第18話 白い接触
黒い噂は消えた。
周囲の雑音が消え、そして俺はまたも平穏を取り戻して――はいなかった。あの噂が消えた後、学園内で別の噂が流れたからだ。
『虹谷と黒峰は付き合っている』
などというふざけたものだ。
マジでやめてくれ。
この噂は男嫌いの黒峰が俺に向かって「……おっす、虹谷」と挨拶してきた件に端を発したものだ。おかげで多くの男女から殺意の視線を浴びる憂き目にあった。特に女子生徒からの視線はやばかった。
「どういうことかな、虹谷君」
「また転校したいのかな、後輩君?」
「月夜様になにしてるの。月夜様に近づくな。月夜様から離れろ」
「先輩のお尻の穴にチョーク何本入るか実験させてもらっていいですか?」
などなど愛のこもった言葉も多くいただいた。
恩を仇で返しやがったのかと震えたが、この噂は黒峰が鶴の一声で止めた。
俺の義妹が黒峰の大ファンで親衛隊のような立ち位置であり、その関係で挨拶をしたと説明したら大多数の生徒が納得してくれた。
偶然にも黒峰の取り巻きをしている女子の中で兄弟がいるのは俺だけであり、検証のしようもない。そういったわけで俺だけは特例として喋りかけても噂にならなくなった。
……てか、あいつには兄妹ってバレてるんだな。
虹谷という苗字は珍しいのでバレる可能性があった。
しかし心配無用である。
ここに転校してきた直後にあらかじめ義妹とは話し合って義理の兄妹であることは言わないよう約束していた。義理だとバレてしまうと変に関係を疑われるからだ。こっちにそんな気はなくても義理の兄妹という関係はラブコメの定番設定でもあるし。
義妹だって彼氏も欲しいのだろう、提案に乗ってくれた。
転校してきたこともあって設定を作るのが大変だったが、父と母が離れて暮らしていたからという強引なこじつけをした。家庭事情に関してそこまで深く突っ込む輩などいないだろう。
そういったわけで噂を振り払ったわけだが、少数納得できなかった者もいた。真相を確かめるためにわざわざ聞きにやってきた。
これは反省すべきだろう。
赤澤の場合は猫田に恩返しする意味でも仕方なかった。青山の場合は真広の推しだから友情に手を貸した。この両者の場合には致し方ない理由があった。
ただ、黒峰に関しては猛省する必要がある。噂されている姿が昔の自分と重なって同情したとか我ながら甘すぎる。お節介大好きと揶揄されるのも仕方ないだろう。ここは強引にでも義妹のためということにして自分を納得させるとしよう。
失態を犯してしまったが、悪魔共と関わり合いになるのもこれで終わりだ。
白い悪魔に関してはどうせ関わらない。
あいつは俺と接した時間が最も短い。小中学校も違う。学園でも最も遠いクラスに所属している。今後も関わり合いにはならないだろう。
などと考えながら帰り道を歩く。
住宅街を抜け、少し歩いたところにあるのが新しい我が家だ。学園まで徒歩で十分ほどの距離である。
家が見えてきた頃だった。
「――少々お待ちください」
その声は我が家から道路を挟んだところにある真新しいマンションからだった。天華院学園の制服を纏った小柄な女子生徒が入り口の前に立っていた。
「……」
フラグ回収までの時間があまりにも早かった。
そいつはすでに壊れかけていた我が心を完全に破壊してくれた相手。生まれて初めての関係を与えてくれた相手でもある。
白の女神――白瀬真雪は俺にとって生まれて初めて出来た彼女だ。
◇
「突然失礼します。わたくしは白瀬真雪と申します。あなたに話があって声を掛けさせていただきました」
初対面の接し方に安堵の息を吐いた。
正体がバレる可能性が最も低いので不安は少なかった。一緒にいた時間も短く、話した時間も短い。まずもって正体がバレているとは思わなかったが、もしかしたらと身構えていた。
「実は……うゎっ!」
近づいてきた白瀬は何もないところで転倒した。
「……」
「なるほど、罠ですか」
白瀬は平静な顔で述べる。
「違うっ、おまえのポテンシャルの問題だ」
「まるでわたくしが運動できないと言いたげですね」
「違うのか?」
「違いませんね。わたくしは普段から何もないところで転倒する達人なんです。おかげで転倒耐性がついていますよ」
何故か自信満々の白瀬は服の汚れを叩きながら立ち上がった。
変わらぬ姿に懐かしさと笑みが漏れる。
「笑いましたね?」
「笑ってない」
「嘘です。笑いました」
「……どっちでもいいだろ。それで、俺に話っていうのは?」
「はい。あなたが黒峰さんと交際しているという噂を聞きました」
そういう事情か。
大方、女神としては俺の票が欲しい。ライバルの黒峰に投票しそうなので確認に来たってところだろうな。
「あれは誤解だ。俺の義妹は黒峰の大ファンで、あいつの取り巻きをしてるんだ。黒峰も可愛がっているらしい。その関係で挨拶をしてきただけだ。男嫌いの黒峰がそんなことをしたから目立って噂になったわけだな」
説明すると白瀬は納得の色を見せた。
「……そうでしたか。ならば良かったです」
「良かったって?」
「はい。あなたが黒の悪魔に騙されていなかったと安堵しました」
悪魔?
もしかしてあれか、こいつも他の女神と仲が悪かったりするのか。さすがに女神同士の仲悪すぎだろ。
「転校生の虹谷さんでしたよね?」
「おう、単なる田舎者だぞ」
「調べたところ、あなたは赤の女神や青の女神とも接点があると伺いましたが?」
「……成り行きだ」
「では、仲良くする気はないのでしょうか?」
「ないな。知り合いの域は出ないだろう」
あるわけがない。
「見た目だけは魅力的な方々ですが、何故ですか?」
「理由について説明する気はない。ついでに言うと、白瀬とも仲良くする気はないから安心してくれ」
「あら、嫌われてしまいましたね」
成り行きで関わったあいつ等だが、白瀬とまで関わる気はない。
ここが学校なら周囲の目も気にするが、生憎とこの辺りには誰もいない。自己主張をしっかりとしておくべきだろう。
「目立つのが嫌いなんだ。黒峰と少し話しただけでもこの騒ぎだろ。仮に仲良くなったら周囲からのやっかみが激しすぎる」
現に白瀬は噂の事実確認のために声を掛けてきた。
「なるほど、確かに話しただけで噂になるのは面倒ですわね」
「そういうわけだ。人気者に関わると良くも悪くも注目を集めるからな」
「……あなたを少しだけ理解しましたわ」
「わかってくれればそれでいいさ。じゃあな」
家に向かって歩き出す。
毅然とした対応ができた。そうだ、本来俺はこうするべきだった。同情とか友情とかに絆されてしまったのは気の迷いだ。
「ところで、わたくしは現在問題を抱えています」
「……」
家に向かって歩く。何故か白瀬が真後ろからぴったりマークしている。
「どなたか、お節介をしてくれる人を募集しているのですが」
「…………」
家の前に到着した。何故か白瀬が真後ろにいる。
「調べたところ、あなたはお節介が好きなタイプのようですね」
「誤情報だ。俺は――」
「引き受けていただきありがとうございます」
「何も言ってねえよ!」
声を張ると近所の奥様達から視線をいただいた。
家の前で揉めるのはまずい。ご近所で噂されるのは避けたい。
「……で、何に困ってるんだ?」
「ストーカーに悩まされています。しばらく恋人のフリをしていただきたいのです。問題を解決していただければ今後あなたに関わらないと約束します」
恐ろしい条件を出してきやがった。俺にメリットが何もない。デメリットしかない。
「ちょっと待て、ストーカー?」
「はい、背の高い男性に付きまとわれています」
「大丈夫なのか? 実害とかは?」
「今のところは付きまといだけです」
「それはそれで面倒だな。後ろから付いてくるだけだと警察も動きが……って、どうして笑ってるんだ」
人が真剣に考えているのに白瀬はニコニコしていた。
「あなたは噂通り人が良いですね。関わり合いになりたくないと言っていたのにそこまで親身になってくれるとは意外でした」
「……」
「改めてお願いします。わたくしに手を貸してください」
頭を下げる白瀬に俺は苦笑いを浮かべた。




