第21話 白い回想
白瀬真雪と出会ったのは中学二年の冬だった。
学校に俺の居場所はなかった。
生徒からはストーカーであり、大人しい少女に襲い掛かった犯罪者として蔑まれた。教師からも階段で転倒して大怪我して病院に運ばれ、学校の評判を下げた問題児として扱われていた。
唯一の味方は親友の蓮司だけだった。
しかしこのまま生活していたら親友の足を引っ張りかねない。だから教室には通わず、保健室登校を繰り返していた。
保健室では軽く勉強して、保健の先生と給食を食べ、面談などをして下校した。誰とも会いたくなかったので下校の時間もズラした。
人生がつまらなかった。
自分は間違ったことをしていない。悪事を働いてもいない。しかし誰にも信じてもらえない。どうせ信じてもらえないのだから何をしても無駄――
その頃の俺はすべてを諦めていた。
白瀬に出会ったのは家から離れた場所にある公園のベンチだった。この公園に来たのはたまたまだ。家に居たくない気分だった。母は仕事で、独りでぽつりと過ごすのは気が滅入る。かといって近場だと学校の連中に見つかる。だからここまで足を運んでいた。
ベンチに座っていると足音が近づいてきた。
そいつは他のベンチが空いているにも関わらず隣に腰かけた。項垂れている俺の顔を見ずに口を開いた。
「――わたくし、家出をした不良少女です」
何故か自慢げだった。
小学生みたいな見た目だと思いながら視線を隣に向けると、彼女はお嬢様学校として有名な姫宮女学院の制服を着ていた。
「あの、何か言ってください。わたくし、悪い不良女子なんですよ。だからこうして他校の男子をナンパをしています」
無視していると、あいつは顔を覗き込んできた。
「あら、あなた暗い顔をしていますね」
「……ちょっと嫌なことがあってな。放っておいてくれ」
誰かと会話する気はなかった。
しかしあいつは放っておかなかった。
「そうですか。どうやらあなたもわたくし同様に闇を抱えている者のようですね。では、日陰者同士ということで少し話をしましょう」
「……放っておいてくれと言ったはずだが」
「ナンパは強引なほうが成功率が高いと聞きます」
「迷信だ」
「迷信ではないみたいですよ。あなたが引っ掛かりましたから」
白瀬は柔らかに笑う。
こうして俺達の関係が始まった。
大人しそうな見た目に反して強引だった。本人の言葉を借りれば俺はナンパされたらしい。その日はベンチでしばしお喋りした。といっても俺はただ白瀬の話を聞いていただけだった。
闇を抱えているといった割に話は他愛のない世間話だった。会話に中身はなく中学生らしい勉強の話だったり、普段の生活の話だった。
「誰かとお喋りするだけで気分が晴れますね」
「……そうか」
「では、また明日」
帰り際、当たり前のように言って白瀬は戻っていった。
翌日、俺は公園にやってきた。白瀬は同じくらいの時間にやってくると、何も言わず隣に座った。それからお喋りが始まった。ただただ話を聞いていた。
そんな日々が続いた。
おかしな関係だった。
俺は毎日のように公園で白瀬を待った。特に約束などしていない。それでも白瀬は毎日やってきた。
「パフェこそ至高です。あれは神の食べ物です」
「お化けは大嫌いです。ホラーなど邪道です」
「恋愛映画のような恋をいつかしてみたいものです」
どうでもいいような情報だったが、聞いていて心地よかった。元々誰かと会話することが好きだったのだが、ここ最近誰とも喋っていなかった。どうでもいい話でも話しかけてくれるだけで気分が晴れていった。
それに加えてポンコツ要素も癒しとなった。
「スマホを落としましたっ!」
「……手に持ってるぞ」
「また転びました。公園内にはそこらかしこに罠が仕掛けてありますね。あなたも気を付けたほうがいいと助言しておきます」
「罠なんてねえよ」
しっかりしているようで意外と隙が多くて、放っておけなくなった。
白瀬のやってくる時間はまちまちだった。放課後に来ることもあれば、授業中だと思われる時間にやってくることもあった。休日の日には朝から居たこともあった。
お互いの事情は話さない。それどころか互いの名前も知らなかった。
俺を知らない同世代の女子。
学校にも家にも居場所はなかったが、彼女の隣にいると居心地が良かった。積極的に話しかけてくれたこと、若干ポンコツだったこと、強引に話しかけてきたくせに俺の事情を詮索してこなかったこと、それらすべてが心地良かった。
あいつのペースに巻き込まれ、次第に俺も話せるようになっていた。
「あのドラマ観たか?」
「はい、とても面白かったです」
「脚本がいいよな」
「確かに脚本も魅力的ですが、あれは主人公を始めとした登場人物が好ましいから面白いのです。まだまだ浅いですよ」
秘密の関係はしばらく続いた。
その間、いろいろな動きがあった。我が家には蓮司や赤澤がやってきた。どうして赤澤までやってきたのか不明だが、恐らくは親に言われたから仕方なくってところだろう。
居留守を使って誰とも会わなかった。
一度だけ知らない女子がやってきたことがあった。確か青山と同じ陸上部で、あいつと仲の良かった生徒だ。無論、会わなかった。
家では心配してくる母に笑顔を見せ続けた。保健室登校にしたことは母も知っているが、俺は大丈夫だからと務めて笑顔を振りまいた。
その生活は確実に俺の精神をすり減らしていった。
迎えた二月十四日。俗にいうバレンタイン。
「――わたくし、恋愛に興味があります」
唐突に白瀬が言った。
「あなたは興味なしですか?」
「あるにはあるけど、どうだろうな」
赤澤の顔が頭にちらついた。
初恋が終わってからの俺はそれどころじゃなかった。学校での不人気っぷりは群を抜いていた。とても誰かを好きになれるような雰囲気ではなかった。
「では、これを差し上げます」
カバンからチョコが出てきた。
「ありがとな」
「というわけで、わたくしとお付き合いをしましょう」
「えっ――」
あっさり放たれた言葉に俺は酷く狼狽した。
「わたくしのことが嫌いですか?」
「嫌いじゃないけど」
「では、好きですか?」
「……どうかな。おまえの名前も知らんからな」
「確かにそうでしたね」
白瀬はしばし考え。
「だったら、これから近づいていきましょう」
「……その口ぶりだとおまえも別に俺を好きじゃないだろ」
「はい、正直あなたを好きなのかと問われれば微妙です。ですが、恋愛に興味があります。なので試しに付き合ってみましょう。こういった形から始まる恋愛もあると聞きますよ」
俺も恋愛に興味はあった。そして、白瀬のことは嫌いじゃなかった。
こうして俺達は恋人になった。
「姫宮女学院二年の白瀬真雪です」
「東部中学校二年の無川翔太だ」
それが地獄に続く最後の罠だとも知らずに。
◇
生まれて初めて彼女が出来た。
その日から俺は少しだけ明るくなった。自分でも不思議だったが、気分が高揚していた。
白瀬と話していると不思議な気持ちになった。会話の内容は以前とそれほど変わらないが、恋人という関係になったせいかで普通に話しているだけで心が温かくなった。近くにいるだけでドキドキして、たまに安心した。
恋人になってから白瀬は愚痴ってくるようになった。
「父はいつも強引で困ります」
「学校の方々はわたくしを子ども扱いしすぎです」
「お母様が買ってくれる服は子供っぽいものばかりです」
口を膨らませながら不満を漏らす姿は可愛かった。
あの日ナンパしてきたのは家や学校に不満があり、不良になりたかったらしい。たまたまこの公園にやってきて、同じ年ごろの俺に声を掛けてきたという。
「あの、翔太さん」
「何だ?」
「……いえ、名前を読んだだけです。彼氏というのが初めてなので少々喜びに浸っているのかもしれません」
そう言って白瀬は隣に座った。熱っぽい顔で距離を寄せてきた。
最初は恋愛感情などなかった。しかし俺の心は次第に変化していった。数日も経過すると好きという感情が芽生え始めていた。
急激に恋心を抱いたのは俺の置かれていた事情が原因だろう。学校では保健の先生と軽く喋り、家では空元気で母と会話をする。その生活に精神がすり減っていた。
その中にあって同世代かつ俺に対して色眼鏡で見ない白瀬の存在は貴重だった。
いつしか精神的な拠りどころになっていた。
「学校の方々は本当に困ります。彼氏がいるといっても全然信じてくれないんですよ。今度証拠を持って行きます」
「自慢しなくていいだろ」
「いいえ、ダメです。わたくしの尊厳の問題です」
「……その行いは十分子供だぞ」
「うるさいですね」
「っ」
足を踏まれ、悶絶した。
ただその痛みは苦痛ではなく、どこか嬉しい痛みだった。
たった数日一緒にいただけで確信に近いものがあった。白瀬とならやり直せると。
前向きになった俺は将来のビジョンを考えていた。学校の奴等が進学しない離れた高校に通い、姫宮女学院に会いに行こう。
勉強にも力を入れ出した。
恋愛感情のない状態から恋人になり一週間が経過した。
俺はあいつに依存しかけていた。白瀬と連絡を取るためにスマホを購入してほしいと親に頼もうかと思ったくらいには頭の中が彼女でいっぱいだった。もっと喋りたい、もっと近くに居たい、そう思うようになっていた。
だからその日も公園に出かけた。
「……」
その日、白瀬は来なかった。
夜まで待っていても来なかった。連絡先はお互いに交換していない。そもそも携帯もスマホも持っていなかった。
さらに翌日、いつものベンチで待っていると白瀬がやってきた。事故や怪我を心配していたが不安が解消した。
だが、いつもとは違う。あいつの隣には知らない男が立っていた。仲良く腕を組み、笑顔を浮かべて近づいてきた。
状況が理解できずに固まった。隣にいたのは長身のイケメンで、当時根暗メガネであった俺とは月とスッポンだ。
「この方は恋人です」
「へっ?」
突然の事態に頭が真っ白になる。俺達は恋人同士のはずだろ。つい先週恋人になったばかりだ。
戸惑う俺に白瀬が説明する。
「実は、こちらが本命の彼氏なんです」
「……」
「翔太さんと付き合ったのはあくまでも遊びといいますか、軽い冗談みたいなものでした。勘違いさせてしまったならごめんなさい。気の迷いでした、夢だと思って忘れてください。では、これからデートに行くので失礼します」
前触れのない別れだった。
あまりに唐突だったので色々な可能性を疑ったが、白瀬は最後まで笑顔だった。脅されているとか、イケメンに騙されているとかそういう素振りはまったくなかった。無理していないことくらいは表情からわかった。
「行きましょう」
などと言って俺に見せたことのない満面の笑みでイケメンの腕を掴むと、仲睦まじく歩いていった。
俺はただ去り行く二人の背中を呆然と眺めていることしかできなかった。




