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『才羽海音』

 二十年前、才羽海音は死んだ。

 死因は致死性不整脈。自室内で倒れたため発見が遅れ、処置の末心臓は鼓動を取り戻したものの、一時的に血流を断たれた脳は機能を喪失。脳死と診断された。


 国際宇宙開発機構の職員であった才羽数人は娘の死体を保存する。蘇生の望みを繋ぐための行為であったが、施設の設備の私的利用にあたり、組織からは決していい顔はされない。

 そのため才羽数人は、当時携わっていたクローン研究の被検体として娘の死体を供出する。才羽海音の亡骸はサンプルの一つとして扱われ、隅々までデータが取られることとなった。


 その後、プロジェクト"C"から"Candy"を受け取ったこともあり、クローン技術が確立する。

 しかしこのクローンは瞬間的に人体を複製するものではなく、遺伝子情報を元に人体を胎児から作り直すものだ。通常の数倍の速度で成長するとは言え、クローンを十七歳の体にまで成長させるには相応の時間が必要だった。

 この問題を解決するために使用したのがXG-029。才羽海音のクローン体にXG-029を感染させ、才羽海音自身から生成した血清を投与することで、十七歳の体へと強制的に作り変えた。


 そうして生み出されたのが、私の素になったもの。

 つまり、私は本物の才羽海音ですらない。ただのクローンだったというわけだ。


「本来ならばそれでお前は目覚めるはずだったのだ」


 死にかけの老人が語る言葉を、感情を動かさずに聞いていた。


「生み出された海音は、狂った。身体は急成長を果たしたものの、脳に蓄積された記憶と経験はそれに見合わない。脳記憶も成長に必要な一要素だったというわけだな。俺としたことが基本的なことを見落としていたよ」

「それで……。私は、どうなったの」

「失敗作だ、処分したさ。だが、死体を片付ける前に再利用法を思いついてな」

「LIEか」

「そうだ。別途脳を培養し、マッピングしてあったお前の記憶を流し入れ、XG-029に蘇生指令を下すためのLIEを植え込めばうまくいくと考えた。しかし脳の培養にもそれなりに時間が必要かかる。おかげで六年も待つことになったよ」


 LIEは聞いた内容をあくまでも情報として処理する。

 おかげで、父がしたことを感情と切り離して理解することができた。


「その間、お前にはプロジェクト"D"に貢献してもらったよ。XG-029による高速クローン培養に成功した初のケースだ。生み出された才羽海音は発狂すると言えど、量産が効く実験体としては不都合ない」

「私を……。作ったのか。実験体にするために」

「そうだ。アルファ血清を生み出すために使った被検体は、その多くがお前のクローンだ」


 何も感じない。すべての感情はLIEが封じ込める。脈拍は正常を保ち、私はこの男の言葉を静かに聞き続けた。


「脳の培養とアルファ血清の完成は、XG-029のパンデミックにギリギリ間に合った。さしもの俺も運命を感じたよ。だから俺は、お前にアルファ血清を投与したんだ」

「……どういうこと」

「アルファ血清は完成したが肝心の被検体が間に合っていなかった。だが、血清開発の被検体に利用されたお前ならば、変異は確実に成功する。それを見込んでの人選だ。独断だが、この状況では最良の決断と確信している」


 私はこの時、LIEに心の底から感謝した。

 LIEはどこまでも合理的だ。自分の感情を完璧に封じ込めて、父の説明をつぶさに検討する。

 オリジナルの私が死んだことも、自分がクローン体であることも。私以外にも複数のクローンが作られて、それらがプロジェクト"D"の実験体に使われていたことも。どこにも合理性に瑕疵はない。

 だから私は理解した。そういうものかと納得できた。


「それで。父さんは、私にアルファ血清を投与して何をさせたかったの」

「何を、か。そんなもの決まっているだろう」

「……まあ、それもそうだね」


 本当は薄々わかっていた。

 不思議と憤りはなく、納得がある。違和感は解消され、収まるところに収まったような感覚がした。


 XG-029が何もかもをめちゃくちゃにしたこんな世界で、私は感染の影響を受けない。いかなる環境にも適応する遺伝子を持ち、並大抵の要因で死ぬこともない。ついにはLIEまで備わっている。

 偽物の命。生み出されたクローンの一体。この呪わしい研究所と一人の男のエゴが生み出した、生体工学の技術結晶。かつて才羽海音だった少女の成れの果て。


 それが私だ。

 私のこの体は、この世界の混沌に終止符を打つためのものだ。


 私の使命がそれだというなら喜んで帯びてやろう。どうせ自分の行き先すらわからなかったこの命だ。存在意義(レゾンデートル)がはっきりしているというのは、たとえどんなものであろうとも、立ち上がるための力になる。


 壊れてしまったこの世界に、私はようやく生きる意味を見つけられた。

 それがどんなに身勝手で、どんなに辛く苦しいものであろうとも。


「海音」

「わかってる。ちゃんと、やるから」

「何を気負ってる。勝手にすればいい。俺はお前に何かをやれなんて言う気はない」

「……は?」


 この男に、冗談を言っている様子はなかった。


「この研究所は好きに使っていい。多少汚れているが武器も食料も豊富にある。これだけの物資とその体があれば、そうそう簡単に死ぬことはないだろう」

「いや……。え? ちょっとまって、どういうこと?」

「俺に遺せるものは全て遺した。悪かったな、海音。二十年も待たせてしまったが、ようやくお前にこれを言える。もう二度と言えん言葉だ、ちゃんと聞いておけ」


 やり切ったような満足顔。どうしてだ。どうして急に、そんな顔をする。

 この男は私の命を弄んだ。複製して、蘇らせて、倫理にもとる行為をした。なのにどうしてそんな顔ができる。


 研究のためならば、娘だろうと躊躇なく実験材料にできる人間じゃないのか。

 こんな世界に放り出して、後はお前がどうにかしろと押し付けるつもりじゃないのか。


「今度こそ健やかに生きろ。できるだけ長生きしろ。やりたいことをやれ。望むものを望め。夢を求めて手を伸ばせ。めいいっぱい幸せになれ。中々難しい世の中かもしれんが、お前ならそれができるはずだ」

「違う……! そんな言葉が聞きたいんじゃない! あんたは、プロジェクト"D"のケリをつけるために私を蘇らせたんだろ! 全部背負わせればいいじゃないか!」

「馬鹿を言うな」


 そうすれば、それを頼りに生きられるのに。どうしてだ。どうして私から存在意義を取り上げる。

 死に際に何をかっこつけてるんだこいつは。私と同じじゃないのか。私と同じ、機械のような合理性の持ち主じゃないのか。人でなしの冷血人間じゃないのか。

 死にかけの老人は深い笑みを浮かべる。

 覚悟を纏った、人生をやり遂げた男の顔だった。


「子の幸福を願わん親がどこにいる」


 その笑みに、言いたかった言葉を全て飲み込まされた。


「お前に先立たれた時、俺は心の底から後悔した。正直に言おう、あの頃の俺は所帯など世間体のためとしか考えていなかった。なのに、なんでだろうな。今はまったく別のことを考えている」

「なんだよ、それ……。私は作り物なんだろ……? なんで今になってそんなことを言うんだよ……! 作り物なら作り物らしく扱えばいいだろ! なんでも命令して、あんたの都合よく動かせばいい! そのために私をこんな体にしたんだろ!?」

「違う。だが、お前をそんな体にしたのは俺のエゴだ。その責は全て俺にある。振り回してすまなかったな、海音」

「ふざっけんじゃねえぞ! なんだよそれ! あんたは……! こんなイカれた世界で、ただ私に生きろっていうのか! 教えろよ! 私は、どこを目指せばいい!」

「海音、人は一人だ。これからお前は灰の荒野を一人で行くことになるだろう。だとしてもその道は己で定めろ。お前にはそれができるはずだ」


 壊れた世界を、目的もなくただ生きろと言うのか。命ある人がいなくなってしまったこんな世の中を、たった一人で。


 それを呪いと呼ばずになんと言う。


 LIEはその道筋を示してくれる。安全な寝床を見つけて、食料を確保して、一日でも長く生き延びる方法を教えてくれる。感情を遮断すれば孤独に押しつぶされることもないだろう。


 だけど、そんな風に生きるのは、ひどく寂しいことに思えたから。

 湧き上がる感情のままに、呟いた。


「……一人は、いやだ」


 気づけばもう、LIEは感情を抑制しきれていなかった。

 強い本能の前にLIEは力を失った。これは私の生存本能だ。才羽海音ですらなかった、何者でもないこの私が、自分という命を見つけるために必要な本能だ。


 食料も寝床も武器も安全も何もいらない。

 私はただ、私が私であるという、たったそれだけの証明がほしかった。


「そんな風には生きられない」

「そうか」

「だから私、自分が生きる道を探すことにする」

「苦労をかけるな」

「今更でしょ」


 父と娘の会話は、それで終わりだった。

 無言の時が流れていく。気づけば父は目を閉じて、呼吸も緩慢なものになっていた。

 培養された脳に流し込まれた、才羽海音の記憶を拾い集める。記憶の中の父はとても無愛想で、家族を家族とも思わないような仕事人間だ。決してこんな穏やかな顔をする人ではない。


 だからこそ、この一瞬に私がいることが、どうしようもなく悔しくて。

 自分が本物でないことに、歯を噛んだ。


「……父さん」


 私は偽物だ。この男のエゴに生み出され、生きろという呪いをかけられた、作り物の命だ。

 私は偽物だ。ゆえに父へと向ける感情はとても簡単には割り切れない。勝手に作って勝手に呪って、本当に勝手だと憎む気持ちはもちろんある。

 私は偽物だ。それでも彼が私に向けた親愛の情は、私の中に植え付けられた才羽海音の記憶を確かに揺り動かした。

 私は偽物だ。本物の才羽海音ではない。本物はもう死んでしまった。今この場にいて、父の愛を受け取ってしまったのは偽物の私だ。

 私は偽物だ。それが悔しくてたまらない。父の死を悼もうとするほど、自分という存在が矛盾する。


 私は偽物だ。

 私は偽物だ。

 私は偽物だ。


 だとしても。


「私は本当の才羽海音じゃないかもしれないけれど。それでも、私の父はあなただった。だから――」


 これが代替行為であることはわかっている。こんなことを言っても、私には何の救いにもならないことも。

 それでも死んでしまった本物と、死にゆく父への手向けがしたくて。

 父の魂が天へと昇る前に。この言葉が、届くことを願った。


「――愛してくれて、ありがとう」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最後の一言とそこにいたるまでが、本当にジーンとくるものでした。 とても好きです
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