第24話 赤い敗北
赤澤の発言を聞いて絶句した。
のっぴきならない事情があったのかもしれないと考えていた自分が恥ずかしい。他の女神達のように仲直りできるかも、とか思っていた数十秒前の自分を殴り飛ばしたい。
ギルティだ。有罪だ。ありえない。
腕を掴んでいた赤澤の手を振り払った。その際「あっ」と切なそうな声を出しやがったが、こっちはそれどころじゃない。
……お、落ち着け。まずは今の話が真実なのか確認しないと。
地獄の中学時代の元凶がただの性癖だと?
そんなの到底信じられない。信じたくなかった。嘘であってほしかった。
「い、今の話はホントなのか?」
「本当だよ」
「……他に理由があるんじゃないのか?」
「嫉妬されることで優越感に浸りたかっただけ。さっきも言ったけど、翔ちゃんのことは、ずっと大好きだったから」
そう言った赤澤は自虐めいた笑みを浮かべた。
鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。嘘だろと叫びたかったけど、ある意味では納得できてしまった。
元から疑問ではあったのだ。いくら何でも小学生時代のべったりから中学時代のアレはないだろうと。
何度も理由を探した。自分の顔立ちを嘆いたり、貧乏を嘆いたり、低身長を嘆いたりもした。でも、それでもあそこまで嫌われるものかと不思議だった。もしかしたら嫌われるような行動とか言動をしたのかも――
答え合わせをしたら性癖だと?
「……」
茫然自失。人間という生き物は驚愕の上限を突破するとフリーズすると聞くが、実際にその通りだと理解した。理解したくなかったけど。
赤澤は何事もないように続けた。
「自分で自分が嫌になるよ。ホント、馬鹿だよね」
ああ、おまえは大馬鹿だよ。
それはもう覆しようのない事実だ。しかし、馬鹿程度の言葉で済ませてほしくなかった。
「私が気持ち良くなってたら全部終わってた。翔ちゃんは教室に来なくなって、そこでようやく自分の過ちに気付いたの。すぐにでも謝りたかったけど、無理に近づけば余計に翔ちゃんの悪い噂が広がっちゃう」
「……」
「それでも何かしたかった。だから、噂を取り除くために頑張ったんだよ。けど、全部手遅れだった。翔ちゃんは転校しちゃった」
沈痛な面持ちで語る赤澤だが、俺の意識はもう飛びかけていた。
あんなカミングアウトがあった直後にシリアスな感じを出さないでくれ。もう無駄だぞ。そんな苦しそうな顔しても頭に全然入ってこないからな。
「……おじさんとおばさんは知ってるのか?」
「えっと、私が馬鹿やって翔ちゃんが転校したことは知ってるよ。桃が学校での噂を聞いて、それを両親に話したから」
「性癖の話は?」
もし性癖に関する話をしていたのなら最悪だ。
自分の娘のクソみたいな性癖、そのクソみたいな性癖の餌食となった俺――それをおじさんとおばさんに知られるのは嫌だった。どこがどう嫌なのか説明できないが、何となく嫌だ。
「さすがに性癖とは言えなかったよ」
「そ、そっか」
安堵した。
「すごく怒られた。あんなに怒られたのは生まれて初めてだった。お母さんは私が翔ちゃんのこと好きだって知ってたから余計に怒っちゃった。何をしているのかって問い詰められて、泣いちゃった」
「……」
「お母さんはすぐ友里恵さんに電話して謝ってた。あの姿を見て、自分の馬鹿さ加減を再認識したんだ」
母さんと赤澤のおばさんは友達だからな。
「ちなみに、桃楓の反応は?」
「すごい怒ってた。初めて桃に殴られちゃった。昔から翔ちゃんのこと大好きな子だったけど、あそこまでとは思ってなかった」
まあ、当たり前だろう。
桃楓は俺を恩人だと言ってくれた。そしてずっと好きだったと想いを告げてくれたくらいだ。
あの仲良し姉妹が絶縁状態に陥った原因が俺なのは知っていたが、なるほど当事者から聞くと強烈だな。それと多分、桃楓はさっき話した性癖云々についても知っている気がする。口ぶりと態度からの予想でしかないが。
「そういえば、母さんに許されたと言っていたな」
「うん」
「性癖の話はしたのか?」
「それはその――」
様子から察するにしていないわけだ。
これまた安心した。もし、その話を聞いて許していたのなら母さんを見損なうところだった。母さんからしたら友達の娘だし、娘のように可愛がっていた赤澤だから許したのだろう。真相を聞いてからだと複雑だけど、そこは仕方ないか。
「……」
「……」
しばし静寂が場を支配した。
口を開いたのは赤澤だった。
「あの、改めてゴメンなさい。自分のしたことをしっかり謝りたいの。それで、許してもらえるなら――」
「謝っても許さないからな」
「えっ」
赤澤が固まった。
これまで他の女神達は許してきた。蓮司の奴には甘いと言われたが、俺なりに納得できる理由があったから許したのだ。
青山は自分の行いを悔い、当時から謝罪していた。数年分の証拠は今でもばっちり残っている。
黒峰は何も知らなかった自分を恥じると、自らの手でケジメをつけた。これについては多くの人間から話を聞いた。
白瀬は真っ先に謝罪してくれたのが好印象だった。夏休み時点では他の女神と仲直りすると思っていなかったし、俺の味方になってくれるという言葉に救われた。それに、やったことは擁護できないけど家庭環境には少し同情できた。
でも、こいつは違う。
この女は自分の快楽のために俺を利用しただけ。擁護するところもなければ同情の余地もない。それに、今の俺には多くの味方がいる。
「さっきの話を聞いて仲直りしましょう、とはならないって言ったんだ。白瀬と違って同情もできないし」
「し、白瀬真雪がどうして出てくるの?」
「そういえば言ってなかったな。和解したんだよ。白瀬だけじゃなくて、他の女神ともだけどな」
赤澤はわかりやく動揺した。
「ど、どうしてあいつ等と和解を!?」
「許せるだけの材料があったからだ。他の誰でもない、俺が許したんだ。別に脅迫されてるわけじゃないからな」
赤澤の顔色がみるみる悪くなっていく。
大方、俺が白の派閥に入ったあたりの理由とかにもこれで合点がいったのだろう。こいつの頭にはその可能性はなかっただろうし。
「じゃ、じゃあ、私も許してくださいっ!」
「……」
「あれは好きの裏返しだったんだよ。翔ちゃんが怒るのはわかるけど、私も反省してたんだよ。だから――」
赤澤は縋るように手を伸ばしてきた。
「無理に決まってるでしょ!」
手を払ったのは桃楓だった。
いつの間にやってきたのだろうか。全然気付かなかった。
「っ、桃!?」
「さっきの話を聞いて許すとかありえないでしょ。翔太兄さんの顔を見てみなよ。完全にドン引きしてるから」
「……聞いてたの?」
赤澤は桃楓を睨みつける。
「言っとくけど、お姉ちゃんの性癖だってことには気付いてたからね。同じ家で生活してるんだから、嫌でもお姉ちゃんの声とか聞こえるし。お姉ちゃん、部屋に飾ってある翔太兄さんの写真に向かって毎日ぶつぶつ言ってるでしょ」
「っ」
同じ家で暮らしている以上は嫌でも聞こえてくるよな。
義妹の紫音が部屋で電話している声とか、廊下にいると聞こえてきたりする。盗み聞きしたいわけじゃないけど、聞こえてしまうのだ。
「翔太兄さんが優しいからって無理だよ。お姉ちゃんはそれだけのことをしたんだからさ。大人しく単なるクラスメイトの関係で我慢しなよ。本当はそれも嫌だろうけど、同じクラスなのはどうしようもないんだしさ」
「桃には関係ないでしょ。私と翔ちゃんの問題だから!」
「関係ないよ。ただ、二人が仲直りするだけならね」
どういう意味だ?
桃楓は俺の視線の意味を理解したらしい。
「昨日の夜、聞いちゃったんです。翔太兄さんに告白するって」
「……はぁ?」
「しかも成功する前提だったんですよ。お姉ちゃんってば未だに翔太兄さんの恋人になれるとか思ってるんです」
マジかよ。
あのカミングアウトをされたら百年の恋も冷めるだろ。
「結果なんて桃にはわかんないでしょ!」
「わかるよ。残念ながらね」
「どうして?」
桃楓は自信に満ちた笑みを浮かべた。
「――翔太兄さんは私と付き合ってるんだから!」
勝ち誇ったように言い切った。
「えっ?」
えっ?
赤澤と俺の心の声がシンクロした。
待ってくれ。確かに告白はされたけど、返事はまだしていないぞ。
俺は驚きに固まってしまったが、それ以上の反応を示したのが赤澤だった。相当ショックだったのか、ぴくりとも動かない。
沈黙の中、桃楓が近づいてきた。
「……すみません。私に話を合わせてください」
小声でそう言ってきた。
「お姉ちゃんには荒療治が必要です。中途半端な対応だとまた近づきます。翔太兄さんの優しさは素敵ですが、今回ばかりは突き放すべきです」
先ほどの言葉は演技ってわけか。
「あっ、一応聞かせてください。先ほどの話を聞いて、今後お姉ちゃんに恋愛感情を持てますか?」
「……無理だ」
頭を振って答える。
昔の思い出はあるし、赤澤夕陽が初恋の相手なのは間違いない。そりゃ今も顔は好みだし、スタイルは抜群だし、外見だけなら間違いなく一番好みではある。けれど、今の俺にとってこいつは恋愛対象ではない。
付き合うとか無理だ。あれが性癖なら今後もまた似たようなことする可能性が高い。同じことを恋人にされたら今度こそメンタルが破壊される。
程なくして、赤澤は我を取り戻した。一縷の望みを託すように、俺を見つめる。その瞳には輝きがなかった。
「あの、翔ちゃん。桃の話って……嘘だよね?」
「事実だ。実は再会してすぐに告白されたんだ」
「そういうことだから。今後は私の彼氏だから距離感には気を付けてね。お姉ちゃんは私に負けたの。翔太兄さんのことは諦めて」
トドメとばかりに敗北の二文字を突き付ける。
「……」
激しい反応があると予想していたが、何もなかった。
想像していた反応と違うことに驚きながら赤澤を見ると、そこにいたのは抜け殻だった。赤澤は立ったまま気を失っていた。




