第9話 赤い再会
突如として現れた赤澤姉妹。
あまりにも想定外すぎて俺は固まってしまった。それは黄華姉さんと桃楓も同様だったらしく、突然の事態に混乱している様子だ。
この何とも形容しがたい空気の中で動く人物がいた。
「ようやく会えたね、翔ちゃん!」
そう言って赤澤夕陽が抱き着いてきた。全身を刺激する柔らかい感触と、代名詞でもある赤い髪から発せられる甘い匂いが俺を現実に引き戻した。
「ちょ、ちょっと待てっ。一旦離れろ!」
赤澤の両肩を掴んで強引に引き離した。
……この状況は何だ?
色々聞きたいことがある。俺の呼び方だったり、急に抱き着いてきた意味だったり、どうして桃楓に追いかけられていたのかだったり、疑問はいくつもある。
「ど、どうしてここにいるんだ?」
無数にある疑問の中からこれを選択した理由は俺自身にもわからない。
「どうしてって、探したからだよ」
「探した?」
「ほら、放課後に会う約束したでしょ」
「放課後に約束……あっ」
思い出した。
そういえば、赤澤から大事な話があるから会いたいという内容のメッセージが送られていた。後回しにしていたら返信するのを忘れていた。
「やっぱり忘れてたんだ。授業中にちらちら見てたけど、忘れてる感じだったし」
思わぬところで授業中に感じた視線の正体が判明した。そういえば、赤澤の席の辺りから視線を感じていたっけな。
「翔ちゃんってば、ホームルームが終わったらすぐに教室から出ていったでしょ。スマホも見てないみたいだし、探したんだからね」
「……」
ポケットからスマホを取り出すと、赤澤からいくつもメッセージが届いていた。何も見なかったことにして再びポケットの中に戻した。
「途中で桃に捕まっちゃったけど、こうして無事に会えてよかった」
赤澤は安堵している様子だが、待ってくれと言いたい。
無事に出会えたとか、探したとか、そもそも俺はあのメッセージに返信していないのだから約束などしていないのだ。俺が約束を忘れた奴みたいにするのは勘弁してほしい。
「あのね、翔ちゃん――」
「ちょっと待って!」
喋り出した赤澤を制して桃楓が前に出てきた。
「もう一度確認させてください。あなたは翔太兄さんですよね?」
改めて桃楓から問われる。
桃楓とは接触しないように注意していたが、今回の場合は仕方ないだろう。ここで誤魔化せるはずもない。大体、さっき驚きのあまり桃楓の名前をつぶやいてしまった。今さら人違いでは通せない。
嘘を吐いても後で困るだけだ。
元々、俺としては桃楓に事情を話したほうがいいと考えていた。覚悟を決めて打ち明けるとしよう。
「ああ、そうだ」
「……本物ですよね?」
「本物だよ。桃楓」
「っ」
桃楓は目を見開いた。
俺がこっちに戻っていたことを彼女は知らない。ここにいないはずの俺が天華院学園の制服を着て、普通に会話していたのだからビックリするに決まっている。
「あの、翔ちゃん――」
「お姉ちゃんは黙ってて!」
「っ」
赤澤を黙らせると、桃楓は感極まった表情で一礼した。
「会えて嬉しいです。お久しぶりです、翔太兄さん」
「久しぶりだな」
「えっと、その制服……もしかして、天華院の生徒だったりします?」
「ま、まあな」
「でも、翔太兄さんがいるなんて初耳ですけど」
「転校してきたんだ。それに、母さんが再婚したから苗字も変わってる」
そう答えると、桃楓は隣にいた赤澤を睨みつけた。
睨みつけた理由は、恐らく俺がこっちに転校してきたことを教えなかった姉に文句を言いたくなったからだろう。
結局、睨みつけたものの何も言わず俺のほうに向きなおった。
「こっちにはいつ転校してきたんですか?」
「……半年くらい前だ」
「えっ」
桃楓は目に見えて狼狽した。
「れ、蓮司兄さんとはもう会ったんですかっ?」
「体育祭のちょっと前に会ったよ」
素直に答えると、桃楓は再び固まってしまった。
固まったまま「蓮司兄さん?」とか「私が女神になる前に戻ってた」だの「全然気付かなかった」とか漏らしている。
この様子だと蓮司に対して何かしらのアクションを起こすかもしれないが、あいつには甘んじて受けてもらおう。桃楓に言わないでくれと言い出したのはあいつのほうだしな。
「――ねえ、翔ちゃん。これは一体どういう状況なの?」
今度は黄華姉さんが尋ねてきた。
「さあ、俺にもさっぱりなんだ」
残念ながら質問には答えられなかった。何故なら、俺自身にもこの状況がまるで理解できていないのだから。
ここは一つずつ情報を処理するとしよう。
まず、俺は黄華姉さんに感謝の言葉を伝えたかった。それから、噂の真相を知りたいと思って接触した。
噂の真相はかなり切ないというか、想定外のものだった。
ここまでは良い。
問題は話をしている最中に乱入してきた赤澤姉妹だ。
この姉妹については、桃楓のほうから考えたほうがわかりやすいだろう。先ほどの口ぶりからして、どうやら桃楓は赤澤を追いかけ回していたらしい。赤澤を追いかけていたらこの教室に入った。
で、俺と再会した。
追いかけまわしていた理由は謎だが、そこは考えなくていいだろう。
問題は姉のほうだ。
放課後に会いたいというメッセージはあったが、返信していないので約束はしていない。いや、こうなったら約束云々はどうでもいい。
重要なのは呼び方だ。
高校に入ってからは俺を「虹谷君」と苗字で呼んでいた赤澤が、いきなり「翔ちゃん」とか言い出した。
確かに赤澤は子供の頃に俺を「翔ちゃん」と呼んでいた。しかし途中で呼び方が変化した。どうして今になってその呼び方をしたのだろう。
普通に考えれば俺の正体がバレたのだろうが、それにしても子供の頃の呼び方をするのはおかしいだろ。
抱き着いてきたのも謎だ。
こいつは中学時代に俺の悪い噂を流し、孤立させた張本人だ。確実に俺を嫌っていた。そもそも、こいつが流した噂がすべての原因だった。一番関係が深かったからこそ、最も大きなダメージを受けた。俺の人生において最初にして最大の挫折ポイントこそが赤澤夕陽という女である。
……全然わからんが、まずは確認からだな。
絶対にバレているだろうが、確認しておくのは重要だ。
「なあ、赤澤」
「何かな?」
「俺が無川翔太だって気付いてるんだろ?」
「もちろんだよ」
当たり前だな。この状況でバレていないと考える奴がいたら頭がおかしい。
不本意というか、理解不能というか、とにもかくにも俺は赤澤と再会したというわけだ。しかし感動はない。
「私ね、翔ちゃんにずっと謝りたかった。でも、事情があって出来なかったの」
「事情――」
「それについて詳しく話すと長くなるんだ。けど、これはとっても大事な話なの。二人きりで話したいから一緒に来て」
赤澤が俺に向けて手を伸ばす。
――バチンッ。
「っ」
赤澤の手を払ったのは黄華姉さんだった。
「翔ちゃんと楽しくお喋りしているところに乱入されて気分が良くないの。それだけでも許せないのに、連れて行こうとするなんて常識がないんじゃない?」
姉さんは冷たい目で赤澤を見る。
「翔ちゃん、この子とはどういう関係なの?」
「……昔からの知り合いっていうか、幼馴染かな」
説明が難しい。
赤澤夕陽は幼馴染であり、初恋の相手でもある。そして劣等感という名のトラウマを植え付けてくれた悪魔でもある。
「幼馴染?」
「……まあ、一応ね」
「その割には微妙な感じだけど?」
「まあ、色々あってさ」
どう説明したらいいのだろうか。
正直、このタイミングで赤澤姉妹に会うと予想していなかった。突然すぎてどうしていいのか俺にもわからない。
「なるほどね。翔ちゃんの顔を見てわかったよ。向こうに引っ越す原因になった地元の嫌な子っていうのは、この子のことだったんだ」
姉さんの目つきが鋭くなった。




