第20話 赤と無色の親友
「……いよいよ明日か」
今日だけで何度同じことをつぶやいただろう。
そう、明日は赤澤夕陽との話し合いが行われる。
あの再会から赤澤との会話はない。クラスメイトだから朝と帰りの挨拶はしているが、その程度だ。
突然の再会を果たしてから意識して赤澤の行動を見ていたが、それはもう学園のアイドルの二つ名通りだ。まさに完璧で無敵なアイドル様だった。
廊下を歩くだけで笑顔の花が咲き、あちこちから声を掛けられる。男女問わず人気が高く、教師からの信頼も厚い。いつも人に囲まれており、休み時間に人が集まる様子はさながらアイドルの握手会のようだ。
関係が最も深かった相手だからか、あるいは初恋の相手だからか、俺の気分はずっと落ち着かなかった。何の話をするのか考えるだけで胸の奥がチリチリする。似たような状況だった黒峰の時にはなかった感覚だ。
「さっきから同じことばっか言ってるぞ」
「しょうがないだろ」
「まあ、夕陽のアホが何を考えてるのかわからないから仕方ないか。正直、話の内容に関しては予想もできない。翔太の話だと謝ろうとしたらしいが、本気かどうかもわからんからな」
そう言って難しい表情になったのは親友の蓮司だ。
現在は金曜日の放課後。場所は俺達のクラスだ。
特に約束をしていたわけではなく、放課後になってからふらっと蓮司がやってきた。やってきた理由は無論、明日の赤澤との話し合いについてだ。
「やっぱ一人で行くのは危険だろ。一緒に行こうか?」
「いや、一人で行くよ」
「ホントに大丈夫か? 話し合いする場所ってあいつの家だろ」
「桃楓も家にいるみたいだし、何かあってもソロじゃない。それに、蓮司が一緒だと話し合いになるかわからないしな」
蓮司は赤澤を毛嫌いしている。ケンカにでもなったら話にならない。
「……わかった。翔太がそう言うなら任せるしかないか」
「さすがに家の中で問題は起きないだろ」
「だといいけどな」
「不安にさせるなよ」
互いに苦笑したのは、大丈夫だろうと思いつつも不安が残っていたからだろう。
「しっかし、俺の知らない間にいろいろとあったみたいだな」
その”いろいろ”というのは言うまでもなく赤澤姉妹絡みのことだ。俺からは何も話していないが、桃楓から連絡があったらしい。
「確かにいろいろあったな」
「こっちもいろいろとあったぞ」
「具体的には」
「桃楓ちゃんにめちゃくちゃ怒られた」
「……だろうな」
蓮司はその時を思い出したのか、ぐったりした表情になった。
「翔太が戻ってきたことを黙ってた件で随分と詰められた。あんなに女に怒られたのは生まれて初めてだ。思わず電話を切っちまったよ」
「そりゃご愁傷様だ」
桃楓が怒るのも無理はない。
ただ、成長を促そうとした蓮司の意見にも一定の理解は示せる。個人的にはどちらかといえば桃楓寄りの意見だったけど。だからまあ、これについては何とも言いにくい。
「でも、最終的にはわかってくれたんだろ?」
「悪気がないってのはわかってくれたみたいだ。俺としても可愛い妹分に嫌われたくねえからな。素直に謝っておいた」
「それは良かった」
「怒られたから全然良くはないけどな」
言葉とは裏腹に、蓮司は上機嫌になった。
「まっ、おかげで俺と翔太がこうして顔を突き合わせても問題なくなったってのはある。これはこれでアリだと今なら思える」
その言葉に頷いた。
赤澤姉妹にバレたくないという気持ちで学園内の会話は控えていたが、これで気兼ねなく喋れるようになった。
同じ東部中学出身である猫田と真広には体育祭で関係を深めたと言っておいたので、こそこそする必要はどこにもなくなった。
「でも、桃楓ちゃんの積極性には驚いたな。前々から翔太に対して重い感情を持っていたのは知っていたが、再会した直後に告白とは」
「あれには俺もビックリしたよ」
そもそも桃楓に惚れられているとは思っていなかったし。
「……なあ、蓮司はいいのか?」
「何がだよ」
「桃楓を女神にしたかったんだよな。もし、俺がこの告白を受けたら間違いなく女神にはなれないぞ」
蓮司は思案顔になり、首を振った。
「あの時とは状況が変わった。ほら、当時は俺も男神を辞退する予定とかなかっただろ。大体、おまえが帰ってきたことも知らなかったしな。あの頃は【4色の女神】を蹴落として別の女子生徒を女神にしたかったんだ。桃楓ちゃんは女神になっておまえを迎えたかった。俺は現女神を排除したかった。利害が一致していた。男神を辞退して、おまえが戻ってきた今となっては何の問題もない」
当時と今では確かに状況は大きく変化している。
「……なるほどな」
「だから桃楓ちゃんと付き合ってくれても全然問題ないぞ」
「ふむ」
「ただ、俺も知らなかったけど気をつけろよ。桃楓ちゃんは怒ると怖いぞ。おまけに粘着質だ。どんな感じで説教されたか詳しく教えてやるよ」
その後、蓮司から怒った桃楓がいかに怖かったか語られた。
最終的にはこっちに戻ってきたことをすぐに言わなかった俺のせいだと何故か叱責されたが、これについては申し訳ないと思っていたので甘んじて受け入れた。
すっきりするまで愚痴った後、蓮司はトイレに向かった。
それから十数秒後、教室の扉が開いた。やけに戻りが早いと思っていたら、教室に入ってきたのは意外な人物だった。
「あれ、虹谷だ」
「猫田?」
クラスメイトでもあり、赤澤夕陽の親友でもある猫田だった。
「どうしたんだ?」
「忘れ物しちゃった。途中で気付いて戻ってきたんだ」
こっちに近づいてきた猫田が自分の机から忘れ物を回収した。
「虹谷こそ何してたの?」
「えっと、友達と話してたところだ」
「友達――」
その時、教室の扉が開いた。
「おう、戻ったぞ」
蓮司が戻ってきた。
「えっ?」
「おっ、猫田葉月じゃないか。久しぶりに顔を見た気がするな」
「蓮司君!?」
忘れていた。
そういえば、猫田と蓮司は俺が不在の間に何か揉め事があったらしい。その件について聞くのをすっかり忘れていた。
「ひ、久しぶりだね」
「高校に入ってからはクラスが違ったから、喋る機会も少なかったな」
「……あの、聞きたかったことがあるんだ」
「何だよ」
「ホントに天華コンテスト辞退しちゃうの?」
「ああ、男神の称号は必要ないからな。会議に出るのも面倒だったし」
「そっかぁ……蓮司君に投票しようと思ってたから残念だよ」
どうなるのかと不安だったが、二人は普通に会話を始めた。その様子を見るかぎり確執みたいなものは感じない。というより、高校に入ってから会話をするのは初めてってわけでもないみたいだ。
どういうことだ?
「……」
まあいいか。
数秒だけ考えて、それ以上はやめた。深く考えたところでわからないし、後で蓮司に聞けばいい。少なくとも表面上は良好な関係みたいだし、ここで下手な発言をして問題を広げる必要はないだろう。
「そういや、猫田と翔太は同じクラスだったな」
俺に話を振ってきたので頷く。
「おうよ。しかも隣の席だぞ」
「そいつは運命的だな」
俺達が会話をしていると、猫田は納得したように。
「……翔太? あっ、前に言ってたもんね。仲良くなったって」
と、つぶやいていた。
猫田には以前、俺と蓮司が一緒にいるところを見られていた。仲良くなったとごまかしておいて良かった。
それから猫田を交えて三人で話をした。
話といっても他愛のない世間話だ。最近どんな感じだったのか、とかそういう当たり障りのないものだ。
「てか、どうして猫田はこんな時間に教室にいるんだ?」
蓮司は今更な疑問を口にした。
「教室に忘れ物しちゃって」
「ドジだな。よく忘れ物するとか、ますます翔太と同じだ」
心外な発言だ。
「失礼だな。俺は忘れ物が少ないほうだぞ」
「今は、だろ。小学生の頃なんてしょっちゅう忘れ物してただろ」
「っ」
蓮司の言葉に猫田はビクッと反応した。
どうした?
何か蓮司がおかしのことを言ったか――って、今こいつ小学生の頃とか言わなかったか。
注意しようとしたら、蓮司は得意気な表情で続ける。
「忘れたとは言わせねえぞ。プリント忘れたり、靴を忘れたり、昔はかなり酷かっただろ。特に酷かったのは学校にランドセルを忘れたことだな。小学生の必需品をどうしたら忘れられるのか、今思い出しても笑えてくるよ」
「おい、昔の話はするなって言ったろ!」
「あっ――」
小声で注意すると、蓮司はしまったという顔をして言葉を詰まらせた。
「えっ……小学生時代の思い出?」
猫田は目を瞬いた。そして、何かに気付いたように俺のことをジッと見つめる。
「小学生の頃って、それに名前が”翔太”ってことは……違う、違うよねっ?」
猫田がごくりと唾を飲み込む。
ここから誤魔化せるか?
……無理だな。
このまま新しい関係をこのまま維持したかったが、こうなったら仕方ない。それに、恩人である猫田には前々から感謝をしたいと思っていた。
むしろいいきっかけじゃないか。ここは謝罪と感謝の言葉を述べよう。黙っていて申し訳なかったと。そして、あの時は本当に助かったと。正直、恩人である彼女には打ち明けたいと思う気持ちが胸の中にあった。
俺は覚悟を決めた。
「……今まで黙っていて悪かった」
「えっ」
「東部中学に通っていた”無川翔太”って奴が居ただろ。それが、かつての俺の名前だ。母親が再婚したことで苗字が変わって、こっちに戻ってきたんだ」
しばし猫田は停止していた。
高校の転校生が、実は中学時代のクラスメイトでしたなんて知ったら驚くに決まっている。逆の立場ならしばらくフリーズしていただろう。
青山やら黒峰にはバレていたが、猫田には本当にバレていなかったらしい。それなら俺が頑張ったことも無駄ではなかったな。
「え、えええ、ええええええええええええええええぇ!」
俺の存在自体は覚えていたようだ。
「驚くよな」
「……あの、ホントに?」
俺はしっかりと頷いた。
「猫田、あの時は本当にありがと――」
「あの時は本当にゴメンなさい!」
猫田は泣きそうな顔で深く頭を下げる。恩人であるはずの彼女は、何故か俺よりも先に全力で謝ってきた。
えっ、どうして?




