初外交 1
「帽振れ!」
甲板に並んだ手空きの乗員たちが、陸に向かって手を振る。背後では汽笛が鳴り、島への別れを告げる。帽子を振る者の中に、賢人と武の姿もあった。さらにその隣では、ルリアが手を振っている。3人が今いるのは、貨客船「東郷丸」の前部甲板であった。
「東郷丸」は日本では今や貴重となっていた全長145m、総トン数10000トンの大型貨客船である。戦前はその優美な船体を白と黒を基調とした塗装に身をつつみ、横浜から米西海岸のシアトルやサンフランシスコを結ぶ太平洋横断航路に配船されていた。
戦時下になり、海軍に徴庸されて船体は緑色の戦時色に塗り替えられ、船首尾には砲座が設けられてしまったものの、その優美なシルエットは損なわれていない。
今回その「東郷丸」は、この世界における初めての対外交渉のために瑞穂島を出発する。瑞穂島でも、多くの見送りの人間たちが手を振っている。
「東郷丸」の目的地はメカルク公国の首都ハナル。そこへオットー大使をはじめとする同国使節団を送り届けるのである。その護衛として重巡洋艦の「蔵王」が付く。
片道5000kmを越える長距離の航海であり、到着までは1週間以上は掛かる長い航海である。
「やれやれ。今日からまた1週間以上も船の上か」
「賢人は船の旅が嫌なの?」
出港して数時間後。瑞穂島も見えなくなり、船室へ向かう3人。その際に賢人がこぼした言葉を、ルリアがしっかりと聞き取っていた。
「いや、嫌ってことはないけど。これでまた当分空は飛べないからさ」
最近飛行できる間隔が伸びていた所に加えて、今回は1週間は確実にお預けである。空を飛ぶのが好きな賢人にとっては、やはり寂しいことであった。
「賢人はお堅いな。せっかくの休暇だと思おうぜ」
とお気楽に言うのは武だ。不満げな表情をする賢人とは対象に、こちらは口にしたとおり、まるでバカンスでも楽しんでいるようだ。
「バカ。中野少佐に聞かれたらどうするんだ。俺たちの任務はルリアの護衛と、向こうに行ったら飛行機飛ばすことにあるんだぞ」
「へいへい」
3人は今回、それぞれ役割を与えられて今回の航海に赴いている。ルリアは言うまでもなく通訳として乗り込んでいる。もう一人の通訳である川島と交代で、メカルク公国の使節団の相手をするのだ。
一方賢人と武の二人は、上官である中野少佐とともに彼女の護衛と、メカルク公国到着後に航空機のデモンストレーション飛行を行うことになっていた。
今回「東郷丸」にはただ単に使節団だけでなく、トラ船団側から派遣される使節や、メカルク公国への示威用に3機の航空機を含め、武器等が積載されている。
どうしてそんな物を積んだかと言えば、それはオットーらに空母搭載の艦載機を見せたことが発端だ。オットーらは見せられた零戦や99艦爆、97艦攻を見て狂喜した。
「スゴイ!全てが金属で出来ていて、羽根も一枚だけしかない。我が国にはこんな飛行機ありませんよ」
機体を間近で見せられただけでなく、陸上の飛行場から実際に空を飛ぶ姿を見たことで、彼らの驚きと喜びはさらに大きくなった。
「寺田司令官。もしよろしければ、この内の1機でもいいから我が国に譲っていただけないだろうか」
オットーは本気でそんなことまで言った。
これまで日本国(トラ4032船団)がこの世界で遭遇した飛行機は、1世代以上前の機体に近い物であったが、オットーの母国であるメカルクについてもどうやら同じらしい。
「この世界ではまだ全金属製の単葉機が普及しておらんらしい。これは大きな材料になるぞ」
そう判断した寺田司令官ら日本国上層部は、3機の航空機とパイロットの派遣を決めたのであった。。
現在数も限られ補充もないと言う厳しい状況にあるが、日本国にはまだ数十機の機体があり、パイロットも充分な数がいる。だったら相手へのアピールの意味からも、燃料など消耗品が心許ないが、もしメカルク公国から補充を受けれることになれば、大きな前進である。
もちろんそうしたものだけでなく、不足気味の食料や生活必需品などを得るのに使えるかもしれないというのも、大きな理由であった。
「ルリアが川島さんと交代するまで後3時間だな」
使節団との通訳が出来るのは、川島中尉とルリアの二人しかいない。他に何名かエルトラント語を習っている人間はいるが、まだ使いこなすには至っておらず、二人が時間を決めて交代で応対する。ただ四六時中付き添うわけではなく、相手が必要に応じて呼んだ時だけであるが。
「それまでルリアはどうしてたい?」
「せっかくだから、もっと海を見ていたいな」
「ルリアも物好きだな」
「まあ船室に行っても暑いからな。昼間は外にいた方がいいな」
賢人が言うのは、現在空調の運転が燃料の節約のために制限されていることだった。空調が運転されているのは、基本的に使節団が乗り込んだ貴賓客室だけである。それ以外の部屋は窓を開けるだけなので、部屋にもよるが甲板上で海風を受けた方が涼しい。
3人は遊歩甲板へと向かおうとした。しかし。
「おう、お前らそこにいたか」
「あ、中野大尉」
二人の上官である中野大尉がやってきた。
「お前ら、仕事だ。交代で船の見張りに立つぞ」
「見張りですか?何を見張るんですか?」
武がいきなりのことに聞き返す。
「もちろん海上を見張るんだよ。いつどこから敵が現れるかわからないからな。「蔵王」が電探を持っているとはいえ、見張りが多いに越したことはない。船長からも是非ともやって欲しいと言われた」
「でも、俺たちはルリアの護衛が仕事じゃ」
「3人全員はいらないだろ。二人いれば充分だ。だから順番を決めるぞ。クジを作って来たから、ほら引け」
中野が問答無用で右手を差し出す。その手には3本の紙片が握られていた。
賢人と武は嫌々ながらクジを引く。すると。
「うへ!いきなりかよ」
「俺は三番だ」
賢人の引いたクジには一、武のクジには三と先っぽに書かれていた。
「決まりだな。じゃあ平田、これもって右舷ボートデッキで1時間見張りしてろ」
中野が双眼鏡を差し出す。もちろん、相手が上官である以上は賢人に拒否権はない。
「了解」
しぶしぶ双眼鏡を受け取ると、それを首からぶら下げる。
「じゃあ頼むぞ」
賢人は3人を見送ると、ボートデッキへと上がった。とはいえ、右舷ボートデッキと言ってもどこで見張りをすればいいのかわからない。
仕方がなく、船橋に行き指示を仰ぐことにした。
「すいません」
「何だね?」
賢人が声を掛けると、眼鏡を掛けた航海士が出てきた。
「中野大尉より、右舷ボートデッキでの見張りを手伝うよう命令されたのですが。どこへ行けばよろしいでしょうか?」
「ほう、あの大尉約束を守ってくれたか。海軍もたまにはいいことするじゃないか・・・・・・キャプテン、あの大尉が早速見張りを寄越してくれましたよ」
航海士が声を掛けると、他の乗員と話をしていた長谷川船長が出てきた。トラ4032船団副司令官の直接のお出ましに、賢人は緊張せざるを得ない。
「おう、君がその見張りか?」
「はい。平田賢人一等飛行兵曹であります」
賢人が敬礼すると、長谷川も答礼する。
「ああ、そう言えばパイロットだって言っていたな。では平田兵曹。空を飛ぶのに比べたら退屈な仕事だろうが、よろしく頼むよ。右舷ボートデッキ後方で見張りについてくれ」
同じ船乗りであるが、海軍軍人とは違う深みがある。あまり船員と交流してこなかった賢人にも、目の前の長谷川にそんなことを感じた。
「わかりました。副司令」
「そんな大げさに呼ぶことはない。船長かキャプテンとでも呼んでくれ」
「キャプテンですか・・・わかりました」
海軍でも英語や英語からなまった言葉を多用するが、さすがにここまでストレートなのは始めである。賢人には新鮮であったが、一方で不快感もなかった。
「よろしく頼むよ」
賢人は言われた通りに、右舷ボートデッキ後部に立ち、双眼鏡での見張りに立った。電探や探信義を持たない商船にとって、この目による見張りだけが自分を守る最後の砦であった。
とは言え、南洋のぎらつく太陽の炎天下。1時間ただ立って双眼鏡でどこまで行っても青い大海原を見ているのは、体力的にも精神的にも堪える作業だ。
(見張りって言うのは、本当に忍耐がいるな)
索敵における見張りは、時として戦いの成否を決める重要な作業であるが、何かを見つけるまでは単調かつ緊張を強いられる仕事である。今回賢人は1時間だけだが、これを何時間もやるのは本当に根気のいる作業だ。
汗を吹き出しながら、実際にやることで身をもって思い知らされる賢人であった。
「平田、交代だぞ」
1時間後、交代の中野がやってきた。
「やっと交代ですか」
これで解放されるとばかりに、笑顔で返事する賢人。
「大分堪えたようだな。食堂に行って冷たい物でももらってこい」
「そうします」
賢人は双眼鏡を手渡して敬礼をすると、早く冷たい飲み物が飲みたかったので、食堂へと急いで向かった。そんな彼を、中野は笑って見送ると、ジッと双眼鏡で海面を見張るのであった。
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