平穏の間で ②
「新しい艦をもらえたのは嬉しいが、魚雷発射管のない艦とはな」
「仕方がないですよ艦長。この艦は対空駆逐艦なんですから」
「そりゃそうだけどなあ、水雷屋としてはちょっと寂しいぞ」
と話しているのは、日本国海軍所属の春日幹夫大佐と安久久兵衛少佐の2人であった。この二人はつい先日まで、トラ船団に先だってこの異世界に転移した駆逐艦「海棠」の乗員をしていた。しかし、その「海棠」がマシャナ軍との間で行われた瑞穂島の防衛戦闘(日本国では第二次瑞穂島沖海戦と呼称)により大破し、復旧の見込みがつかなかったため、総員退艦の上で味方艦の砲撃で自沈処分されてしまった。
つまり、彼らは乗艦を喪ってしまった。幸いだったのは沈没までは十分な時間があり、戦闘での戦死者を除くほぼ全員が味方艦によって救助されたことだ。
しかし乗る艦がない以上、彼らには新たな艦への転属、或いは陸上での勤務以外に道はなかった。この内重傷などで乗艦勤務が出来ないものは、後者に回らざるを得なかった。そして、まだ艦に乗れる人間は、普通であればバラバラに、それぞれ乗員が不足している艦に転属させられるかと思われた。
ところが、そんな折に空母「勇鷹」を含むソ連向け売却艦艇が転移してきた。
この艦隊は日本国との遭遇時に燃料が不足しており、日本国の同盟国たるメカルクの支援で燃料を補給した。そしてメカルク経由で日本国へと回航され、日本国海軍の指揮下に入った。
この艦隊には戦艦を始めとする艦艇が含まれており、日本国としてはただちに編入して戦力化したいところであった。しかし、大戦末期にしかも海外に売却される予定となっていたこれらの艦艇は、整備状態が不良であり、おまけに乗員は回航に必要な人数しか乗っておらず、定数を大きく割っていた。その上、その乗員すら戦時下で急速補充された促成乗員が過半を占めていた。
もちろん整備が必要な艦艇は、ただちにドック入りして整備しなければならないが、現在日本国が自前で所有しているドックは、瑞穂島上陸後苦心して建設し、ようやく最近になって完成したた5000トン級ドックだけ。この規模では「石狩」のような小型巡洋艦、さらには駆逐艦以下の艦艇しか入渠できない。しかも、付属設備や人員の不足から駆逐艦なら1隻。海防艦でも同時に2隻入渠できればいいところだ。
そのため、現在日本国では艦船の入渠は基本的に同盟国であるフリーランドやメカルクの造船設備に委託して行われているのであった。そして所有する最大規模の艦艇でも軽空母の「麗鳳」で、他に客船を含めて「東郷丸」が最大だった。
ところが今回さらにデカイ戦艦や空母が手に入ってしまった。こうなると、日本国は両国に大型艦が入居できる空きドックがないか緊急打診した。しかしそもそも、回航する要員すら不足している状況である。
それなのに、さらに南方では多数の戦艦や大型空母がさらに発見されたのだから、これまた数少ない造修担当の人間は発狂寸前の状況であった。
とは言え、未だにマシャナとの戦争は続いてる。というより、同国との外交チャンネルが一切ないため、戦争を終わらせようにも終わらせられないというのが事実であったが、とにかく戦争が終わる見通しは立っていない。
そんな状況であるから、1隻でも戦闘に投入できる稼働艦艇を増やさなければならない。
そこで日本国では、まず仮称「勇鷹」艦隊の艦艇と乗員を整理し、動かせる艦艇とそうでない艦艇。艦艇乗員としてまともに動かせる人間とそうでない人間を選抜した。そして早急にドック入りが必要な艦艇には、回航に必要な最低限の要員を既存の艦艇からも人員を派出して、フリーランドの造船所へと回航させた。
また艦艇乗組員として適格と判断された者は、そのまま艦艇乗り組みに。不適格と判定された者の内、今後も艦艇乗り組み継続の意思があり、なおかつ体力面などで問題ないものは、練習生として各艦艇に配属するなどして再教育を行う。逆に不適格或いで乗り組み継続の意思なし者や体力的にも問題がある者などは、除隊となり不足している民間の人材に充てられた。
こうして艦艇と乗組員を整理して、ようやく稼働状態になった艦艇の1隻が、今春日と安久が乗り込んでいある軽巡洋艦「四万十」であった。
「四万十」は改「阿賀野」型の対空巡洋艦で、当初設計では「阿賀野」型と共通の艦体から水偵設備と魚雷兵装を撤去、その代替として「秋月」型にも搭載された98式10cm連装高角砲を前部と後部に3基ずつの計6基、8cm連装高角砲4基を搭載となっていた。
しかし、肝心の10cm連装高角砲の生産が遅れたこと、さらには大戦後期の資材不足などによる工事遅延のため、前部の3基は計画どおりだったが、後部の1基は搭載されず機銃座が据え付けられていた。その機銃にしても、在庫が払底していたのか同じ96式の25mm機銃は連装や三連装が混載されていた。それどころか一部の銃座には、日本海軍では不評で大東亜戦争時にはほぼ撤去されていた毘式の40mm機銃や、さらに威力面で不安がある93式の13mm機銃までもが搭載されている始末だ。
回航時の艦長をしていた志野田中佐によれば、完成を間に合わせるためにこんな無茶苦茶な装備になったらしい。
そうして完成を急いだにも関わらず、「四万十」が完成したのは昭和20年5月と既に巡洋艦を戦力として使えない程に戦局が悪化した時期であった。そのため、ソ連への売却艦に選ばれたとのことだった。
もちろん、他の艦と同様に「四万十」もソ連への売却前提だったため、乗員の多くは回航に必要な最低限の数で、その多くを少年兵や根こそぎ動員の老兵が占めていた。
とは言え、「四万十」は武装を含めて稼働状態であり、機関部や艦体の状態も「勇鷹」艦隊の中では良好であった。また、その武装の高角砲は日本国海軍としては魅力的であるし、巡洋艦以上の艦艇がまだまだ少ないので戦力的な価値も大きい。
その一方で巡洋艦ではあるものの、母体が「阿賀野」型であるため排水量は1万tにも満たず、乗員も800名ほどと、駆逐艦まではいかないが、戦艦や大型空母程必要としない。
「海棠」の生き残りに加えて、フリーランドへ回航して長期修理に入った艦艇など、他の艦から応援として寄越した乗員と、「勇鷹」艦隊から選抜した乗員を加えることで、「四万十」を稼働状態とすることができた。
そしてその初代艦長(日本国海軍艦艇としての)に任命されたのが、元「海棠」艦長の春日であった。
当初「春日」は自分の艦を沈めたばかりであったこと、さらには前任の「海棠」が1000tにも満たない小型艦であったこと、さらに彼自身水雷出身で対空戦闘に関しては知見が不十分であることから、不適格として「四万十」艦長を固辞しようとした。
しかし、今の日本国海軍に人を遊ばせておく余裕などなかった。もちろん玉突き人事を発令するという手もあったが、あまりに大きな人事異動は、誕生して間もなく様々な面で不備を抱える現在の日本国海軍の組織としては負担になる。
結局、寺田総司令官らの説得もあって、春日は大佐に昇進の上で「四万十」艦長に任命された。
そして今日が春日にとって乗艦初日なのであるが、やはり先日まで駆逐艦に乗っていた身としては、6000トンであっても巨大な艦に見えた。加えて、水雷出身の彼としては魚雷発射管を装備していない、対空砲を主砲とした艦艇はあまりにも違和感があった。
そんな彼への配慮として副長として抜擢されたのが、安久少佐であった。安久は元対空駆逐艦「高月」の先任士官(駆逐艦における副長格の士官)だった男で、当然航空機との戦いとなった大東亜戦争における実戦経験もあるし、対空戦への知見も豊富に持ち合わせている。加えて少尉時代に「海棠」の同型艦である「若竹」型駆逐艦に勤務した経歴を偶然持ち合わせており、「海棠」乗員との融和を図りやすいという狙いもあった。
「対空戦闘はともかくとしても、艦長には一刻も早く艦に慣れてもらいませんと。でないとエルトラント人に笑われます」
「わかってるよ。彼らの前で無様なマネは出来ん」
「四万十」は10日ほど瑞穂島で訓練と調整を行った後、訓練を兼ねた航海を行って干支諸島に回航、新たに編成される干支諸島防衛戦隊の旗艦となる予定であった。
この防衛戦隊は干支諸島の防衛と共に、いざとなれば条約に従ってエルトラント王国の防衛任務や、エルトラント海軍兵の教育任務にも就く。つまりは、日本国海軍のエルトラント向けの看板となるのだ。だから下手なことをすれば、日本国に悪影響を与えること必至である。
だから春日も安久も、早急に自分たちが艦に慣れると同時に、乗員たちの慣熟度を高めねばならないと認識していた。
とは言え。世の中どうにもならないことだってあるし、なんとかなることだってある。
春日はフリーランド製のタバコに火を点け、その煙を吐き出すとぼやいた。
「ま、なるようにしかならんわな」
異世界に来て6年余り。色々と苦労してきた男は、どこか達観していた。
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