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偽物と人類の敵の夜想曲

 三十三時間前、多次元連結槽に展開されていた次元ポータルが暴走事故を引き起こした。


 この施設は機能停止する限界までXG-029の対抗策を求めていた。XG-029を無害化する血清自体はアルファ血清研究の過程で生み出されていたが、その数には限りがある。才羽数人や如月真白など一部の研究員にはそれが投与されていたものの、他一般の職員に行き渡ることはなかった。


 血清生産のネックになったのは、材料として使われた二種類のXGオブジェクトだ。保存用のサンプルを含めてその全てを使い果たしてしまった研究員たちは、一縷の望みをかけて次元ポータルを開く。


 本来ならばポータルを開く際には入念な下準備といくつもの保険が必要となる。それらの手順を省いた結果、ポータルは暴走。高エネルギー磁場を周囲一体に撒き散らし、空間一帯を『ねじり、引き裂いて』崩壊させた。


 それが三十三時間前のこと。

 以来、ポータルは今も閉じることなく開き続けている。


「悪いけど私はいかないわよ」


 制御室の片隅で、魔女はそんなことを言っていた。


「次元ポータルは暴走状態にあり、その周囲一体の次元数は通常空間のそれを凌駕するわ。あんな場所に生身で踏み入ったら押しつぶされてしまう。鋼の領域にそよ風は立ち入れない。わかるでしょう?」

「いや、その鋼とかそよ風とかも、いい加減説明がほしいんだけど」

「そうね。たとえば紙に描かれた絵に生命が宿っていたとして、その生命は三次元空間で生きられるか、という話ね。まあ、限定的な条件をいくつもつければ生きること自体はできるでしょう。だけどその二次元生命体が他の三次元生命と同等に生存競争ができるかしら? ましてやそこが四次元空間や五次元空間、それよりももっと多くの次元数を持つ空間だったとしたら? 一体何が起こると思う?」

「例えが突拍子過ぎるけど……。ちょっと、想像もつかないかな」

「そう。その、想像もつかないことが起きるのよ。だから私は行かないわ」


 彼女はそうやって煙に巻いた。だからあの女はここにいない。

 多次元連結槽の内部はドーム状の広大な空間だった。頼りなく明滅を繰り返す照明が無愛想に照らし出すのは、頑丈な耐衝撃材で覆い尽くされた領域だ。その耐衝撃材すらもあちこち砕け、剥がれたタイルが瓦礫となって散らかっている。


 そんな無骨でそっけない空間に、無数の死体が散らばっている。

 XG-029の血清を求めた、研究者たちの成れの果てが。


「夜兎も待ってていいんだよ。一人でも大丈夫だから」

「やだ。一緒に行く」

「アルファ血清がないと押しつぶされちゃうらしいけど」

「そんなの知らない。一緒に行く」


 夜兎はシンプル極まりない理論でここにいた。少しは魔女の面倒臭さを見習ってもいいんじゃないかと思う。


 多次元連結槽の中央にあるのは、空間の広さに見合わないほど小さな"門"だ。宙に浮いた漆黒の円。ブラックホールにも似た純黒のポータルは、訪れるものを待ち受けるようにそこに佇んでいる。


 その前に、彼女が立っていた。


「来ましたね」


 振り向いた少女の顔は私が知るものとはまるで違う。

 どこか大人びていて、甘さが消えた、覚悟に満ちた顔だった。


「あなたは、どこまで知りましたか?」


 如月真白。XG-029の女王個体。XG-029を統べる屍の王。

 彼女の問いに、私は短く答えた。


「全部」

「そう……。なら、何をしに来ましたか?」


 真白の側には黒猫がいる。状況を飲み込めていないのか、真白と私の顔を交互に見回していた。


「ご存知の通り、私がこの世界を滅茶苦茶にしたウイルスの親玉です。それについて責任を感じるわけではありませんが……。この世界のどこにも私の居場所がないことは知っています。だから私は、家に帰ることにしました」

「うん。それも聞いた」

「なら、利害は一致しますよね。私はポータルの向こう側に帰ります。あなた方人類は、私という人類の敵がないこの世界でもう一度やり直せばいい。もう一度聞きます。才羽海音、あなたは何をしに来ましたか?」


 何をしに来たか、なんて。自分がどこを目指すのかも知らなかった私には重い問いだ。

 だけど今の私はそれに答えられる。


「私に才羽海音と呼ばれる資格はないのかもね」

「……嫌なことを言いますね。だったら私も、如月真白と名乗る資格はない」

「うん。だから、居場所がないのは私も同じだ。本物の才羽海音が座っていた席に、私が収まるわけにはいかない」

「何をしに来た、と聞いたつもりですが」

「答えてるよ」


 これは才羽海音ではなかった私と、如月真白ではない彼女の話だ。

 私たちは出会ったその時から間違っていた。だから、もう一度はじめましてからやり直さなければならない。


「私は君と話したくてここにいる」

「今更何を話すことが?」

「そうだな。まずは互いの呼び方から決めようか」

「これから消える人間の――いえ、バケモノの名前を聞いて何になると?」

「ずっと覚えてる」


 この言葉に聞き覚えがあってくれると嬉しいのだけど。彼女はわずかに目を見開いた。


「それ以外にも色々なことを話そう。これからどうやって生きていくのか、何を目指すのか、とか。何もわからないのは悲しいから」

「そんなことをする必要はない」

「いいや、ある。こんな壊れた世の中で生きるために、私たちにはそれが必要だ」

「夢と希望ですか、素敵ですね。そんなもの私にはない。この世界に私の居場所はどこにもない」

「だからそれを探すんだよ。私にもないから、一緒に探してほしい。一人で生きるのは、とても寂しいことだから」


 彼女は首を振る。ゆるやかな仕草に籠められたのは、断固たる拒否だ。


「どうしたんですか。本音で話すなんてらしくないですよ、海音さん。もっと嘘で隠せばいい。静かに殺意を向ければいい。今までずっとそうしてきたように。あなたの頭に何が入ってるかも、私が何者かということも、全部知ってるはずでしょう」

「全部知った上で言ってるんだよ。LIEならもう制御した。人類の敵なんて関係ない。私は、君と話がしたい」

「話せばわかりあえると? 互いにごめんなさいをして、握手をすればお友達ですか? そんなおままごとをするには、この世界はもう遅すぎる」


 もう手遅れだと。取り返しがつかないと言いたいのか。

 確かに状況は最悪だ。文明は崩壊し、人類は死に絶えた。生き残っているのは血清や生体モジュールなどで、XG-029への対抗手段を持つわずかな生物のみ。それ以外はもうゾンビしかいない。


 しかし、真白は本当に世界を諦めたわけではないはずだ。

 むしろその逆だ。世界を諦めたくなかったから、彼女は足掻こうとした。その証拠を私は知っている。


「そう言うなら、どうして死体を蘇らせた」


 死体をゾンビ化したのはXG-029の女王個体。

 つまりそれは、目の前にいる如月真白がやったことなのだ。


「XG-029がパンデミックを引き起こした時点でとっくに世界は手遅れだったはずだ。それをゾンビとして蘇らせるなんて、一見して無意味な行動だよね。その目的がずっとわからなかった」

「簡単ですよ。世の中を混沌に陥れたかったのです」

「そんなことをする意味がない。発症のタイミングに個人差はあれど、遅かれ早かれ人類は滅びる」

「じゃあ、生き残りも確実に仕留めたかったんですよ。現にいるじゃないですか、ここに三人も」

「そうだね。それが目的だと思ってたけど、今は確信を持って違うと言える」


 これは信頼のやり直しだ。

 あの時の私は彼女を信じられなかった。だから扉を開こうとして、タレットに殺された。だけどそのおかげで私はとても大事なことを知った。


「だって、兵装準備室の前で真白は私を助けようとしたじゃないか」

「……あれは、単なる気の迷いですよ。私も、あなたに嘘をついてみたくなっただけです。内心は罠にかけてほくそ笑んでました」

「下層に至るセキュリティドアを開けたのは?」

「この次元ポータルに用があったからです。私は、家に帰りたかった」

「じゃあ、電子ペーパーのロックを解除した理由も教えてもらおうか」

「それは……。ええと、なんか、そんな気分だったとか?」

「尻尾見えてるよ」

「……これは悪魔の尾ですけど」


 何を今更そんなことを言う。

 真白の行動には、最初から最後まで善意があった。私はそれを信じられなかったからこそ痛い目に遭ったのだ。

 だけど、一度失敗した私だからこそ、今は彼女を信じられる。その行動の一つ一つにあった意味を汲み取ることができる。


 如月真白は私たちの仲間だ。

 あの薄ら寒い関係性の中で、偽物の私たちが築いたものは、紛れもない本物だ。


「もう一度聞く。どうして、死体を蘇らせたんだ」


 これが、最後の疑問だった。

 何もかもが狂った世界に投げ出されて、拾い集めたハテナをつなぎ合わせた末に、ついにはこんなところまで来てしまった。

 突きつけられた真実たちは私を大いに困惑させたが、最後の真実はきっと私を裏切らない。


 命を賭けても構わない。

 私は、如月真白を信じることにした。


「……私だって、そんなつもりはなかった」


 信頼の刃は、真白の嘘を貫いた。


「私の感覚は世界中の子どもたちとつながっている。この星に広がったXG-029とリンクして、この世界で何が起きているかが手に取るようにわかる。はじめはうるさくて仕方なかった。四六時中頭の中で声が鳴り響いていて、今にも気が狂いそうだった。だから頼んだんです、静かにしてほしいって。そうしたらどうなったと思いますか?」


 それが、最初に下した女王の命令か。

 女王が静かにしろと命じたのなら、XG-029は自発的に思考して、その願いを叶えようとしたのだろう。


「子どもたちは、宿主もろとも自らを殺そうとしました。すでにXG-029のアウトブレイクから数年が経ち、いつ発症が起きてもおかしくない状況でしたが、その引き金を引いたのは私です。

 そんなつもりはなかった、やめてほしいと頼みました。できるならもう一度やり直したいと。そうしたらあの子たち、宿主を蘇生させたんですよ。感染が最終段階まで進み、完全に狂騒状態に陥った人体を。そうして生まれたのがゾンビです。笑っちゃいますよね」


 本当に、笑ってしまうほど数奇な話だった。

 あの如月真白という魔女から生み出され、XG-029の女王個体という力を手にしながら、この子の精神性はとても常識的だ。

 あの魔女のように狂っていれば、あるいは私のように脳にLIEが埋め込まれていれば、もしくは父のような鋼の心を持っていれば。

 彼女は、こんな結論に達しなかったのかもしれない。


「これでわかるでしょう。私は、この世界にいてはいけないものだ。私の命令一つで世界はどうとでもなってしまう。人類の敵というのは決して比喩ではありません。私が、世界を滅ぼしました」


 だとしても、私の考えは変わらない。

 確かに引き金を引いたのはこの子かもしれない。人類の敵というのも間違っていない。だけど、彼女に与えられた女王の力は、世界を滅ぼすためのものではなかったはずだ。

 その理由も、私は知っている。


「確かにそうかも。でも、女王個体としての真白はそのために作られたものではなかったんじゃないかな」

「……どういう意味ですか?」

「君を作った方の如月真白と話をした。あの女は、君がその大きさになってしまったのは時間がなかったからって言ってたよ」

「それが何だと?」

「状況を整理すればすぐわかるはずだ。XG-029はアウトブレイクを引き起こし、すでに世界中に広がってしまった。発症までは秒読み段階。状況はすでに手遅れで、ろくな対策も講じられていない。そんな中、あの魔女は女王個体を急いで作り出した。その目的は? 女王個体仮説の実証実験? それとも世界を滅ぼすため? いいや、そんなものではなかったはずだ」


 女王個体が持つ特殊な能力を、真白のような普通の精神性を持つ善人に渡した理由。あの魔女が真白に与えた、最初で最後の贈り物。

 きっと魔女は、滅びゆく世界の中で、悪あがきのように真白を生み出した。


「私に……。女王の力で、この世界をどうにかしろと……?」


 それ以上、言葉を重ねることはしなかった。

 羨ましかったのだ。父は私にそれをくれなかった。自分で探せと突き放した。


 たくさんの期待と、その分だけの重荷を背負って彼女は生まれた。私にとってそれは求めても与えられなかったものだ。代わりに与えられたのは、好きに生きろという呪いだった。


 真白は与えられた使命を祝福と受け取るのだろうか。それとも、呪いと受け取るのだろうか。

 それは彼女が決めることだ。私が口を挟むことではない。


「そんなこと……。今更、聞かされても、もう遅いですよ……」


 真白は拳を震わせる。今にも泣き出しそうな目をしていた。


「私も、向こう側に行く前にあなたと話したいと思っていました。私の心がわかるのは、海音さんだけだと思っていたから。でも、これ以上はダメです。これ以上話したら本当に行きたくなくなってしまう」


 それは私も同じだ。生まれと使命が違っても、私たちは同じ偽物だ。

 だから私も彼女を求めた。


「終わりにしましょうか」


 真白は結論を変えない。


「私は、人類の敵だ。この世界にいてはならないものだ。だから私は向こうに行く」


 譲らない決意がある。そよ風のように滑らかで、鋼のように輝くものが。

 これ以上の説得は無意味だ。言葉で止められるような、生半可なものではない。

 いいだろう。そこまで言うなら、鋼の決意だって砕いてやる。


「いやさ、話せてよかったよ。私も迷ってたんだよね。何があったかはわかっても、真白がどう考えてるかは話してみるまでわからなかったから」


 彼女が隠した言葉はちゃんと聞こえた。だからもう、迷う理由はない。


「夜兎。ギルガメッシュ。そういうことらしいけど」

「わかった。お姉ちゃん、どうすればいい?」

「ああ……。まあ、なんとなく状況はわかったが、後でちゃんと説明しろよ」


 夜兎は即座に、黒猫はやや困惑を残しながら同調する。

 終わった後ならいくらでも説明しよう。だけど今は、先にやるべきことがある。


「あの馬鹿娘、殴ってでも連れ戻すぞ」


 喧嘩しようか、如月真白。

 これまで交わせなかった言葉の分まで。

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