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滅びの国の女王

 通常、XG-029はウイルスのように他の生物に寄生して増殖する。

 通常のXG-029はあくまでも元となった生物と同次元の存在だ。地球上の生物に寄生したXG-029は地球上の次元数に縛られ、多次元空間で活動するだけの能力を持たない。


 だが、女王個体は元となった生物の体を完全に支配する。細胞と完全に結合したXG-029は多次元空間での活動に耐え、更には能動的な遺伝子変化を引き起こし、いかなる環境にも適応する力を持つ。

 XG-029の中でも、女王個体だけがXG-029の力をフルに発揮することができるのだ。地球という不慣れな環境にて劣化していない、本来の力を。


 ゆえに、女王を怒らせてはならない。もしもそれと敵対するならば、不意を打つべきだ。

 魔女は――。女王個体の生みの親である如月真白は、そんな警告をくれていた。


「まあ、言うこと聞かなかったのは私なんだけど……」


 怒れる女王は、目の前で劇的な変化を遂げていた。

 見上げるほどに巨大な、黒く渦巻く茨のドレス。それを纏って彼女は君臨する。

 広がる茨は多次元連結槽に散らばる死体を飲み込み、刻一刻と拡大を続ける。多次元連結層の内部に立体的に張り巡らされた茨はさながら黒い森のようで、その中心にそびえ立つ彼女はロングドレスを纏った女王の姿に重なった。


 これが、女王個体としての力を解放した彼女の姿。人類の敵と称された異形の怪物。

 滅びの国の女王、如月真白。


「ホラー映画とかでこういうの見てていつも思うんだけど、質量保存の法則ってどこに行ったんだろうね」

「多次元空間って物理法則関係ないらしいし、そんな感じでは?」

「お前ら。緊張感持て」


 ギルガメッシュに諌められるまでもなく、とっくに臨戦態勢だ。夜兎はブレードを展開して姿勢をかがめ、私はアサルトカービンの銃口をそれに向ける。引き金ならいつでも引ける。


「真白、先言っとくけど。あんまり手加減とかできなさそうだから――」


 返事はなく、代わりに茨の一本が放たれた。躊躇なく首をかききるコース。避けられたのは偶然みたいなものだったが、LIEの力を借りて私は平静を保った。


「痛かったら、手あげてね!」


 乾いた発砲音。慣れない反動。これまでの人生でおよそ触れてこなかった銃火器を、私は友に向けて撃ち放った。

 銃弾は茨の山にいくつか穴を開けただけだ。穴からは体液めいたものがこぼれだしていたが、そんなに効いているようにも思えない。まるで砂漠に針を突き立てるようだ。


「歯医者じゃねえんだぞ、才羽」

「効いてないみたい。よしギルチュウ、十万ボルトだ」

「マジで怒られろ」


 猫の尻尾から放たれた雷撃は、茨を伝って女王の体を焼く。茨の山は痛みに悶えて大きく震えた。

 効いている、と思ったのは一瞬のことだった。ある一瞬で茨は痙攣を止め、雷撃をいくら浴びても平然とするようになる。


「効かなくなった……?」

「適応したんじゃないかな。雷撃を通さない体に」

「じゃあ……。おい、才羽。俺、この後どうすればいい?」

「隅っこで大人しくしてなさい」


 黒猫はか細くにゃあにゃあと鳴いた。

 ギルガメッシュには悪いが、静電気猫に構ってる余裕はない。間断なく振るわれる茨の鞭を可能な限り避けながら、決して有効打とは言えない豆鉄砲をパスパスと撃ち続けるので精一杯だ。


 私と猫が早々にポンコツ化した一方で、唯一有効打を有しているのは夜兎だった。


「才羽海音、伏せて!」


 夜兎の警告に従うと、頭の少し上を巨大な刃が振り抜かれた。

 高速3Dプリンターが瞬間的に印刷した、高周波単分子ブレード。刃渡りは2メートルほどもある。彼女が生成できる最大サイズのブレードがそれなのだろう。


 甲高い鈴の音とともに、ブレードは茨の森をやすやすと切り裂いた。張り巡らされた無数の茨は一刀で切り払われ、返す刃は茨のドレスを削ぎ落とす。理論上極限の刃はその切れ味を存分にふるっていた。


 攻撃役は夜兎にまかせて、私はもっぱら女王の気を惹く方に回っていた。死角に回っては銃弾をパスパス撃つ。弱点なんていう気の利いたものは、残念ながらなさそうだ。


 縦横無尽に振るわれる茨を懸命にかわしながら、銃弾と斬撃を浴びせ続ける。一秒ごとに傷は増え、一瞬ごとに血が流れた。私がただの女子高生だったのなら、とっくに動けないくらいには全身傷だらけだ。

 それでも体が動くのは、アルファ血清の力によるものだろうか。

 女王と同じく、私の体もこの環境に適応しているのだ。


 茨と、弾丸と、斬撃と。

 繰り返されるそれは無限に続く舞踏のようだ。壊れた世界の中心で、私たちは懸命に命を踊っていた。

 楽しいと思っている自分がいた。こんなにも死にそうで、こんなにもギリギリなのに。だけど今、私たちは対話をしている。そこに言葉はなくとも、互いの意思を包み隠すことなくぶつけ合っている。

 ようやくだ。ようやく私たちは、本音で話し合えている。それが楽しくないわけがない。


「才羽海音。ダメだ、これ以上は意味がない」


 そんな楽しい時間は、唐突に終わりを迎える。


「再生力がブレードに出せる攻撃力を上回った。斬っても斬っても再生される。効いてない」

「そっか……。残念。こっちの方も、そろそろ弾切れみたい」


 無数の傷を負わされるという状況に適応した女王は、今や無尽の再生力を手にしていた。

 いくらブレードが切り裂いてもまたたく間に傷口はふさがり、新たな茨が生えてくる。これ以上繰り返しても夜兎の体力が切れるのが先だ。


「夜兎。何か術は?」

「あるにはある。でも」

「殺しちゃうかも?」


 夜兎はこくりと頷いた。

 彼女の左腕が変形し、腕型の銃のようなものが姿を表す。銃口の先には二本のレールが並行に伸び、根本のコアは青白い輝きを放っていた。


「内蔵式リーサル・レールガンMk2。再生する間もなく消し飛ばせる」

「消し飛ばすのは困るけど……。でも、それくらいやんないと言うこと聞かなさそうだよね」

「人間っぽいところは残すようにする」


 茨のドレスの上には、まだ如月真白の面影を残す部位が残っている。

 あれが本体なのかもしれないが、アサルトカービンでベシベシ撃ってみた感触は他の部位とそう変わらなかった。


「ただ、これは本当に奥の手だ。発射には大量の電力が必要になる。今の充電量なら、一発で全部使い果たすかも」

「動けなくなるってこと?」

「……後、任せていい?」

「任せとけ。お姉ちゃんがなんとかしてやる」


 夜兎がそれを使うと決めたのなら、私もいよいよ覚悟をしなくてはならない。

 できれば使わずに済ませたかった。だけど、これ以上は出し惜しみできない。


 残弾のなくなったアサルトカービンを投げ捨てて、懐からオートマチック・ハンドガンを抜く。装填してあるのは抗XG特殊弾。XG生物の遺伝子的堅牢性を打ち崩し、通常兵装の有効性を高めるとっておき。


 魔女曰く、鋼を砕く嵐の弾スティール・ブレイカー

 真白を殺せる弾丸だ。


「頼むから……! いい感じに生き残ってくれよ……!」


 躊躇する余裕はない。むしろ、その余裕があれば撃たなかったかもしれない。引き金を引いたのは、LIEによる論理的判断ではなく、極限状況にむき出しになった本能によるものだ。

 反動はアサルトカービンよりも大分小さかった。こんなものが効くのかと不安になるくらいに。軽い引き金が放った軽い弾丸は、ダーツを放り投げるような気軽さで、すとっと茨の山に突き刺さる。


 絶叫と、血しぶきが吹き上がった。


 黒ずんだ血を撒き散らしながら茨が荒れ狂う。効果はあまりにも劇的だ。見ている間に茨は枯れ、黒ずみ、腐り落ちていく。

 私が撃ったものが、彼女の命を削っている。

 その実感にしばし戸惑った。


 一発で足りるだろうか。あの巨体だ、弾一発で足りるとは思えない。でもこれ以上撃ったら死んでしまうかもしれない。しかし、時間を置けば抗体をつけられる可能性がある。

 一瞬の葛藤に指が止まる。LIEは撃てと命じ、本能は撃つなと命じた。


「姉上っ!」


 夜兎が叫ぶ。突き出した左腕のレールガンからは、地を震わす重低音が鳴り響いていた。

 反射的に私は本能に従った。これ以上は撃てない。急いで体を投げ出し、夜兎から全力で距離を取る。


 次の瞬間、閃光が放たれる。

 視界が白に染まるほどの光の束が、一直線に女王の体へと突き刺さるのが見えた。少し遅れて爆音が轟き、衝撃が体を吹き飛ばす。

 私に確認できたのはそこまでだ。

 瓦礫が散る床を転がりまわり、なんとか起き上がった時、女王の姿は一変していた。


 ポータルが暴走して生まれた爆心地に、もう一つ小さなクレーターが生まれていた。引きちぎられた黒い茨の残骸と、砕け散った耐衝撃材の瓦礫がまぜこぜに散乱する。

 真白がいた場所にあるのは朽ちた茨のドレスだけ。

 彼女はもう、どこにもいない。


「真白……?」


 まずい、やりすぎたか。

 その不安は、心臓を握りしめるような重圧に塗り替えられた。

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