赤色の独白 後編
抜け殻になった私は天華院学園に入学した。
精神的にダメージを受けながらも、表向きはアイドルらしく振舞っていた。
気付いたら女神に選ばれていた。天華院学園の神制度は有名だ。自分が選ばれるとは思っていなかった。今年は大接戦らしく、私以外にも女神が選出された。正直言って女神の地位に興味とかなかった。
ただ、他の女神には興味があった。
青山海未は元々大嫌いな子だ。翔ちゃんといつも遊んでいて、私は何度もこいつに嫉妬した。運動が得意じゃなかった私は翔ちゃんとこいつが走り回っている姿を黙って見ていた。
黒峰月夜は中学の途中まで地味だったけど、今はかなり目立っている。中学時代に流れた噂について聞いてみたいと思っていた。あの噂はいつの間にか消えたが、あれのせいで翔ちゃんは苦しめられた。
白瀬真雪は知らない。姫宮女学院からやってきたお嬢様ってことくらいしか知識がない。小柄で童顔でロリっぽい感じの子だった。
男神は予想通り蓮司君だ。
初めて神会議が行われた。今後の予定だのイベントの日程について話し合いをしていた最中、蓮司君の口から真実を聞かされた。
「……やっぱ無理だわ。手紙には大事にしたくないし、復讐とか望まないって書いてあったけど、こうして面と向かったらガマンできねえわ。すまない、翔太」
そうつぶやくと、私達に怒りの形相で翔ちゃんが受けた仕打ちを告げた。
青山海未は翔ちゃんの親友でありながら無視したり悪口を言ったりして、挙句の果てに階段から突き落として大怪我をさせた。
黒峰月夜は自分を守ってくれた翔ちゃんを犯罪者に仕立て上げた。そして自分は事件を利用して周囲の同情を誘って友達を作った。
白瀬真雪は交際した直後に他のイケメンと交際して翔ちゃんをゴミのように捨てた。心が弱っていたこともあり、翔ちゃんにトドメを刺した。
そして――
「夕陽は翔太にストーカーされてるって嘘を流してあいつを傷つけた。一番近くにいたのにあいつを裏切ったんだっ」
蓮司君の言葉を黙って受け止めた。
私自身は噂を流していないし、ストーカーと認めてもいない。反論はできるが、しなかった。傷つけたのは事実だ。そして、私は自分の快楽のために蓮司君も利用した。
どうやら蓮司君は翔ちゃんから手紙を受け取っていたらしい。そこには受けた仕打ちが記されており、文末にこの一件を大きくしたくないし、復讐を望まないと書かれていたようだ。問題が大きくなれば友里恵さんに迷惑が掛かると思ったのだろう。
この手紙を受け取った蓮司君はそれまでガマンしていたが、こうして全員が揃ったことで限界を超えた。
蓮司君は後悔と怒りと悲しみに震えていた。
親友だったけど翔ちゃんがされたことを知らなかったらしい。蓮司君は部活で忙しかったし、中学時代は生徒会長もやっていた。スマホを持っていなかった翔ちゃんとはあまり連絡もできなかったという。
あの噂が流れてからは翔ちゃんの気遣いを理解し、学校での接触は避けていたようだ。家に向かっても会えない日々が続き、どうにもできない状況が悔しかったとぶちまけた。
すべてを知った私の胸中は混沌だった。
だが、明確に”敵”を認識した。
こいつ等は蓮司君が怒り狂っている時に反論しなかった。つまり事実ということだ。この悪魔共は翔ちゃんを壊したのだ。
学園内に倒すべき敵を認識した私は燃えた。この悪魔みたいな連中が女神と呼ばれているのが気に食わなかった。私も全然その称号にふさわしくないだろうけど、こいつ等には負けたくない。
様々な感情を胸に秘めながら過ごした高校生活一年目。
季節は次の春を迎えようとしていた。
そんなある日、友里恵さんとばったり再会した。友里恵さんは翔ちゃんが転校した後、程なくして引っ越した。
話があると言われて近所のカフェに入った。
「夕陽ちゃん、私再婚することになったの」
「お、おめでとうございます」
詰られて叩かれる覚悟をしていたが、告げられたのは再婚話だった。
そして、友里恵さんはこれまでの自分の話をしてくれた。
友里恵さんは後悔していた。
女手一つで翔ちゃんを育ててきた友里恵さんは仕事でいつも家を空けていた。翔ちゃんにあまり構ってやれなかったと涙声だった。
苦労話を聞く度に胸がズキリと痛んだ。
「――言うか迷ったんだけど、夕陽ちゃんは後悔してるし、謝りたいって言ってくれたから教えておくわ。春に翔太が戻ってくるの」
心臓がドクンと跳ねた。
「ただ、あの子はもう自分は生まれ変わったって」
「えっ?」
話を聞くと翔ちゃんはかつての名前と共に過去を捨てると言ったらしい。
この街は辛い出来事が多かった。蓮司君の話から察せられる翔ちゃんの胸中は絶望と怒りと恐怖だろう。
「夕陽ちゃんが謝りたいって気持ちを持ってるのは知っているわ。でも、あの子は生まれ変わろうとしている。実際に会ったけど、見た目もあの頃とは違ってる」
「……はい」
「だから、あの子が自分から昔のことを話すまで気付かないフリをしてほしいの。夕陽ちゃんに知られてるって気付いたら、あの子は嫌になっちゃうと思うから」
気付かないフリをしろ。
それは私にとってあまりにも重い最後の罰だった。
◇
遂にその日が来た。
翔ちゃんが天華院に通うことは友里恵さんから聞いていた。新しく妹になる子がこの学園に入学したこと、親友である蓮司君が通っていることが関係しているのかもしれない。
学力的にもピッタリらしい。昔は勉強が苦手だったけど、天華院に来れるくらいには頭が良くなっている。本当に翔ちゃんは生まれ変わったみたいだ。
嬉しいはずなのに、複雑だった。
ここには私を含めた翔ちゃんを傷つけた連中が通っている。
「虹谷翔太です。田舎のぽつりと一軒家から引っ越してきました。都会の学校の雰囲気に飲まれています。どうぞ、お手柔らかにお願いします」
不安をかき消す弾む声だった。
メガネを外していた。髪型が変わって爽やかになっていた。あの頃よりも身長が伸びていた。
けど、それだけだ。私が翔ちゃんを見間違えるなんてありえない。
メガネをしていなかった頃の翔ちゃんの姿は目に焼き付いている。髪の毛を伸ばす前の姿もよく知っている。身長が伸びたところで私の目を誤魔化せるはずない。
気持ちが一気に高まった。あの時の事をしっかり謝罪して、誤解を解いて、それから好きって気持ちを伝えたい。
――でも、これは罰。
生まれ変わった翔ちゃんは自分の過去を隠そうとしている。だから私は無川翔太君に謝るわけにはいかない。それどころか気付かないフリをして、虹谷翔太君とは初対面として接しなければいけない。
謝りたいのに謝れない。大好きなのに大好きと言えない。幼馴染なのに知らないフリをしなければいけない。
この罰はあまりに重く辛かった。
「よろしくね、虹谷君」
気付けば自分の口から声が飛び出していた。隣を歩こうとする翔ちゃんはその声に驚きながらも。
「よろしく」
声が返ってきただけで飛び上がるくらい嬉しかった。
それから先生から頼まれて学校案内をした。翔ちゃんは凄い複雑な顔をしていた。会話をしてもどこかぎこちなく、嘘の設定を話しながらきょろきょろしていた。
その姿を見て距離を置くことを決めた。
けれど、予定外の事態が発生した。
翔ちゃんは何故か葉月ちゃんと仲良くしていたのだ。あれだけのことをした相手と普通に話していた。
というよりも、葉月ちゃんは翔ちゃんの正体に気付いてない?
それに名塚君も気付いていない様子だった。名塚君は同じ中学だったから翔ちゃんのことは知っているだろう。けれど、特に反応はなかった。もし気付いていたら私や葉月ちゃんに教えると思う。
無川翔太=虹谷翔太だと気付いているのは私だけ?
その後も予想外の展開が続いた。
あれだけの事をされたのに、翔ちゃんは私と葉月ちゃんを仲直りさせようとしてくれた。正直言って葉月ちゃんをまだ完全には許せないけど、仲裁に入ったのが他でもない翔ちゃんなので仲直りする以外に選択肢はなかった。
本当に優しすぎる。
お節介なその姿はいつか私を助けてくれた王子様そのものだ。やっぱり私はこの人を諦めたくない。
仲直りした後、葉月ちゃんと話をした。
「ねえ、葉月ちゃん。ひとつだけ約束してくれるかな」
「なに?」
「もし、翔ちゃんと再会したらすべてを本人に言って誠心誠意謝ってね」
「……う、うん。わかった」
それから私は単なるクラスメイトとして、虹谷翔太君と接した。
ゆっくりと関係を深め、いつか私を許してほしいな。
などと甘い考えを持っていた。
……事態は急変した。
あの悪魔達が翔ちゃんに近づいたのだ。
青がいきなり教室に入ってきて翔ちゃんに声を掛けた時は殺意が芽生えた。その後、どうやら一緒にゲームをする関係になったらしい。
相変わらずムカつく。
黒にパパ活だの援助交際の噂が出た時は複雑だった。翔ちゃんの顔を見てピンと来た。事情は知らないけど翔ちゃんは黒の噂についてなにか知っている。知っているけど、どうするか迷っていた。だから忠告したけど、やっぱりお節介した。
「ホントに虹谷君ってばお節介だよね」
私はそんなことを言いながら喜んでいた。あんな悪魔でも手を差し伸べちゃうお人好し。ホントにそういうところが大好きだ。
ただ、その後に黒と翔ちゃんと付き合っていると噂が流れた時には理性が限界を振り切った。逮捕されてもいいから黒に突撃するところだった。嘘だと判明したときの安堵は凄まじいものがあった。
最後に白だ。
会議室に連れてきた際の友達発言に思わず手が出そうになった。こいつはそもそも翔ちゃんと一瞬でも恋人関係になった時点で一番許せないのに。
あいつ等と関わってから翔ちゃんの顔色が次第に曇っていくのがわかった。過去のトラウマが甦っているのだろう。優しい翔ちゃんはあの悪魔達にとって格好の的だ。このまま指をくわえて見ていたら連中に壊されてしまう。
唯一の救いはあの悪魔共が【無川翔太=虹谷翔太】と結びついていないこと。
気付いているのならアクションを起こすに決まっている。連中は最低なクズなのだから。
テスト勝負を経て、カラオケで打ち上げをする運びになった。
私はずっと悩んでいた。
どうしたら翔ちゃんを守れるのか。このまま単なるクラスメイトでいいのか。
必死に考えた。そして、卒アルを寂しそうに見つめる翔ちゃんを見て。
「……私、決めたよ」
カラオケボックスの中で、私は決心した。
◇
「よし、これでばっちり!」
鏡の前でお洒落した自分の姿を確認する。そこには学園のアイドルが立っていた。今となってはチャームポイントと誇れる赤い髪が風に靡く。
私は決めた。
罰はそのまま受け続ける。翔ちゃんに「気付いている」とは絶対言わない。だけど、私は大好きな翔ちゃんを諦められないから積極的に迫る。過去の件で不利なのは承知しているけど、押しまくって私を好きになってもらう。
我ながら馬鹿な結論を出した。あれだけのことをしたのに。
でも、それくらいしか思いつかなかった。
悪魔の手から翔ちゃんを守るために私に惚れさせ、彼氏になってもらう。そうなればあの悪魔共も手が出せないはずだ。「私の彼に近づかないで」と言って蹴散らせる。
そして、出来ればいつか正体を打ち明けてもらいたい。
やることは多い。
あの悪魔達には【無川翔太=虹谷翔太】と気づかせないようにする。翔ちゃんには気付いていないフリをし続けなければならない。その上で私を好きになってもらう。
難しいのは承知だ。でも、絶対成し遂げる。
高校二年の夏、勝負の夏が始まる。




