第10話 赤と黄色の激突
「あなた、女神の赤澤ちゃんだよね。翔ちゃんと幼馴染なの?」
姉さんは鋭い目つきのまま尋ねた。
敵意のある視線を向けられた赤澤だったが、しかし全然動じていなかった。それどころか面倒くさそうな顔をしていた。
「そうですよ。女神の天塚先輩」
「……」
「あっ、元女神でしたっけ」
わざとらしく間違えた赤澤は黄華姉さんと同等か、それ以上に冷たい目をしていた。
互いの視線がぶつかる。
実際には何もないのだが、視線がぶつかる場所付近からバチバチと音が聞こえてきそうだ。しばし視線をぶつけ合った後、赤澤は勝ち誇ったように笑った。
「確かに私と翔ちゃんは幼馴染です。子供の頃からずっと一緒だった。同じ幼稚園に通って、同じ小学校に通って、毎日のように遊んでた。あの頃は楽しかったな、今思い出しても夢の中にいたみたいで」
話を聞いた姉さんがこっちを見た。
その意図を理解し、こくりと頷いた。
赤澤の発言は間違っていない。同じ幼稚園に通い、同じ小学校に通っていた。いつも一緒だったし、毎日ように遊んでいた。あの頃は楽しかった。当時は赤澤に惚れていたので、一緒にいるだけで幸せな気分になったものだ。
間違ってはいないのだが、釈然としなかった。
何故ならその楽しい生活をぶち壊しにしたのは他の誰でもない、目の前にいる赤澤なのだから。
「天塚先輩のほうこそ、翔ちゃんの何なんですか?」
「あれ、わたしと翔ちゃんが再会した時にもいたよね。聞いてなかったの?」
「あの時はちょっと――」
赤澤が険しい表情になった。どうやら姉さんと再会した時の話は聞いていなかったらしい。
途中で蓮司につまみ出されていたが、その前の会話は聞いていたはずだが。
「まっ、お姉さんみたいなものかな」
「お姉さん?」
「ある日、翔ちゃんが近所に引っ越してきたの。可愛いから構ってたら、お姉さん扱いされちゃってね。それ以来、翔ちゃんは弟になったの」
赤澤がこっちを見た。
意図を理解し、小さく頷いた。
その通りだ。この人を「姉さん」と呼び出したのも俺のほうからだった。理由は自分でもわからない。多分、当時は近い年代の女子にトラウマを持っていたので自己防衛のためにそう呼び始めたんだと思う。
黄華姉さんは姉扱いされるのが気に入ったらしく、事あるごとにお姉さん風を吹かせていた。一人っ子だったので弟が出来たみたいで嬉しかったのだろう。
「それよりさ、赤澤ちゃんなんでしょ。翔ちゃんに嫌な思いをさせた子って」
「っ」
「聞いたよ、向こうに引っ越した理由。地元に嫌な子がいて、酷いことされたからだってね。翔ちゃんの反応を見てそれが赤澤ちゃんだってわかった。幼馴染で、しかも毎日のように遊んでいた相手を転校に追い込むってどういうこと?」
「それは――」
厳密には俺を壊したのは赤澤だけではないのだが、今となっては他の三者と和解した状態だ。あえて否定はしない。
そもそも最初に噂を流したこいつが元凶だしな。
「信じられない。翔ちゃんみたいな良い子に酷いことするなんて。事情は興味ないから聞かないけど、どうかしてると思うよ」
「……」
「幼馴染をいじめるような子が学園のアイドルなんて、がっかりだな」
その言葉に赤澤が反応した。
さっきまで面倒そうにしていた赤澤の表情が変わった。学園のアイドルを馬鹿にされたのが相当イラっとしたようだ。
「先輩のほうこそ、失恋してセンチメンタルになったからって好きでもない翔ちゃんに手を出そうとしたじゃないですか。よく今さらお姉さん面できますね」
「っ」
どうして赤澤がその話を?
「盗み聞きとは趣味が悪いわね。今の女神様は」
「馬鹿みたいに大きな声で喋ってたから廊下まで聞こえたんですよ。元女神様」
さっきの話を聞かれていたらしい。
なるほど、先ほど絶妙なタイミングで登場して手を払ったのは話を聞いていたからだったのか。
「兄にフラれたからって弟に手を出そうだなんて、恥ずかしい女」
「っ、あれは――」
「ああ、言い訳とかいらないんで。さっきのアレ、絶対にそういう意味だったでしょ。あんな憑りつかれたような目で見ちゃってさ。弟みたいに可愛がってたとか言ってたのに、その弟に手を出そうとするなんてありえないんだけど」
「……」
「そんな恥ずかしい女だからフラれたんじゃないんですか?」
赤澤は嘲笑混じりに言った。
その煽り発言は随分と効いたらしく、姉さんの顔色が一変した。
まずいな、これ。
雰囲気的には今ここでキャットファイトが始まっても何ら不思議ではない空気だ。どちらも今まで見たことないくらい攻撃的な表情をしている。空気が凍りつき、今にも弾けてしまいそうだ。
「――止めろ!」
さすがにまずいと思った俺は両者の間に割って入った。
姉さんに背を向けて、赤澤と対峙した。
「翔ちゃん?」
「赤澤、俺にとって姉さんは恩人なんだ」
「……恩人」
「俺がここから逃げ出した時、この人は俺を癒してくれた。姉さんがいなかったら立ち直れなかった。もし姉さんに危害を加えたら許さないぞ」
「っ!」
確かに今の姉さんは不安定な状態だ。
好きだった相手が結婚してしまい、その話をしたことで精神的に揺れている。
俺に向かって伸びてきた手から嫌な感じがしたのは姉さんから”女”を感じ取ったからだ。これまでその感情が向けられたことがなかったので戸惑ってしまった。
しかし、それでも俺にとって姉さんは恩人だ。彼女が優しくしてくれたから立ち直れたのは紛れもない事実だ。
この場面でどっちの味方をするのか問われたら悩む余地はない。
「残念だったね。翔ちゃんはわたしの物だから」
「っ」
「悔しかったら奪い返してみなさい」
そう言って姉さんが俺の頭に手を伸ばしてきた。まだ不安定な様子で、嫌な感じはしたけど俺は動かなかった。
今まさに姉さんの手が触れようとした時だった。
――バチンッ。
「っ」
この時間だけで三度目となる音が教室に響き渡った。
死角から入ってきた手が姉さんの手を払った。既視感のある光景だったが、今回それをやったのは赤澤ではない。
「……桃楓?」
やったのは何も言わず様子を見ていた桃楓だった。
スッと出てきた桃楓は俺と姉さんの間に入った。
「今の話を聞いて、天塚先輩にはとても感謝しています。翔太兄さんを助けてくれて本当にありがとうございます。それと、馬鹿なお姉ちゃんでゴメンなさい。お姉ちゃんの馬鹿さ加減には私もイライラしていました」
そこまで言って丁寧に頭を下げた後で。
「天塚先輩が翔太兄さんの恩人なのはわかりました。でも、私を救ってくれた大切な恩人を物扱いするのは止めてください!」
「っ」
桃楓の迫力に姉さんが一歩下がった。
「外に行きましょう。ここは空気が悪いので」
そして、桃楓は俺の腕を掴む。
「ちょ、桃――」
「うるさい!」
口を開きかけた赤澤を一喝した桃楓は俺の腕を引っ張った。
「色々と聞きたいこともあるし、言いたいこともあります。ここだと普通に話もできないみたいなので、場所を変えましょう」
「お、おう」
「というわけで、翔太兄さんを退室させてよろしいですか?」
先ほどの行動にビックリしていた姉さんは黙って頷いた。
「天塚先輩からの許可も得ました。じゃあ、行きましょうか」
「……わかった」
俺としてもこの場から逃げ出したかったので特に抵抗はしなかった。
桃楓に引っ張られて教室から出る。
グイグイと引っ張って堂々と歩くその姿には、かつて病弱だった少女の面影はなかった。俺の目には桃楓と、本来の黄華姉さんが重なって見えた。




