桃色の独白 前編
人生は理不尽の連続だけど、だからこそ稀に訪れるちょっとした幸運や幸福が宝石みたいにキラキラと輝く。
これが高校生になって初めての文化祭を間近に控えた私が抱いた、人生というものに対する率直な感想です。
小娘が悟ったように言うなと説教する人もいるでしょうが、これは揺るがない事実なので仕方ありません。
「……この写真を飾れる日が来るなんて」
手に持った写真を見つめながら、私は今日までの日々を振り返ります。
幼い頃の私は体が弱く、すぐに体調を崩す子でした。学校に通えない日が多かったので友達も少なく、ベッドの上で退屈な時間を過ごしていました。
どうして私だけが――
他の元気な子供を見て暗い気持ちになったこともあります。けれど、最低ではありませんでした。私には二つの太陽がありました。
大好きな姉と兄の存在が闇に染まりかける心を支えてくれました。
赤澤夕陽は自慢の姉でした。
ベッドで退屈していた私に本の読み聞かせをしてくれたり、学校での出来事を教えてくれたり、いつも構ってくれる優しい人でした。私はお姉ちゃんが大好きでした。
優しかったお姉ちゃんは年齢と共に成長していきました。明るくて、可愛くて、おまけに体が頑丈で、友達も多い。何一つ敵わない姉を尊敬していました。
無川翔太は優しくて素敵な兄です。
血は繋がっていない幼馴染でしたが、兄と呼び慕っていました。体が弱い私を心配して、いつも傍にいてくれました。
恋心が芽生えたのは小学校低学年の頃です。
だけど、翔太兄さんがお姉ちゃんに夢中なのは知っていました。毎日のようにお見舞いに来てくれたけど、目的がお姉ちゃんなのは丸わかりです。それでも、あの時間は私にとって何よりも大事な時間でした。
大好きな姉と兄のカップルは羨ましくて、見ていると少し胸が痛みました。
初恋は実らない――
昔からある格言通り、この恋が実らないのは自分でもわかっていました。でも、別に良かった。大好きな二人を見ているだけで幸せだったから。
それに、相手が何一つ敵わないお姉ちゃんだったから諦められた。だからこの気持ちは封印しているつもりでした。いつか、あの二人が交際の報告をしてきたら笑顔で祝福しよう。そう考えていました。
早く元気になって、二人に心配を掛けないようにしよう。
そんな気持ちで日々を過ごしていると、お姉ちゃん達は小学校を卒業しました。翔太兄さんがお見舞いに来なくなったのはその辺りからでした。
ケンカでもしたのかな?
もしかして私が嫌いになった?
不安になった時もあったけど、お姉ちゃんが中学での翔太兄さんの様子を話してくれたので中学生になって忙しくなったのだと判断しました。
月日は流れ、私も中学生になりました。
昔に比べると体も大分良くなりましたが、まだ万全ではなかったので学校は相変わらず休みがちです。
久しぶりに登校したある日のことでした。
『ねえ、あの噂だけど』
『俺、一緒に歩いてるの見たことあるかも』
『気持ち悪いよね。赤澤先輩の彼氏ってあの犬山先輩でしょ?』
変な噂を耳にしました。
……翔太兄さんがお姉ちゃんのストーカー?
ありえないでしょう。
二人はどう見ても相思相愛です。お姉ちゃんが自分の部屋で翔太兄さんの写真に向かって愛の言葉を囁いているのを何度も見かけています。
その噂によると翔太兄さんがお姉ちゃんを待ち伏せし、一緒に登校しているというのです。
――くだらない。
あの二人が一緒に登校するのも当たり前です。
翔太兄さんはお母さんに頼まれているのですから。ちなみに私は体が弱かったので一緒には登校していません。両親の車で送ってもらっていました。
最初に噂を聞いた時は幼稚で悪質な噂だと気にも留めませんでした。大方、あの二人が素敵なカップルだから悪い噂でも流そうとしているのだろうと思って無視しました。時間が経過すれば自然に消滅するだろう、と。
実際、しばらく私の耳に噂は入ってきませんでした。同じ中学に通っていても学年が違えばとそんなものです。
中学生になってからは翔太兄さんに会っていません。理由はいくつもあります。元気になった姿を見せたかったり、お姉ちゃんとのイチャイチャが見たくなかったり、そういった気持ちがあったからです。
私は自分の体を治すために力を注ぎました。
両親の助けもあり、中学生活最初の冬が終わろうとしていた頃には体はすっかり元気になっていました。
これでお姉ちゃん達に心配を掛けなくて済む。
そう思っていた矢先、翔太兄さんが転校したことを聞かされました。話を聞いて目の前が真っ暗になりました。
会いに行けば良かった。後悔と絶望の日々を送りました。
抜け殻のようになって過ごしていたある日、事態が変化しました。それは中学二年生になったある日のことです。
ある先輩が事件を起こして学校中が大騒ぎになりました。事件を起こしたのが黒峰先輩だと知ったのは後のことでしたが、その事件をきっかけに私のクラスでは上級生達の話題で盛り上がることが多くなりました。
その際、翔太兄さんに関する話を聞きました。
噂は以前聞いた時よりも酷くなっていました。その噂をお姉ちゃんが必死で火消しをしていることも知りました。
私にも事情を聞いて来る人がいて鬱陶しかったので、お母さんに噂話を伝えました。
当時の私は噂など全く信じていなかったので糾弾するわけではなく、単なる相談のつもりでした。私はお姉ちゃんを信頼していたし、尊敬もしていた。だから事情を知りたかっただけです。
『ゴメンなさい。私が悪かったの――』
お姉ちゃんは観念したように話を始めました。
それを聞いた時、私の中で何かが壊れてしまった気がしました。
二つの太陽を失った私は中学生にして人生がどれほど理不尽で、どれほど最低なのかを知りました。
◇
私とお姉ちゃんの間には埋められない溝ができました。
中学を卒業する頃になると体が弱かった頃の面影はなく、中学最終学年では皆勤賞でした。
私はある決心をして、天華院学園に進学することを決めました。
真相を知ったからです。
翔太兄さんのお母さん――友里恵さんは事情を知っていたそうです。私はお母さん経由でそれを聞きました。すべてを知った私の中に芽生えたのは復讐心でした。
『許せない』
お姉ちゃんも許せないけど、他にも許せない悪魔共がいる。翔太兄さんを傷つけたあの連中を絶対に許さない。
私から太陽を奪っただけでも許しがたいのに、何よりも許せなかったのはあの学園の名物でもある天華コンテストの結果でした。
あの悪魔共が女神?
史上初の4人同時就任?
悪魔が女神という称号を得ていたことが酷く不愉快でした。
もし、翔太兄さんが戻ってきた時、あの悪魔が女神の称号を持っていたらどう思うでしょうか。きっと傷つくはず。少なくともあの人達よりは私のほうがマシです。似たようなことをお姉ちゃんが言っていたけど、お姉ちゃんが言うのも許せなかった。
『許してください』
『ゴメンね、翔ちゃん』
『私、気持ちよくなってたの!』
あれから、お姉ちゃんが写真に向かって懺悔している姿を何度も見ました。
信じられないことに、お姉ちゃんの話を総合すると嫌いになったわけではなかったみたいです。翔太兄さんから嫉妬されるのが気持ち良くなっていたみたいです。自分の行動がまずいと知りつつ、歯止めが利かなかったみたいです。
あれが性癖だったの?
その事実がまた私を苛立たせました。絶対にあの悪魔共を潰そう。そう決意し、私は天華院学園に入学しました。




