第7話 虹色の感謝
月曜日――
それは多くの学生と社会人から嫌われている魔の曜日である。かくいう俺も大嫌いな曜日であり、普段ならテンションは低いままなのだ。
しかし今日は違った。朝からテンションが高く、やる気に満ちていた。
理由は二つある。
一つは土曜日に行われた黒峰との話し合いが無事に終わったこと。何の話をされるのかと身構えていたが、このイベントを終えたのは大きかった。しかもこの話し合いは俺にとって非常に有益なものだった。
もう一つは放課後に姉さんと会えるから。
というわけで、テンションが高いまま授業を消化していった。
授業中に何度か視線を感じた気もしたけど、恐らくそれは月曜日なのに元気すぎる俺が気になったからだろう。
そして、気分が良いまま放課後を迎えた。
帰りのホームルームが終わるなり教室を飛び出すと、ぶらぶらと校内を歩き回った。この行動に理由はない。何となくジッとしていられなかったからだ。
スマホに待望の連絡が届いた後、その場所に向かって歩を進めた。程なくして目的の教室にたどり着いた。
「失礼します」
「いらっしゃい、翔ちゃん」
優しい声で迎えてくれたのは三年の天塚黄華先輩――天華院学園でもトップクラスの有名人であり、先代女神でもある女子生徒だ。
俺にとって大恩人であり、姉と慕う存在でもある。
「他の人は?」
「いないよ。さっき全員帰ったって連絡したでしょ」
「そうだったね。じゃあ、遠慮なく」
先輩のクラスなので若干ビクビクしながら歩き、姉さんの対面にある席に座った。
姉さんと会うのはあの日以来だ。
「わざわざ時間作ってくれてありがと」
「それは別にいいんだけど、どうして場所がここだったの?」
「迷惑だった?」
「全然迷惑じゃないよ。ただ、話をするなら学校の外でも良いかなって」
待ち合わせ場所に指定したのは姉さんのクラスだ。
これには理由がある。
俺のクラスは以前、乱入者があったので遠慮したかった。二度目があるかもしれないし。
学校外にしなかったのは配慮した結果だ。誰かに見られたら変な噂が立つ恐れがある。姉さんが女神の座を狙っているかは不明だが、余計なことはしないほうがいいだろうと考えてこうなった。
「まあ、翔ちゃんがいいなら別にいいんだけど」
「そうそう。特に理由はないんだから、気にしないでよ」
納得してくれたみたいだ。
「それで、急に会いたいって何かあったのかな?」
俺は呼吸を整え、真っすぐに姉さんを見つめる。
「急にゴメン。姉さんにどうしても感謝と謝罪の気持ちを伝えたいと思ったんだ」
「……感謝と謝罪?」
「前に軽く話したと思う。俺が向こうにいた理由」
祖父母の家で世話になっていた頃、黄華姉さんには少しだけ話をしていた。
「確か、地元に嫌な子がいたって言ってたよね?」
話した内容は抽象的なものだ。地元で嫌な奴に酷い目に遭わされて、逃げるように引っ越してきたとだけ説明した。
その話をした時、俺は姉さんに恋心を抱いていた。だから「女の子に心を壊されたから逃げてきました」と素直に言えなかった。情けない男と思われて嫌われたくなかったからだ。
「もしかして、その嫌な子に再会したとか?」
「えっと、違うよ。そういうことじゃないから」
実際には違わないけど、今は色々と状況が変わった。
「俺さ、向こうに引っ越した時はボロボロだったんだ。でも、姉さんのおかげで立ち直れた。毎日のように構ってくれたから他人と話せるようになったし、元気に生活できるようになったんだ」
「……翔ちゃん」
「姉さんに感謝の気持ちを伝えてなかったことを思い出したんだ。それにほら、最初の頃は姉さんに向かって色々と言っちゃっただろ」
俺は立ち上がって頭を下げた。
「助けてくれてありがとうございました。そして、ゴメンなさい!」
「……」
姉さんは何も言わずに立ち上がると、そっと俺の頭に手を乗せた。
「翔ちゃん、大きくなったね」
「えっ?」
「見た目だけじゃなくて、中身まで立派に成長したんだね。お姉さんとしては嬉しいけど、可愛くて生意気で情けない弟君がいなくなったみたいでちょっぴり寂しい気分になっちゃうね」
そう言うと、姉さんはくすくすと笑い出した。
「でも、思い出してみれば色々言われたっけ。『あっちいけ』とか『邪魔するな』とか『俺に近づくな』とか、他にも結構なこと言ってくれたよね」
「っ」
全然覚えていなかったが、当時の俺はかなり荒れていたらしい。敬愛する姉さんにそんな発言をしていたとは。
震えていると、姉さんは優しい顔で小さく頷いた。
「いいよ。謝罪のほうは受け取りました」
「……感謝は?」
「そっちは半分だけ受け取っておこうかな」
「半分だけ?」
「翔ちゃんが何かを抱えてたのは知ってたよ。あれだけ暗い顔してたから、複雑な事情があるんだろうって。けどね、翔ちゃんにあれだけ構ってたのはわたしに理由があったからだよ」
姉さんは窓から外を眺めた。
「あそこでの生活は退屈だった。翔ちゃんもそうじゃなかった?」
否定はしない。
俺にとってあそこは大切な場所だ。あそこで暮らした日々は宝物のように輝いている。
大切な場所ではあるが、退屈な場所ってのは事実である。
最寄りのコンビニだって徒歩数十分の距離だったし、コンビニもどきみたいな個人商店はいつも閉まっているし、遊ぶ場所といえば近くにある大きめの公園くらいだった。子供が楽しめる場所なのか問われたらNOと答える。
家の近所には歳の近い子もいなかったしな。
「毎日暇でしょうがなかったんだ。翔ちゃんに構ってたのも誰かと遊んだほうが楽しいからだった」
恐らく本心だろう。
でも――
「それでも、俺は黄華姉さんに助けられたよ」
例え暇つぶしであっても、助けられたことに間違いはない。
「……そっか。まっ、翔ちゃんが元気になってくれてよかった。少しでも助けになれたなら、感謝のほうも受け取っておこうかな」
感謝と謝罪が終わり、肩の荷が下りた気がした。
しかし、今日の用事はこれだけではない。
「これで用件は終わり?」
「実はもう一つあるんだ」
俺は軽く息を吐いてから。
「あの噂について教えてほしい」
「噂?」
「ほら、去年の文化祭の前に流れた噂だよ。姉さんに年上の彼氏がいるって噂。俺はここにいなかったけど、後から聞いたんだ」
その質問をすると、姉さんの視線が鋭くなった。
「知ってどうするの?」
「もし、姉さんがトラブルに巻き込まれてるなら協力したい。あの時の恩返しがしたいんだ。噂を消せって言うなら全力で手伝うし、噂を流した犯人を見つけろと言われたら聞き込みをめちゃくちゃ頑張るから」
噂のせいで姉さんは女神の座を失った。
火のない所に煙は立たぬ理論で姉さんの人気は低迷したのだ。
不思議なのは、噂のことを聞かれても姉さんが答えなかった点だろう。もし、誰かに脅されて仕方なく女神の座を手放したのであればどうにかしてあげたい。
「……恩返しか」
「押し売りはしたくないけど、力になりたくてさ」
姉さんはしばらく考える素振りをした。
「本当は誰にも言う気なかったんだけど、相手が翔ちゃんなら言ってもいいかな」
「誓って誰にも言い触らさない!」
「翔ちゃんのことは信じてるから大丈夫だよ。誰かに話して一つの区切りにしたかったところだし、相手が翔ちゃんなら丁度いいのかも。案外、このタイミングで再会できたのは運命だったのかもね」
区切り?
俺はごくりと喉を鳴らし、次の言葉を待った。
「その噂は、わたしが自分で流したんだ」
予想外の発言に俺は固まった。




