第2話 黒い訪問者
「天塚先輩に恋人がいるって噂か。確かに聞いたことあるな」
ベッドの上で寝転びながら、蓮司が答える。
「噂の真偽は定かじゃないらしい。あの人は噂について聞かれたら黙秘してたみたいだからな。答えなかった理由は俺にもわからん」
「……そっか」
現在、蓮司は俺の部屋にいる。
これから始まるビッグイベントを一緒に迎えるためだ。そう、黒峰月夜の訪問というイベントを。
中間テストで黒峰と蓮司は賭けをしていた。勝者が敗者に一つ命令できるというものだ。その戦いに勝利した黒峰の要望は何故か関係ないはずの俺との話し合いだった。しかもそこに蓮司を含めての。
正直なところ意味不明だった。
しかし、蓮司から助言されてこの申し出を受けた。俺としても急にこういった動きを見せた理由は気になっていたところだし。
それから予定を調整して、本日話し合いが行われることになった。
黒峰を待っているわけだが、暇だから話をしているというのが今の時間である。ちなみに蓮司は予定よりも早く到着しており、つい先ほどまで俺と格闘ゲームをしていた。最近ハマっている俺は圧倒的な力を見せつけると、不貞腐れた蓮司がベッドにダイブして現在のような状況となった。
「でも、急に天塚先輩の噂なんて聞いてどうしたんだ?」
「黄華姉さんがこっちに引っ越してきた後のことを知りたくてな。それで、恋人が居るかもしれないって噂を仕入れてな」
「……本人に聞かないのか?」
「それが一番だろうけど、再会して間もないからな。ほら、いきなり踏み込んだ話をするのもどうかと思ってさ」
「気持ちはわかるけどな。ただ、天塚先輩のことは俺もよく知らないんだよな」
蓮司からしたら単なる先輩だから詳しくないのも当然だ。これまで接点はないと言っていたし。
「入学した時から抜群に人気があったのは間違いない。同級生の連中も結構アタックしたって聞いたし、昨年も女神最有力候補だったから」
「……なるほど」
「印象としては、姉御肌って感じかな。上級生からも下級生からも人気があったし、去年や今年の体育祭でもグイグイ引っ張ってくれるタイプに見えた。性格的には女神とっていうか、あれは学園の代表として向いてると思うぞ」
その印象は間違っていない。
あの人は優しかった。優しいのだが、ちょっと強引なところもあった。そこに俺は助けられた。何度拒絶しても家にやって来て、最終的には引きこもっていた俺を連れ出してくれたのだから。
「まっ、個人的にはあの噂を流した奴を殴りたかったけどな」
「どうしてだ?」
「あれのせいで天塚先輩の人気が落ちて、あいつ等が女神になったんだぞ。天塚先輩が女神のままだったら俺のストレスは大分軽減されたはずだ」
そういうことか。
確かにそうだな。黄華姉さんが女神のままなら蓮司は怒りをぶちまけることもなかったはずだ。
「まさか、翔太の言ってた近所の姉さんが天塚先輩だったとはな。世の中ってのは広いように見えて狭いもんだ」
「奇跡くらい起こすさ。俺にとってあの人はマジで救いの女神だから」
「実際女神だったからな」
「そういう意味ではないが……まあ、そういう意味でもあるか」
もし、俺がこっちに戻ってきた時に黄華姉さんが女神だったら気分も大分違っただろうな。
間違いなくテンションは上がったはずだ。真っ先に挨拶に出向いていたと自信を持って言えるね。
「で、どうするんだ」
「何が?」
「黒峰との話が終わったら噂について聞くんだろ。その後の話だ」
その後の話?
「恋人の噂について聞いてみるんだろ。もしそれが真実だったら?」
「祝うに決まってるだろ」
当たり前だ。姉さんに恋人がいたと喜ぶだけだ。
ちょっぴりだけ悲しくて悔しい気持ちもあるかもしれないが、まず間違いなく俺の口からは祝いの言葉が飛び出すだろう。
実際に嬉しい気持ちのほうが強いのは間違いない。
「まあ、翔太はそうだろうな。じゃあ、あの噂が嘘だったら?」
「……」
「言わなくてもこの間の感じで大体わかる。恋人に立候補するのか?」
「それは……微妙だ」
「どういうことだ?」
「姉さんが幸せになってくれれば、相手は俺でなくてもいいって感じかな。恐れ多いっていうか、俺からしたらあの人は本物の女神だしな。自分でもその辺りは複雑なところだ」
あの女神を俺が幸せに出来るのか、と問われたらどうだろう。
それに、世話になった過去があるせいか男女というより姉の印象が強い。どちらの比率が上なのかと聞かれたら本当に微妙なところだ。
「まっ、その辺を聞くのは野暮か。頑張れよ」
親友からの声に頷いて答えた。
「けど、驚いたな。黒峰を家に招くとは」
「ここが最も人に聞かれにくい場所だからな。ほら、教室だと前みたいになるだろ」
「夕陽の奴に見られた時だな。まあ、あれに比べたら安全だな」
あの時は黄華姉さんの登場でうやむやになって助かったが、誰も来なかったらまずかった。
「そういや、おばさんは居ないんだな」
「人と会う用事があるんだとさ」
「久しぶりに挨拶したかったんだが、残念だったな」
「いつでもチャンスはあるだろ。それに、黒峰と対面させるのは色々とまずそうだからな」
母は過去の件を知っている。
もし、俺と黒峰の話が拗れて紫音の耳に入ったら厄介な事態になりかねない。絶対に会わせないほうがいい。
「他の家族は?」
「全員外出中だ。父さんは会社の人達と会う約束があって、紫音も友達と出かけてる。しばらくは帰って来ないはずだ」
「準備万端だな」
すべて整えたからこそ、今日家に招いた。父や紫音に知られたら関係を誤解されそうだ。それもそれで面倒だったりする。
「……で、黒峰は何の話だと思う?」
俺が尋ねると、蓮司は難しい顔で首を横に振る。
「さあな。悪い話じゃないとは思うが、内容まではさっぱりだ」
「悪い話じゃないと断言するその心は?」
「中間テストの意気込みだな。だって満点だぞ。普通の努力じゃ無理だ。死ぬ気で勉強したに決まってる。そうまでして手に入れた俺への命令権でこれだからな。大体、何かしらの悪意があるならそもそも接点を持とうとしないだろうし。後は前にも言ったが、あいつと少し話した印象だ」
なるほど納得できる部分が多い。
不安はもちろんある。あるのだが、今は蓮司と一緒だ。
「大丈夫だとは思うけど、油断だけはするなよ」
「わかってる」
などと話をしていたら、家のインターホンが鳴った。俺は一つ息を吐いてからゆっくりと立ち上がる。
「話し合いの時、なるべく喋らずにジッとしておく」
「わかった」
階段を下りて玄関を開けると、そこには黒峰が立っていた。
私服だった。
私服姿はバイトで見慣れているが、今日の装いは学園姿と普段の姿の間くらいだ。髪型こそバイトで見かける昔のおさげではなかったが、メガネは掛けていた。
「……」
「……」
しばし沈黙があった後。
「えっと、とりあえず入ってくれ」
「はい。お邪魔します」
黒峰を部屋に招く。
少し前までの俺なら考えられなかったことだが、今はそれほど緊張も恐怖もない。
部屋の扉を開けると蓮司がいた。相変わらずベッドに転がってリラックスモードだ。少しばかり腹立つ光景ではあるが、こいつが一緒なのはやはり精神的に大きい。
そして、黒峰は俺の対面に座った。
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