第11話 桃色の告白
「……少し強引でしたか?」
桃楓が不安そうに聞いてきた。
教室から離れた俺達が向かったのは校舎裏だ。
そこは以前、蓮司と桃楓が話しているのを見かけた場所だった。今までここで相談やら会議を行っていたらしい。人気者でファンの多い蓮司なので、誰にも見られない場所を探してここに落ち着いたという。
「いや、さっきは助かったよ。ありがとな」
赤澤の行動は意味がわからないし、姉さんも不安定になっていた。あのまま残っていたらどうなっていたか。
……しかし、女ってキレると怖いんだな。
あの時の雰囲気はやばかった。
普段はどちらも温厚だ。だからこそ余計に怖かった。赤澤のあんな表情は初めて見たし、姉さんが人を睨むところも初めて見た。
「教室に残してきたけど、大丈夫だったのかな」
「大丈夫でしょう。多分」
多分かよ。
「お姉ちゃんはどうしようもない馬鹿だけど、意味のないことはしないはずです。それに、先ほど翔太兄さんにあれだけ言われてショックを受けているはずです。間違いなくあの場から去り、今頃はとぼとぼと家に戻っているでしょう」
辛辣だな。仲良し姉妹として近所でも有名だった昔とは大違いだ。
「えっと、赤澤が急にあんな感じになった事情を聞いてもいいか?」
「私にもさっぱりなんです。おかしくなったのは昨夜でした。いきなり翔太兄さんに会えるとか言い出して、テンションがおかしくなったんです」
それはまた意味不明だな。
「じゃあ、桃楓が赤澤を追いかけていた理由は?」
「まさにその件です」
「どういうことだ?」
「昨夜だけでなく、今朝も同じようなテンションだったんです。さすがに翔太兄さんに会えると聞いたら私も冷静ではいられませんでした。理由を聞くために問い詰めたんです。残念ながら会話になりませんでしたが」
桃楓はそこで言葉を切ると、俺を見た。
「ビックリしたのはその後です。お姉ちゃんを追いかけていたら、本当に翔太兄さんがいたんですから」
で、俺と再会したわけか。
理由はわからないが、赤澤は何かがあって俺の存在に気付いたらしい。あるいは元々気付いていたけど、事情があって俺に接触できるようになったとか?
その辺は考えてもわからないので、考えるだけ無駄だな。
「しかし、ホントにわからん奴だな。あれだけ俺のこと嫌ってたのに、いきなり昔のみたいに『翔ちゃん』って呼んできたりして」
「それは――」
桃楓は言いかけて、首を振った。
「いえ、これは私が言うことじゃないですね。どうせ懲りずにまた翔太兄さんと接触するはずです。その時に本人から聞いてください」
「……」
どうしよう、全然話したくない。
他の人間の目がある教室ならともかく、誰もいない場所で会うとか怖い。さっきの様子からして何が起こるかわからない。
「何とかならないか?」
「私が何を言ってもダメですね。翔太兄さんから言わないと効果はないでしょう。その時は引導を渡してあげてください」
意味ありげだな。しかも引導を渡すって、俺がトドメを刺す前提かよ。
まあ、逃げ回ったところで同じクラスだ。正体もバレたことだし、話し合おうと言われたら応じるしかないだろう。
話が切れたところで、不意に桃楓が笑った。
「けど、お姉ちゃんには感謝もしているんです」
「感謝?」
「お姉ちゃんが馬鹿だったから私にもチャンスが巡ってきました。それに、翔太兄さんとこうして再会することができました」
嬉しそうに笑った後、少しだけ悲しそうな顔になった。
「ただ、同時に少し残念でもありますね。本当なら私が女神になってから翔太兄さんを迎えるはずだったんですが」
「……」
「あの人達が女神と呼ばれていて驚いたでしょう?」
「まあな」
転校当初は絶望に震えたものだ。どこが【4色の女神】だよ、ツッコミを入れたくなったからな。
今となっては和解したけど、転校直後は本当に頭を抱えたよ。
「私もビックリしました。中学の頃に【4色の女神】の話を聞き、この学園の生徒の見る目のなさに呆れたものです。だから私は絶対に女神の座からあの人達を蹴落とそうと誓ったんです」
それで桃楓も天華院に進学したわけか。
何となく申し訳ない気持ちになる。俺のせいで進路が決まったみたいで。とはいえ、桃楓が決めたことなので尊重するしかないか。
「蓮司とはすぐに会えたのか?」
「はい。入学してすぐに」
それから蓮司との関係について聞いた。
ここに入学するまでは蓮司とは連絡を取っていなかったらしい。
入学してからばったり再会すると、そこで話をした。当時の蓮司はすでに女神達を嫌悪しており、女神を目指す意思を伝えると全面的な協力をしてくれることになったらしい。
「でも、やっぱり蓮司兄さんは酷いですよ。翔太兄さんがこっちに戻ってきたことを言ってくれたらいいのに」
「俺も同じ感想だけど、一応言っておくとあいつにも考えがあってのことだ」
「考え?」
「桃楓を成長させようとしていたんだ」
蓮司との会話内容を話した。
最初こそ興味ありそうだったが、次第に呆れたような表情に変化していった。
「……私を女神にした後で、サプライズ的に言うつもりだったと?」
「みたいだな」
「事情を聞いてもやっぱり怒りたいですね。大体、私にとって一番重要なのは翔太兄さんの安否でした。そこを勘違いしていますね。今度会ったら文句の一つでも言ってやります」
膨れる桃楓だったが、全然怒ってなさそうだ。
ただ、蓮司に対しての愚痴は結構あるらしい。桃楓は過保護な蓮司についてあれこれ意見を述べていた。
良い兄貴になったと思っていたら、どうやらあいつは過保護すぎてあまり良い兄貴ではなかったようらしいな。
「もう少し翔太兄さんとゆっくり話をしたいところですが、時間にも限りがあります。本題に入りますね」
そういえば「聞きたいこと」と「言いたいことがある」があるらしいな。
「まず、言いたいことは感謝の言葉です」
「感謝?」
桃楓は深々と頭を下げた。
「翔太兄さんのおかげで私はこうして元気になれました。ありがとうございました」
「いや、俺は何もしてないぞ。頑張ったのは桃楓自身と、支えてくれた家族だろ?」
本当に何もしていない。
遊んだ記憶はあるが、体が弱いので長時間は無理だった。他にしたことと言えばベッドで横になっていた桃楓に声を掛けたことくらいだ。
「それですよ。ずっと励ましてくれたじゃないですか」
「……」
「私はすべて覚えています。翔太兄さんが私の手を握って『頑張れ』って励ましてくれたこと。あの温かい手の感触は今でも忘れません」
当時の俺に出来たのはそれくらいだった。
医療とかの知識はないし、子供だったので他に何もできなかった。ただ顔を見て励ましていただけ。それだけだった。
「体はもう大丈夫なのか?」
「おかげさまですっかり元気です」
「……そっか。良かった」
改めて至近距離から桃楓を見る。
たった数年で随分と大人になったな。
俺が知っているのはベッドで横たわっていた弱々しい少女だった。当時は小学生だったし、今と顔立ちも全然違っている。
大人になったと感じたのは外見だけではない。先ほどの俺を引っ張る姿は姉さんと重なるほどだった。
「私にとって翔太兄さんの応援が一番効きました。ありがとうございます」
「……」
素直に感謝されると少しばかり罪悪感が芽生える。
当時は赤澤夕陽に惚れていて、桃楓のお見舞いはあいつに会うための口実だった。あの頃の俺は桃楓が将来の妹になるかも、とか考えながら可愛がっていた。可愛がってはいたし、心配していたのも間違いないのだが。
あっ――
黄華姉さんが言っていた半分正解ってのはこういうことか。
受けた方は恩を覚えているが、こっちには別の理由があった。だから姉さんも少し戸惑っていたのか。確かにこれは複雑な気分だ。
「次ですが、聞きたいことがあります」
「おう、何でも聞いてくれ」
「というよりは、これも言いたいことと連動していますね」
変な言い方だな。
などと思っていたら、桃楓は緊張しているのか呼吸が荒くなっていた。頬も少しばかり赤い気がする。
「この言葉を伝えるのが今日になるとは思いませんでした。全然予想もしていなかったし、予定にもありませんでした。きっと伝えるには早すぎると思います」
「……桃楓?」
「でも、次に会ったら絶対に伝えるって最初から決めていました。あの日、翔太兄さんが目の前から消えてしまった時の恐怖と不安は想像を絶するものでした。私は何もできなかった。あの時みたいな思いは二度としたくないんです。だから、私の内に秘めた気持ちを聞いてください」
桃楓は真っすぐに俺を見つめる。
「翔太兄さんに感謝しています」
「あ、ああ、感謝の気持ちはさっき受け取ったよ」
「ですが、私の気持ちは感謝だけではありません」
「……?」
「あなたは私の初恋の相手です。絶対に実らないと思っていたこの初恋は今も続いています。こうして再会して改めて思いました。この恋を諦める気はないし、誰かに譲るつもりは絶対にないと」
力強くそう言ってから、続きの言葉を紡いだ。
「あなたが好きです、翔太兄さん」




