第17話 黒い接触後
あの騒動が収束してから初めて黒峰と同じ時間のバイトに入った。
バイト中のあいつはこれまで通りまじめな店員だった。俺も学校でのことは気にせず覚えたばかりの業務をこなしていく。
後数分で仕事が終わるタイミングで。
「……話があります。時間をください」
声を掛けられた。
といったわけで店の裏手で待っていた。
待ちながら過去の出来事を思い出していた。あの噂が流れてからは酷かった。完全に犯罪者扱いで、地獄のような日々を送ることになった。仲間に後ろから斬られたような感覚は今でもトラウマものだ。
悲しい気分に浸っていると、準備を終えた黒峰が出てきた。
「……ありがとね。虹谷君」
開口一番感謝の言葉が飛び出した。
「何の話だ?」
「もう気付いてるんですよね。わたしのこと」
「やっぱり黒峰が黒の女神だったんだな」
黒峰は一瞬だけ迷った素振りをした後で、こくりと頷いた。
「学校と全然違うよね?」
「……」
「ちなみに今の姿が素です。学校での性格は演技」
学校では孤高の存在っぽく振る舞っているらしい。
問題はどうしてそれを俺に話してきたか、だ。
あの噂を払拭したことに恩を感じているのなら勘弁してくれ。こっちは今さら仲良くする気はない。
「でも、最近ちょっと違うのかなって思い始めたんです。あっちのわたしも素なのかもって。演技してるって感じも無くなってきたの」
おいおい、聞いてもいないのに語りだしたぞ。
しかし俺が反応しないと話が進まないわけで。
「えっと……どういうことだ?」
「自分でもわからなくなってるみたい。ホントの自分が」
「中二病みたいなこと言うな。馬鹿々々しい、どっちも黒峰だろ」
ここで選択を間違えるわけにはいけない。
俺があの噂を払拭した件についてはこいつも知っている。変に優しくしたら関係が深まる可能性がある。突き放すべきだ。
「裏とか表とかくだらん。両方黒峰だろ。バイトで見せるまじめで地味な姿も、学校での派手でサバサバした姿もどっちもおまえだ」
「……それって、どっちのわたしも認めてくれるってことですか?」
えっ?
いや違う、そうじゃない。都合よく解釈するな。
「そういえば、どうして助けてくれたんですか?」
「あれはその――」
「虹谷君があの話を広めてくれたって聞いた。でも、バイト先以外で面識なかったよね。わたしが黒の女神だって知らなかったみたいだし」
「……ただ気分が悪かっただけだ」
黒峰は目をぱちぱちさせた。
「陰口とか噂とか嫌いなんだ。前に黒峰が親父さんと楽しそうに歩いてるのを見かけた。親父さんの顔はここに迎えにきたから知っていた。だから近場にいる女子に教えてやっただけだ。あいつ等が適当言ってるのにムカついたからな」
それだけだ。
決しておまえを助けたくて助けたわけではない。あくまで俺自身のためだ。
「陰口が嫌いっていうのはわかるかも。わたしも嫌いだから」
どの口が言いやがる。
こっちはおまえにとびっきり悪い噂を流された身だぞ。まあ、実際に流したのはおまえじゃないけどさ。
「俺もひとつ聞きたいんだが」
「……?」
「どうして否定しなかったんだ。相手が自分の父親だって」
たった一言で終わった問題を長引かせた意味がわからなかった。数日間無駄に悪意に晒されただけで得はなかっただろう。
結局は父と仲良しだったという理由で好印象が加速したわけだが、あれを狙っていたわけではないだろう。
「……昔話を聞いてください」
どうしよう、全然聞きたくない。
こいつの過去を今さら聞いたところで反応とかできそうにない。というか、大体知っている。
幼馴染のお兄さんに失恋したことだったり、それがトラウマで恋愛ができなかったことだったり、小学生の頃にいじめられて孤立していたことだったり、親戚に胸を触られて男性恐怖症になったり――
多分、ここで語られる昔話ってのは小学生の頃のトラウマだろう。どうせその頃のトラウマで噂に真っ向から立ち向かえなかったとか弱さアピールする奴だろ。
「ある噂が流れたんです。その噂のせいで一人の生徒が学校に来れなくなった」
「……お、おう」
それ、貴方のことですよね?
「一応聞くが、噂は間違いだったんだろ」
「間違いでした。その人は全然悪くなかったの。何も悪くなかったのに周囲の最低な人達のせいで悪者になってた。取り返しがつかないことになっちゃった」
かつて聞かされた話だ。
黒峰が友人だと思っていた相手に裏切られ、その後いじめられたという話だ。そのショックで黒峰は小学六年生の頃にひきこもりがちになってしまった。
内気な性格になってしまったのもこの一件が尾を引いたからだ。
これについては同情する。
「ホントに馬鹿だったな。昔のわたし」
――えっ?
「あんな大騒ぎだったのにどうして気付かなかったんだろうね。気付いたときには全部後の祭りだったの。馬鹿すぎたから憧れてた人にも失望されちゃった」
黒峰は悲しそうな表情を浮かべていた。
これは小学生の頃の話ではなく、俺が転校した後の話だったりするのだろうか。おまけに話を聞く限りだとこいつがやらかしたらしい。自分が過去にされたことを人にやってしまったとかそういう感じだろうか。学習能力皆無かよ。
まっ、こいつと関わってる時点で俺にも学習能力ないんだけどな。
「おまえが何をしたのかよくわからんが、後悔してるなら謝ればいいだろ」
そう口にすると、黒峰はまじまじと俺の顔を見つめた。まるで何事かを訴えようとしているようだったが、さっぱり意図が読めない。
「無理です。その人はもういないから」
「連絡は取れないのか?」
「……その人はもうどこにもいないから」
話を聞いて一瞬だけ俺のことかも、と考えたが違うな。仮に俺のことなら転校先にいるって認識になるはずだからな。
どこにもいない、ってのはおかしい。
雰囲気的には相手がすでに亡くなった感じか?
俺が去った後はあの中学校も荒れたみたいだし、そういった事件的なものが発生したのかもしれない。だとしたら怖すぎるだろ。
相当堪えているのか、黒峰は完全に意気消沈していた。見ていて痛々しい程に。
「噂を払拭しなかったのはその贖罪だったりするのか?」
「……わたしは罰を受けなきゃいけないんです」
どんな思考回路だよ。
おまえがその罰を受けたところで亡くなった奴は帰って来ないだろ。頭良かったはずなのに意外と馬鹿だったのか。
「事情を知らない俺がどうこう言うつもりはないが、耐えてばっかりだと良くないぞ。辛いのに耐えてるうちにダメージは蓄積されていくし、最悪潰れるぞ」
過去の経験で培ったことだ。
もし俺が過去と同じ状況に陥ったら積極的に動くだろう。大声で否定して、クズ男とあの女を殴りに行ったに違いない。今となっては考えても意味がないけどな。もう昔の話だ。
「……虹谷君ってやっぱり優しいね」
「一般的な意見を述べてるだけだ」
「あっ、噂のこともありがとね。自分では耐えられてるつもりだったけど、やっぱりダメージ受けてたみたい。ホントの自分がわからないとか変なこと言っちゃうくらいだし。バイト中もミス多かったし」
平然としているように映ったが、こいつもダメージを受けてたわけだ。
「気にするな。ヘラるのは誰でもあるからな。次に同じことがあったらちゃんと声出したほうがいいぞ。それから、変な贖罪なんてしても相手には伝わらない。止めた方がいいぞ」
「……うん、虹谷君が言うならそうする」
「話はこれで終わりだな。感謝は受け取ったよ。じゃ、俺はそろそろ帰る」
「待ってください」
チャリに跨ろうとしたら止められた。
「あの、学校でも話しかけていいかな? 前に自分から話しかけないでってお願いしたのに勝手なこと言ってるのはわかってるけど」
「……男とは話さない主義じゃないのか」
「怖いだけ。昔から男の人が得意じゃなかったんです」
「俺なら大丈夫だと?」
「うん、虹谷君は平気だから」
何でだよ。どうして好感度が上がったんだよ。
「恐怖症克服のためにお願いできない?」
「……」
こいつの取り巻きには義妹がいる。ここで下手な返答したら最悪の展開になりかねない。過去の行いから考えると義妹が悪意に晒される可能性もある。
「世間話程度なら」
「ホント!? ありがとう!」
笑顔になった黒峰を見て、チャリを漕ぎだす。
帰り道の途中でふと、疑問を抱く。
……あれ、あいつ男嫌いが治っていないとか言ってたよな?
だったらどうして俺とは初対面から普通だったんだ。むしろうれしそうな顔をしていた気がするのだが。
疑問が頭の中に残ったが、それ以上は気にせず家に向かった。




