第26話 無色の卒業アルバム
「それじゃ、期末テストお疲れ様でした!」
猫田がジュースの入ったコップを掲げる。その動作に倣って俺と真広が続く。
乾杯の声が重なる。
現在、俺と真広と猫田はカラオケにいた。期末テストの打ち上げだ。テスト結果が張り出され、漂っていた重苦しい空気が消えたので行われる運びとなった。
「いやー、ようやく終わったよ」
ふぅ、と猫田は息を吐く。
テストが終了してからも結果が出るまで学園内が空気が重かった。気持ちはわかる。猫田に次いで俺と真広も溜まったものを吐き出した。気分が楽になった気がした。
猫田は赤点を回避した。
それはもう大喜びだった。テストの返却時には俺と真広にありったけの感謝の言葉と共に屈託ない笑顔を向けてくれた。
「こうして無事に打ち上げ出来るのも虹谷と名塚のおかげだよ。ありがとね」
「気にするなって。こっちも勉強会のおかげで上位に入れたからな」
「そうそう、僕達も成績アップしたからね。全員効果あったみたいでよかったよ」
しばしテストの内容を振り返って雑談をした。
今回のテストでは勝負の影響もあって全体的に得点がアップしたらしい話を聞いた。おまけに効果は二年生だけでなく全学年に及んだらしい。
成績アップの要因は勝負を焚きつけた俺は何故か教師から感謝された。担任の水島先生に肩をポンポンとされてサムズアップされた時は思わず苦笑いした。
そんなことをしばらく喋っていると。
「――おまたせ。遅れてゴメンね!」
不意に扉が開き、赤澤が入ってきた。
「待ってたよ。夕陽っ」
「ごたごたしてて遅れちゃったよ」
そう言って赤澤は俺の隣に腰かけた。赤い髪の毛から漂う甘い香りが鼻をくすぐる。
「えっと……赤澤?」
「どうして赤澤さんがここに?」
俺と真広は同時に疑問を呈する。そりゃそうだ。元々三人で打ち上げ予定だった。他の人間が参加するとか聞いていない。
すると猫田は申し訳なさそうに。
「あっ、言うの忘れてた。うちが誘ったんだよ。夕陽も勉強がんばってたし、みんなで盛り上がろうって思ってさ。打ち上げも三人じゃ寂しいだろうし、ダメだったかな?」
この状況でダメと答えられるはずもない。本人が部屋に入ってから言うのはさすがにルール違反だろ。ニコニコ笑いながら了承する以外になかった。
「ありがとね。虹谷君とカラオケ来たかったんだ」
「俺と?」
「だから今日はテンション高いよ。超歌っちゃうから」
俺に歌うまのイメージとかあっただろうか。カラオケは前の高校でも来たが、特に話題にもならなかった。上手くもなければ下手でもなかった。
……まさか、赤澤とカラオケに来る日があろうとはな。
「テストお疲れ。夕陽惜しかったね。もうちょいだったのに」
「だね。けど、仕方ないかなって」
「終業式の挨拶って蓮司君に決まったの?」
「さっき決定したよ。本人もやる気みたい」
テスト勝負は男神である蓮司が勝利し、終業式の挨拶は正式に蓮司が行うと決まったらしい。結果が出てしまった以上は誰も文句は付けられないだろう。
蓮司とは接触はしていない。
正直いって迷ったが、正体を隠す方向にした。
というのも合わせる顔がないからだ。蓮司には手紙だけ残して去ってしまった。あの頃の精神状態ではそれしか選択肢はなかったのだが、あいつからしてみれば裏切りに近い行為だったろう。ただでさえ噂を気にして距離を置いていたのに急に転校だ。逆の立場なら文句のひとつでも言ってやりたくなるはずだ。
しばらく四人で談笑した。
赤澤は今回のテストにかなり力を注いでおり、家でも勉強漬けだったという。どうしても勝ちたかったと愚痴る姿は中々に新鮮だった。
「よし、それじゃ虹谷の卒アル見せてっ」
「えっ、虹谷君の卒アル?」
「そだよ。今日は卒アル交換会でもあるんだ」
俺は大人しく卒業アルバムを取り出す。
よほど興味津々だったのか、猫田は瞳を輝かせながらページを捲っていく。転校後の中学は全校生徒数が東部中学校に比べるとかなり少ない。学校紹介のページにわずかに風景が映っており、周囲には建物がないことがわかる。田舎の学校に驚いていた様子で「マジで田舎だ」と猫田のつぶやきが響く。
「ね、ねえ……私も見せてもらっていいかな?」
「構わないぞ」
赤澤も興味津々で卒アルを覗く。
二人は顔写真を見てイケメンだの美少女だの言いながらきゃっきゃと話し合っていた。
そして、俺が映っている顔写真のページ。
「あっ、虹谷だ。あんまし変わってないね」
「……うん」
中学卒業の頃には過去の容姿を卒業していた。別に見られたからといって問題はない。
「ねえ、名前消してあるのはどうして?」
猫田が尋ねてきた。
卒アルの顔写真の下には名前が出ているが、自分の名前はペンで消した。
何故かって?
そりゃ無川翔太と書いてあるからだ。卒アルを見せ合うと決まってからすぐに黒ペンで塗りつぶしてやった。
「若気の至りだ」
「おっ、黒歴史的な?」
「尖ってたからな。過去を塗りつぶす的な意味合いもあるぞ」
「別に変なところなさそうだけど」
猫田も赤澤も気付いた様子はなく、ページを進めていく。助かった。
「虹谷ってあんまし写ってないね」
素朴な疑問にドキッとした。写っているはずがない。中学の途中まではここにいなかった男だからな。
「……実は写真を撮られるのが苦手でさ。ほら、俺ってシャイボーイだし」
「それは知らんけど、折角のイケメンなのに勿体なくない?」
「お世辞でも褒めてくれてありがたいよ」
「お世辞じゃないよ。虹谷って結構いい線いってるよ。ねっ、夕陽?」
「私もイケメンだと思うよ」
転校してきた俺に興味を示さなかったくせに白々しい奴だ。
「そういえば、向こうに彼女とかいたの?」
猫田が質問した途端、ガタンとテーブルに大きな音が響いた。赤澤がテーブルに足をぶつけたらしい。意外とドジな奴だ。
「残念ながらモテなかったな」
「へえ、意外。虹谷モテそうなのに」
マジか?
「名塚もそう思うでしょ?」
「僕も翔太はモテると思うけどね。爽やかだし、ノリはいいし、優しいし」
「だよね。うちのこと助けてきた時の虹谷やばかったもん。見ず知らずのうちを助けてくれるとか聖人かよって思った」
助けたのは恩返しだったわけだが、そこを訂正はしない。
ただ、モテなかったのは本当だ。転校した直後にはあの時のトラウマで精神的にガタガタだった。卒業間近になると見た目こそ取り繕ったが、女子と話す時にはまだ震えていた。
「あっ、そだ。虹谷はこれ見ててよ」
東部中学校の卒業アルバムが置かれる。
ページを開くとそこには懐かしの校舎と懐かしの顔ぶれが映っていた。ぺらぺら捲っていくが、無川翔太はいない。
見覚えのある者達と建物の中に俺だけが映っていない。その違和感に少しばかり胸が痛くなる。
当たり前のようにいた場所に自分がいない事実が虚しく感じられた。いい思い出などない中学だが、それでも俺はどうやら寂しいらしい。
ページを捲っていると、ある男が目に映る。
「……」
犬山蓮司。俺の親友にして幼馴染だ。
そういえば、猫田が蓮司にした暴言とか失言ってのは結局わからなかったな。あれからその件を話すこともなかったし。
猫田と蓮司の関係が気になるところで――
「なあ、猫田よ」
「どしたの?」
「おまえ、犬山蓮司が好きなのか」
「……へっ?」
卒アルの蓮司の顔に大量のハートマークが描かれていた。
指摘すると猫田は驚いたように卒アルを見ると、なにかを思い出したように顔を真っ赤にして暴れ出した。
「うにゃあああああああああああああああ!」
こいつ蓮司が好きだったのか。
「ちがっ、これは違うんだよ!」
「確か男神だったよな。イケメンだし惚れても仕方ないだろ」
「うぅ……迂闊だった。消し忘れてたっ」
イケメンで、勉強が出来て、運動もできて、おまけに優しい。この世の主人公である男だ。惚れないわけがないからな。
あれ、猫田は蓮司に惚れてる?
だとしたら赤澤と揉めた内容が気になってきたぞ。傷つける言葉を吐いたらしいが、恋心を寄せる蓮司に何を言ったのだろうか。もしかしたら一度は交際していたが、浮気したとかそういう感じの出来事があったりとかしたんだろうか。
恋愛のもつれからケンカをしたとか?
あるいは三角関係をこじらせたとか?
本人に聞きたい気持ちもあるが、赤澤もいるし止めておこう。折角仲直りしたのにここで拗らせたら馬鹿すぎる。
「あっ、これが昔の黒峰さんだよ」
いつの間にか卒アルを見ていた真広が全体写真の中にいる人物を指す。
かつて、俺を陥れた地味子が体育祭で応援している姿だった。その姿に懐かしさを覚えるが、わざとらしく驚いた顔をする。
「マジかよ。全然印象が違うな」
「でしょ? それ絶対男だからね!」
食い気味に赤澤が割り込んできた。
「決めつけるなよ」
「絶対に男だよ。私にはわかる。女が変わる原因って間違いなく男だから!」
断言しやがった。
根拠がどこにあるのか不明だが、妙に説得力があった。
「でも、あいつの噂が出回った時に否定してたよな?」
「それとこれとは別。あいつには男がいるんだよ。だから虹谷君は近づかないほうがいいよ。ほら、前に変な噂になったでしょ。近づくと怖い男とか出て来るかも」
「な、なるほど……気を付けるよ」
意地を張る必要もないし俺が折れよう。
ちなみに赤澤はあまり変わっていない。正統派美少女がそのまま正統派美少女に進化した感じだ。
横のクラスには青山もいた。あいつも今とあまり変化はない。
「……中学の頃は楽しかったな」
隣からつぶやき声が聞こえてきた。
こいつからすればそうだろうな。
恋心を寄せる蓮司がいて、ストレス解消としてサンドバックのようにしていた無川翔太がいたわけだから楽しいに決まっている。ストレス解消できなくなって高校に入学してからはさぞ窮屈だろう。
気付かないフリをしてページを捲る。
「っ」
そして、手が止まる。
中学二年生の時の写真だった。文化祭の集合写真だ。そこにはかつての俺が載っていた。
メガネを掛け、髪の毛で顔を隠した暗い奴が写真の隅っこのほうに幽霊のように佇んでいた。我ながら薄気味が悪い野郎だ。
この頃はすでに噂が蔓延し、完全に孤立していた時期だ。
「……」
俺は無言で次のページに行こうとした。
しかし、その手を赤澤が止めた。
「どうした?」
赤澤の視線は俺が映っている写真に向いていた。
俺を見ている?
……と、思ったが違った。
写真の端っこに俺という幽霊がいる。写真の中央には蓮司が写っていた。隣には赤澤がいる。その姿はまるで主人公とヒロインみたいだった。蓮司を見ていたようだ。
その後は特に見所もなく卒アルを見終えた。
改めて思う。昔の俺はもうどこにもいない。無個性で無色な自分は完全に消え去ったのだと。
「……私、決めたよ」
感傷に浸っていると、赤澤は決意に満ちた表情で立ち上がった。
決めた?
「歌います」
歌う曲の話かよ。
いつの間にか曲を入れていたようで音楽が流れだす。
その後、卒アル鑑賞会は終わり全員でカラオケに興じた。赤澤も猫田も真広もかなり上手で、俺だけが普通だった。しかし赤澤はそんな俺の歌声に何故か大盛り上がりしていた。




