第4話 黒い感謝
感謝?
黒峰が唐突に感謝の言葉を述べた。まるで意味がわからなかった。感謝される心当たりはないのだが。
「えっと、何の話だ?」
俺がそう返すと、黒峰は苦笑した。
「いきなり言われてもわからないよね」
「え、あ、おう」
「無川君からしたら思い出したくないかもしれないけど、昔の話をさせて。少し長くなるかもしれないけど、最後まで聞いてほしいの」
そして、黒峰は話を始めた。
内容はあの時の真実だった。
語られたのは衝撃的な内容だった。俺だけでなく、一緒に聞いていた蓮司にとっても衝撃的なものだったらしい。
あの日――
図書室であの男が黒峰に迫っていた。暴れた黒峰は男を吹き飛ばしながら倒れた。俺はその時、落ちてきた書物の雨から黒峰を守ろうとした。
しかし何故か、俺が黒峰を襲おうとした犯人にされていた。その後の生活は悲惨なものだった。元々悪評が立っていた俺への風当たりは強くなり、ついにはまともに学校に通えなくなった。
対して黒峰はクラスでの地位を上昇させ、クラスメイト達と笑顔でお喋りするようになった。内気だった少女は同情という切り札を得てクラスに馴染んだ。
俺は心の中で期待していた。黒峰があの噂は違うと言ってくれるのを。けれど、そうはならなかった。
だから、黒峰がクラスに馴染むために俺を踏み台にしたと思っていた。
でも――
「これがわたしの知ってる全部」
その言葉で黒峰は話を終えた。
「じゃあ……同情を誘うために俺を犠牲にしたんじゃないのか?」
「無川君からしたらそう見えても仕方ないよね。当時のわたしは本当に無川君が助けてくれたのを知らなかったの」
黒峰は俺が助けに入った時、すでに頭を打って意識を失っていた。
その後、学校に復帰したら俺が気絶していた黒峰を襲おうとしていたと噂で聞いた。黒峰はそれを信じてしまったらしい。
「当時のわたしには友達がいなかった。だから噂のほうが正しいと思ってた。無川君を無条件で信頼できるほどわたし達の関係は深くなかったから」
黒峰とは深い関係ではなかった。
俺ではないと自信を持って言えるほど信頼できる関係でもなかった。元々、図書室でお喋りをしていただけの関係だ。お互い初恋の幼馴染に失恋したという傷を持った同志というだけだった。
実際、図書室以外で喋ることはなかったしな。
それだけじゃない。当時の俺は悪い噂が流れていた、悪評が広がっていた俺と、多くの生徒が口にしていた噂。どっちを信じるかは言うまでもない。
「なるほどな。それであの事件か――」
黙って聞いていた蓮司は納得した様子でつぶやいた。
「事件って?」
「ああ、翔太は知らないか。黒峰が起こしたいくつかの事件だよ」
そういえば、転校して間もない頃に真広から聞いたな。
天華院に引っ越してからの出来事が濃かったせいか、頭の中からそれらが抜けていた。俺には関係ないと考えていたし。
「わたしは結構な問題児だったんだ。あの最低女を転校に追い込んだり、襲ってきたあの男を退学させたり、人を殴ったり――」
「ちょっと待てっ。情報が多すぎて処理できない」
「じゃあ、一つずつ説明するね」
黒峰は息を吐いて続けた。
「わたしに嘘を教えて、無川君に関する噂を流した元凶の女。わたしはどうしても許せなくて、あいつがしたことを告発したの」
「……」
「クラス全員の前であいつがしたことを言ってやった。そしたら、あいつ泣き崩れてね。誰かがその様子をSNSにアップして、大きな騒ぎになったの。あいつは色々なところから叩かれて、最終的に転校しちゃった」
俺からしたら元凶となるあのギャルっぽい女だが、末路は悲惨だな。同情はしない。元はと言えばあいつのせいだったわけだし。
「それから、無川君に関する嘘の情報を流した奴を殴ったこともあった」
「えっ――」
さすがにそれはちょっと引いた。
「真実じゃない噂を広めたり、噂だけで人を叩くような奴は制裁されて当然だよ。口で言ってもわからない奴は体に教えるしかないから」
「か、過激だなっ」
「わたしは元々そういうタイプだった。表では何も出来なかったけど、いつも心の中で他人を殴ってた。あの件で吹っ切れた感じ」
更に黒峰は続ける。
「もう一人の元凶もきっちり始末した。わたしを襲おうとしたあの男が進学した高校を突き止めて、そっちに連絡したの。あいつはすぐに退学になった。その後で騒ぎ起こして逮捕されたみたいだけど、詳しくは知らない。どうでも良かったし」
黒峰は淡々と語った。
ここで俺はある点が気になった。
「それだけ問題を起こして、よく天華院学園に入学できたな」
「成績は昔から良かったから。後ね、中学校側も無川君に対して申し訳ない気持ちがあったみたい。ほら、わたしの時も無川君が犯人みたいな雰囲気があったでしょ。それを教師が止めなかったし」
そうだったな。
教師に呼び出されたことを思い出した。説明したけど、俺の言葉を信じなかった。
「真相を話したら馬鹿な教師連中は青ざめてた。だから、わたしの取った行動もそれほど問題にならなかったの。さすがに殴った時は注意されたけど、学校側が無川君にしたことをネットにアップするって言ったら黙っちゃった」
学校側としても騒ぎにしたくなかったわけだ。
しかし黒峰の強さにビックリだ。内気で弱々しいと思っていた少女がこうなるとは驚きだ。
話を終えると、黒峰は再び頭を下げた。
「無川君には本当に感謝してるの。あの時、助けてくれたお礼をずっと言いたかった。それと、謝りたかったのもあるかな。無川君が転校するまであの噂を払拭できなかったこと。真実を知らなかったといえ、ゴメンなさい」
謝罪されたところで俺は困った。
「……黒峰は何も知らなかったんだろ?」
「犬山君に言われて初めて自分の間違いに気付いた。それまでは本当に無川君がわたしを襲ったと思ってたから」
この話を聞いた俺の心境は複雑だった。
恐らく黒峰は本当のことを言っている。その後の事件を起こした動機ともマッチしている。
嘘だったらわざわざ俺に感謝と謝罪を伝える意味もないだろうし。
それらを聞いてようやく謎が解けた気がする。男子嫌いなはずの黒峰が転校してきた俺に対しては妙に親身というか、友好的だったのはその件があったからか。
過去の話を聞いて、全部が繋がった気がした。
「それから、虹谷君になってからもありがとね。あの噂を消してくれて」
「例のあれか」
「わたしのこと絶対嫌いだったのに、助けてくれて嬉しかった」
黒峰から笑みを向けられたが、対応に困った。
「……なあ、一ついいか?」
蓮司が割って入った。
「黒峰の話はわかった。今の話は真実だろうと思う。それで、これからどうするんだ?」
「どうするって?」
「俺や翔太にこれを話した意図だ」
「……わたしは無川君に感謝の言葉を伝えて、噂の訂正が出来なかったことを謝りたかっただけ。自分の筋を通したかっただけだから。特に何も考えてない。犬山君に聞かせたのは一緒じゃないと無川君が警戒すると思っただけだから」
その発言も事実なのだろう。
話し終えた黒峰はすっきりした表情をしているように見える。
「そういえば、コンテストを辞退したんだよな。女神はいいのか?」
俺が尋ねると、黒峰は首を振った。
「わたしは女神って柄じゃないし、最初から興味なかったしね。体育祭の時みたいに盛り上げる系の行事はいつも嫌だった。でも、あの悪魔みたいな連中が次も女神になるのは嫌だったから今まで辞退しなかった」
「いやでも、ここで辞退したら――」
結局は有力候補である赤澤か白瀬になる可能性は高いだろう。
「わたしは性格的に無理だけど、これからは自信を持って推薦できる子をプッシュしていく予定。まあ、本人を説得する作業があるけど」
その相手が何となく紫音だろうとわかった。
話が途切れると、蓮司が俺のほうに近づいてきた。
「で、この話を聞いて翔太はどうするよ?」
「……と言われてもな。そもそも、黒峰の場合は本人が何かしたわけでもないしな。この場合は許すとかそういう感じでもないだろ」
想定していなかった状況になった。
白瀬とも青山ともまるで異なるケースだ。
だって黒峰の場合は卑劣な男に襲われそうになった被害者だ。その後も嘘の情報と噂を聞かされて勘違いしただけだった。
はっきり言ってしまえば俺自身も黒峰本人に何かをされたわけではない。おまけに、相手にはもう報復しているという。そして今、あの時の感謝と謝罪の言葉を伝えてくれた。
当時は裏切られたと思った。けど、これを聞かされたら――
そういえば、白瀬との話し合いで俺の存在を抹消していた件について聞いていなかったな。この様子だと理由があったのだろうけど。
などと考えていたら、不意に玄関の扉が開く音がした。
「ただいま!」
帰宅した紫音の元気な声が家の中に響いた。




