第8話 黄色い真相
衝撃のカミングアウトだった。
自分で噂を流したと聞かされた俺はしばし言葉を失った。その後、頭の中に浮かび上がった言葉を口にした。
「……女神目当ての男子が鬱陶しかったから、女神を辞めるために噂を流したの?」
自分で噂を流した理由を考えると、可能性として真っ先に思いつくのは女神という役職が面倒になったからだ。
神はモテる。
めちゃくちゃモテる。あちこちから注目されるし、多くの生徒から羨望と好意のまなざしを向けられる。
実際に男神である蓮司から教えてもらった情報によると、男神になってから告白される回数が激増したという。
現女神である青山からも聞いたが、女神になった直後から声を掛けられる機会が倍くらいに増えたらしい。無論、告白される回数もアップした。
これは当然といえば当然だ。
神に選ばれるのは学園一の男女に認定されたのと同義である。自分に自信があれば狙うだろう。人気者を彼氏だったり、彼女にしたい心理も理解できる。失恋するとわかっていても奇跡を信じてアタックした奴もいただろう。
天華院の神制度は有名で、他校の生徒からも声を掛けられるらしい。
しかも黄華姉さんは単独の女神だ。
恐らくモテ具合は【4色の女神】となって人気が分割した青山よりも遥かに上だったと推測できる。様々な男子から告白されただろうし、面倒なトラブルに巻き込まれたこともあっただろう。
これくらいは容易に想像がつく。
それが嫌になったのではないだろうか。恋人がいるという噂を流せば、人気は低迷して女神の座から陥落する。
噂について否定も肯定もしなかったのは、肯定したら嘘を吐くことになるからだ。姉さんは嘘を吐きたくなかった。でも、否定すると次も女神をしなくちゃいけない。だから何を聞かれても答えないという対応をした。
これなら辻褄が合う。
「かなり正解に近いかな」
「……近い?」
「確かに女神に選ばれてから面倒は増えたよ。特にわたしは一年生の時になったから、先輩からしつこく言い寄られたし」
一年生で女神に選ばれた姉さんは先輩達から言い寄られたらしい。それはまた断るのが面倒そうだ。
「えっと、完璧な正解は?」
「お兄ちゃんに関係しているの」
「……?」
俺は首を傾げた。
「あれ、姉さんって一人っ子じゃなかった?」
記憶が確かなら姉さんに兄弟はいなかったはずだ。
「お母さんが再婚したことは言ったでしょ」
「あ、もしかして――」
「そう、お父さんに連れ子がいたの」
姉さんもそうだったのか。
「俺と一緒だ。こっちも母さんが再婚して妹が出来たんだ」
「……翔ちゃんの妹って、一年生の虹谷紫音ちゃん?」
「知ってるの?」
「もちろん。あの子も体育祭で女神候補だったからね。翔ちゃんの苗字を聞いた時、もしかしたらって思ったんだ。とっても元気な子で、紫組の雰囲気も良かったから個人的に注目していたんだ」
紫音は体育祭で紫組を率いていたし、知っていても不思議ではない。
今は関係ないので紫音については一旦置いておこう。
「歳が近くていいね。一緒に登校できるとか羨ましい」
「姉さんは違ったの?」
「お兄ちゃんは私よりもずっと年上だった。十歳も違ったからね。再婚当時、わたしは高校生だったけど、お兄ちゃんは社会人だったの」
「……それはまた、随分と年上だね」
俺は母が再婚して一歳差の妹ができたけど、再婚相手の連れ子の歳が近いとは限らない。むしろ歳が近いほうがめずらしいのかもしれない。
「それで、自分で噂を流したこととお兄さんに何の関係が?」
「関係あるよ。だって、お兄ちゃんは――」
姉さんが言葉を溜めた。
「めちゃくちゃ良い男なんだから!」
「へっ?」
「わたしのことを本当の妹みたいに可愛がってくれたの。顔はイケメンだし、身長は高いし、誰もが知る超一流企業に勤めてるんだよ。お洒落な店とかいくつも知ってたんだ。田舎育ちで何も知らないわたしを広い世界に連れ出してくれたの。ホント、頼れる都会の男性って感じで憧れたの」
それから姉さんは兄になった男性について熱弁した。
話を要約する。
兄になった人は十歳年上だった。イケメンで、とても優しくて王子様みたいな人だったらしい。その人は有名大学を卒業後、一流企業に就職している。再婚当時すでに一人暮らしだったが、新しく妹になった黄華姉さんを心配してよく遊びに来ていたらしい。姉さんのほうも何かと理由をつけて兄の家に通っていたという。
……どう見ても惚れてたんだよな。
明言こそしなかったが、間違いなく姉さんはその人に惚れていたのだろう。兄の話をする時の表情は今まで見たことがないくらい輝いていた。
「でも、お兄ちゃんには恋人がいた」
「っ」
「当たり前だよね。イケメンで、高収入で、性格も良くて、そんなお兄ちゃんに恋人がいないなんてありえないから」
それだけ好条件の男がいたら女は放っておかないだろう。
「わたしは諦めなかった。その恋人を勝手にライバル認定して、負けないように頑張った。お洒落を覚えてたり、自分磨きしたり、あの噂を流したのもその一環」
「えっ?」
「女神になりたくないから噂を流したのは正解だよ。でも、理由が違うの。女神になるとね、本当に色んな人に注目される。ある日、告白しようと家までやってきた男子がいたの。そこをお兄ちゃんに見られて誤解されちゃったことがあったんだ」
変な男に言い寄られたのか。
そこを兄に見られて勘違いされてしまった。だからそういう勘違いが発生しないように女神を辞退したかったのか。
「けど、それなら先生に言って辞退すれば良かったんじゃない?」
「そこはほら……年上の彼氏がいるって噂のほうが良いでしょ」
姉さんは恥ずかしそうに頬を染めながら言った。
「どうして?」
「翔ちゃんは鈍いな。お兄ちゃんと付き合ってる気分になるからだよ」
なるほど、だから年上の彼氏がいるって噂だったのか。
義理の兄に想いを寄せていたことに驚いたが、恩返しするチャンスはここしかない。
「わかった。じゃあ、俺も姉さんの恋に協力――」
「協力はしなくていいよ。もう意味ないから」
俺の言葉に被せるように姉さんが言った。
「……意味がないって?」
「勝手にライバル認定していた人は、わたしのお姉ちゃんになったから」
「っ」
それはつまり、姉さんの兄と結婚したという意味だ。
「実際に会ってみるとね、これがまた凄く良い人だった。さすがお兄ちゃんを落とした女って感じで、全然敵わなかった」
俺は何も言えなかった。
「……この話、誰にも言わないつもりだったんだ。でも、こうして口に出したらすっきりした。本当は誰かに話したかったのかもね」
姉さんは色々と思い出してしまったのか、彼方を見つめた。
その横顔は物凄く大人の女性に見えた。俺と年齢が一つしか違わないとは到底思えないほどだ。
しばらくすると、姉さんが俺のほうを見た。
「そういえば、翔ちゃんも良い男になったね」
「えっ?」
「あの時とは全然違う」
大人びた表情のまま、姉さんが手を伸ばしてきた。
俺は動けなかった。
でも、こっちに伸びるその手は何となく嫌な感じがした。目の前にいる人が、好きだった姉さんと別人に見えたからだ。
「っ」
――バチンッ。
今まさに、俺の頬に触れようとしていた姉さんの手は死角から現れた別の人間の手によって払われた。
「そんな濁った目で翔ちゃんを誘惑しないでくれるかな!」
姉さんの手を払ったのは、いつの間にか俺の隣に立った赤澤夕陽だった。
何故ここに赤澤が?
というか、何故その呼び方を?
突然の事態に頭がパニックになった。
だが、俺の頭は更にパニックに陥ることになる。廊下のほうから足音が聞こえてきたからだ。
足音は徐々に近づいてきて――
「ちょっと、まだ話の途中でしょ!」
声を荒げながら、足音の主が教室に入ってきた。
振り返った俺はその人物と目が合った。赤澤を少し幼くしたようなその少女は、妹のように可愛がっていた相手だった。
「えっ、翔太兄さん!?」
「……桃楓」
赤澤姉妹の登場に、俺の頭は完全にフリーズした。




