――翔太だった。
翔太はいつも全力でぶつかってきた。
最初はボクが女だと思っていなかったらしい。それはそれで複雑な気分だったけど、女とわかってからもドッジボールをすれば至近距離でも本気で投げてくるし、鬼ごっこをすれば本気で追いかけてきた。
他の男子はボクが女だからって少し手加減していた。全員無意識だったかもしれないが、手を抜かれるのがわかって悔しかった。
でも、あいつだけは本気だった。
本気で戦ってくれた。
おかげでいつも負けてたけど、本気でぶつかってくれるのが嬉しかった。何度負けても挑んでいった。そんな風に本気をぶつけ合うとたまにケンカもしたが、互いに大声を出して不満をぶちまけると次の日には仲直りしてまた遊んだ。
中学になっても関係は続いた。
その頃になると外での遊びではなく、別の遊びに夢中になった。
ゲームだ。
特にハマったのがFPSだった。毎日のように戦場に出て戦った。オンラインで世界中の人々とマッチすると、女とか男とか大人とか子供とか関係なく全員本気でぶつかってきてくれる。それが最高に燃えた。最初は全然勝てなかったけど、面白くて次第に熱中していった。
中学生になって周囲は思春期を迎えた。
男女別で遊ぶのが当たり前となっていた。男女が話しているとすぐに恋愛にからめるようになった。
「いい? 男女で友情は成立しないんだよ」
ある日、友達がボクに向けて放った。
少し不安になって翔太にその話をしたが、あいつは笑って否定してくれた。
「俺達は友達だ」
力強い言葉に嬉しくなって「ボク達は親友だ!」と返した。あの頃のボクは本当にそう思っていたし、翔太も同じ気持ちだったはずだ。
それでも学校での接触はなるべく控えた。
恋愛事に興味も知識も薄かったボクだけど常識はあるつもりだ。思春期の男女が仲良くしていたら変な噂になる。その辺りは翔太も理解していたようだ。だから学校では挨拶する程度で、家に戻ればお互いボイスチャットしながら戦場に向かう。
しばらくそんな日々が続いた。
今にして思えば人生で最も楽しい時間だった。
友達は多かったし、陸上部での関係も良好だった。部活では良い記録を連発して期待されていた。もっとも、頭のほうはお世辞にも褒められたものではなかったが。
転機は突然訪れた。
……友達の裏切りを知った。
ある日、友達だと思っていた女の子が裏でボクの陰口を言っている現場を目撃した。突然すぎる裏切りだった。なにより怖かったのはその子はボクの前だと普段通り友達面するのだ。どう付き合っていけばいいのかわからず震えてしまった。
結局、その子とは関係を続けられなかった。
この時からボクは友達を失うのが怖くなっていた。
不安を抱えながら生活していると、変な噂を耳にした。
『無川翔太が赤澤夕陽にストーカー行為をしている』
寝耳に水だった。
翔太と赤澤は幼馴染のはずだ。小学生の頃から一緒に登校していることは知っているし、昔は赤澤の奴も一緒に鬼ごっことかしていた。途中で参加しなくなったけど。
ただ、冷静になって考えてみるとわからない。翔太は幼馴染と言っていたが、赤澤がどう思っていたのか知らない。赤澤とは何度か一緒に遊んだ関係ではあるけど、友達と言えるほどではなかった。それどころかあっちはボクが嫌いみたいで何度か嫌な視線を浴びせられた。
だからあの二人の関係について答えられなかった。
というより、あの二人が一緒に行動しているのを見た記憶がない。実際、ボクの友達は二人が幼馴染であることは知らなかった。
ボクには恋愛経験がないし、そういった関係を見抜く力もなかった。だから噂に関しては否定も肯定もできなかった。
「隣のクラスの無川って最低だよね。あの噂、やっぱり事実らしいよ」
「見た目暗いもんね。ありえるよ」
「赤澤さんが被害者みたい」
「毎日夜遅くまで家の前で監視してるんだって」
赤澤夕陽は学校の人気者だ。
学校のアイドルと言われ、当時は幼馴染である犬山蓮司と交際していると噂されていた。犬山は中学の頃からイケメンで名を馳せていた。
対して翔太は普通だった。
小学生時代は明るかったが、中学になると少しばかり暗くなっていた。髪の毛を伸ばし、笑顔もどことなく陰のある感じになっていた。
ボクにとっては昔と変わらない。いつも楽しそうで、一緒にゲームをしていると燃えてくる相棒である。
「海未もキモいと思うでしょ?」
その問いにボクは固まった。
「えっと……あの」
「あいつに近づいちゃダメだよ」
「そうそう。海未ってガード緩そうだし疎そうだし、そういえば前に声掛けられてたでしょ?」
「優しくするとストーカーになるかもしれないよ。無視したほうがいいって」
「あれと仲いい奴いたら縁切るよね、普通」
散々な言われようだ。
朝は待ち伏せして、休み時間には嫌がっている赤澤に話しかけ、放課後になると夜遅くまで監視しているという噂もあった。
悪質な噂が蔓延したのは多分、赤澤が学校のアイドル的存在だったから。
翔太はそんな最低な奴じゃない。あいつがそんなことをするはずがない。
実際には恋愛関係とか知らないけど、夜遅くまで監視とかありえない。だって夜になるといつもボクとゲームしてるから。
少なくとも放課後の噂に関しては絶対に嘘だと言い切れる。それを言わなければいけない。
けど、ボクは友達を失いたくなかった。だから黙っていた。
この日の決断がすべてだった。
その日からボクは学校で翔太を無視するようになった。
友達を失いたくなかったボクは翔太と友達を天秤にかけた。そして、翔太を切り離す決心をした。でもそれは学校の中だけで、家に戻ってからはゲームを続けた。
翔太もそれを理解してくれた。あいつも変な噂が広がったらまずいとボクの提案に賛成してくれた。
しかしもう、その時点で友情は破綻していた。
それからのボクは忙しくなった。陸上の大会で表彰され、学校や仲間から称賛された。友達から遊びに誘われることも多くなって翔太と遊ぶ機会も減っていった。
――ごめん。しばらく一緒に出来ない。
チャットを最後に道は分かれた。
ボクはゲームを卒業して部活動に力を入れるようになった。
一方で翔太は孤立することが多くなった。たまに話しかけるのは犬山くらいだ。クラスでも翔太の悪口は相変わらずだ。話を振られると孤立したくなかったボクもそれに合わせた。
学校では別の噂も流れ始めた。
『無川翔太が黒峰月夜を襲った』
信じられない噂だった。
この頃になると翔太と喋ることもなかったが、この噂も嘘だと思っていた。あいつは犯罪まがいの行いをするような奴じゃない。それを知っていたのに……
縁が切れてから迎えた翔太の誕生日。
その日のボクは死にそうなほど体が怠かった。原因は自分でもわかっている。生理と風邪が重なったからだ。吐き気と頭痛と寒気が連携して襲い掛かってきた。
無遅刻無欠席記録はボクの誇りだった。
昔から元気を売りにしてきたボクは先生から皆勤賞を褒められるのが密かな楽しみであり、体調が最悪だったその日も登校した。
だけど、すぐに限界を迎えた。移動している途中、激しい頭痛に襲われて意識が飛びかけた。
――ドンッ。
その時、体に衝撃が走った。
……気がした。
意識が朦朧としていたボクはそれが何だったのかわからなかった。
「海未!?」
友達の声に反応して、どうにか意識は取り戻した。
結局ボクは肩を借りて保健室に運ばれ、親の車で家に帰った。体調が悪いなら休めと母にえらい剣幕で怒られた。
だからボクは知らなかった。自分が朦朧とする意識でふらふらと歩き、階段を上がってきた翔太と接触して落としてしまったことを。
理由はわからないが、翔太はボクにやられたことを誰にも報告しなかった。だから知らなかった。知らないまま時が流れた。
そして、翔太は引っ越してしまった。
◇
中学三年生になったボクは翔太の引っ越しを聞いて少しショックを受けていた。もう関わりはなかったはずなのに、いなくなってしまうと寂しさを感じた。
「ねえ……海未はホントにあれで良かったの?」
声を掛けてきたのは陸上部の仲間であり、階段でふらふらしていたボクを保健室まで運んでくれた子だ。
「何が?」
「私ね、やっぱり良くないと思うよ。いくら嫌いだからってあれは最低だよ。無川君が引っ越したのって海未のせいじゃないかな」
初めて自分の行いを知った。
彼女はあの現場を見ていた。ボクが翔太に接触して落としたところを。その後、ボクを保健室に運びながら先生に翔太が階段から落ちたと報告した。友達だからボクの行いを黙っていたそうだが、ずっと迷っていたと告白してきた。
「あの後、無川君の家に行ったの。もしかしたら頭を打ったショックで海未に落とされたこと忘れてるんじゃないかって。だけど、無川君は会ってくれなかった。私どうしたらいいのかずっとわからなかった」
「……」
すぐに謝らないと。
真実を知ったボクはすぐに動いた。連絡しようとしたけど、翔太の連絡先を知らない。
思いついたのがディスボードだった。
謝罪の言葉を連ねた。自分が馬鹿だったと許しを請うた。
後悔と罪悪感の日々の中、翔太を覆っていた噂にも変化が起こっていた。
『無川翔太は黒峰月夜を襲ってなどいない』
『無川翔太は赤澤夕陽のストーカーではない』
黒峰は突如イメチェンすると、翔太に襲われていないと言い出した。翔太に対して悪口を言っていた女の子を殴ったという話も聞いた。
赤澤も自ら翔太とは幼馴染で事実無根と言い放った。
完全に翔太の白が証明された。
「無川君が可哀想だったね」
「だよね。噂を流した奴はマジで最低だよ」
「いじめとかダサいよね」
「私は無川君を信じてたけどね」
そんな風に話していた。彼女達だって翔太を悪者扱いしたくせに、まるで自分達は最初から翔太を信じてたみたいに。
けれど、ボクに怒る資格などない。ボクのほうが最低なことをした。親友とか言っておきながら肝心なところで手の平を返した。
ボクはすべてを先生に告げた。先生達はあの転落について翔太が勝手に転んだと思っていたらしく、ボクの告白に動揺していた。
それだけだった。
翔太はすでに学校にはいなくなっていたわけだし、翔太自身は特に後遺症もなかったという。
ボクは母に事情を話し、翔太のお母さんのところに謝りに行った。何度も何度も謝った。翔太のお母さんはすべてを知っていた。つまり、翔太は知っていてボクが落としたことを黙っていたのだ。あいつは私を仲間だと思って守ってくれたんだ。
自分の最低加減と比べて涙が出てきた。
翔太のお母さんには許しの言葉を貰った。お母さんのほうも翔太に向き合えなかったと後悔の言葉を漏らしていた。
でも、それだけだった。
……ボクには罰がなかった。
辛かった。大切な人を裏切って、貶めて、怪我までさせたくせにボクは誰にも罰されなかった。いっそのこと先生に怒られ、翔太のお母さんに叱責され、学校のみんなに罵られたほうが良かった。
罰はないけど、謝ることもできなかった。
自己嫌悪の日々を送る中、不注意から部活中に転倒して足を骨折した。
ボクは勝手に思った。ようやくバチが当たったと。そう思いたかっただけだ。無理やりそう思い込むことで少しでも自分の罪を軽くしようとしていた。
怪我を理由に陸上はすっぱり辞めた。完全にやる気がなくなってしまった。
その後、必死で勉強した。
別に目標があったわけではない。ただ何かに打ち込みたくて、辛くて暗い日々から目を背けたかっただけ。GPEXを再開したのはその頃だ。翔太との繋がりを求めてプレイを再開した。
心はずっと晴れないままだった。
――しかし、ボクの心は更に曇っていくことになる。




