新領土と新戦力 ⑯
「ペーター・シュトラッサー」の調査の翌日、賢人らが乗り込んだのはその隣に停泊している空母であった。
「どうやらこいつはイタリア艦らしいな・・・艦名は・・・「ファルコ」か」
中野が艦体に描かれた艦名を読み上げた。イタリア語表記であったが、そこはやはり海兵出というところであった。
「確か、イタリア語で鷹て意味でしたよね?」
賢人の言葉に、中野は頷きつつ。
「ああ・・・しかし、イタリアも空母を作ってたんだな」
未知のイタリアの空母に、期待半分疑い半分と言う表情を浮かべていた。
イタリアは日独伊三国同盟の一角をなした同盟国であったが、中野たちがこの世界に来るのと前後した1943年7月に、ファシスト党を率いていたムッソリーニ首相が失脚し、実質的に連合国に敗北してしまった。
そもそも、イタリアは大戦においていい所があった記憶が、中野らにはなかった。重要な同盟国とは言われていたが、電撃的に欧州諸国を制覇し、その後ソ連にも参戦しつつ、昭和18年時点でも勇戦敢闘していたドイツ軍に比べれば、パッとしない。それどころか、1940年にはタラントの軍港が英軍の空襲を受けて、一夜にして主力艦群を撃破されたり、攻め込んだエジプトで英軍の反撃を受けて大敗した挙句、結局ドイツの援軍を得るなど、脚を引っ張ってる印象さえある。
実際そうした戦時中に入ってくる情報だけでも印象が悪いのに、海上自衛官たちが伝えた戦後判明した話によって余計に補強された形になっている。
「確か、「アキラ」とか言う空母を造っていたって聞きましたよ。なんでも戦前有名だった客船の「ローマ」を改造したとか」
「こいつ、そういう情報だけは達者だな」
中野の言葉に、賢人は笑う。海上自衛官や「伊508」の乗員などと交流することで、様々な情報が入ってくる。飛行機好きで海外の機体にも興味のあった賢人は、そうした人脈から情報を得ていた。
「よし、乗るぞ」
降りていたタラップを見つけ出し、中野たちはそこから艦上へと上がる。
「この艦も工事が未完成のようだな。艦体の形状からして、こいつも客船改造なのは間違いなさそうだ」
「ペーター・シュトラッサー」と同じく、乗り込んだ空母は外見こそ8割がた以上空母の形を成していたが、内部を見れば工事未了の箇所が数多く見受けられた。
「にしても、デッカイ客船ですね。「東郷丸」より二回りはデカそうです」
日本国が有する最大の客船「東郷丸」は、戦前太平洋横断航路に就役していた日本では数少ない大型豪華客船であったが、それでも全長は200mはなかったはずだ。
しかし今乗り込んでいる空母は、どうみても全長は250m近くあった。
「大西洋の客船は皆デッカイからな。それに脚も速い。皆30ノット近い速度で走れるぞ」
「客船がそんな高速で!」
「それだけ競争が厳しいってことだろ」
中野の言う通り、大西洋の客船競争は太平洋の比ではなかった。これは大西洋航路が、欧州からアメリカ大陸への移民を運ぶという使命を帯びていたからだ。その大量の人員を、出来る限り短時間で運ぶため、大西洋航路の客船は大型かつ高速、さらに豪華であった。
戦前、この大西洋航路のスピードタイトルはブルーリボンと呼ばれ、各国の最新鋭客船がそのタイトルを巡って激しい鍔迫り合いを行っていた。
なおブルーリボンのタイトルは、別に公式に表彰が行われる形あるものではなく、名誉的なものであった。しかしながら、それぞれの国が威信をかけて客船を建造するほどに、そのタイトルは価値と誇りのあるものであった。
アメリカ、イギリス、ドイツにフランス、さらにはイタリアの客船がその高速を競い合い、このタイトルを奪い合った。
しかし大戦がはじまると、もちろん豪華客船を走らせている時代ではなくなってしまった。連合国に所属する大型客船は、兵員輸送船に改装されて迷彩姿に身を包んで、その巨体を生かして多数の将兵を運ぶこととなった。
一方枢軸国側の船は連合国側の船程恵まれず、制海権を奪われてしまったために、船として運用することはほとんど叶わなくなり、港の奥で逼塞してせいぜい宿泊船として使われるしかなかった。
そして、空母を持たぬ独伊海軍は、その整備の必要性を痛感すると、これら行き場のない大型客船の空母化を考えた。大型かつ高速のこれらの船は、空母のプラットホームとして適していたからだ。
だが結局、これら客船改造空母を含めて、独伊が建造を目論んだ空母は全て戦争に間に合わなかった。つまりは、独伊海軍が大戦中に空母を保有することはかなわなかったわけだ。
「ま、どちらにしろこんなデカブツ、すぐに持って帰るのは無理だな」
「じゃあ、甲板上の機体どうします?」
「ペーター・シュトラッサー」と同じく、「ファルコ」艦上にも単発機が数多く係止されていた。賢人も写真で見たことあるマッキのMC200やMC202、フィアットのCR42やG50と言ったイタリア製の戦闘機。さらに鹵獲機や購入機なのか、フランス製のMS406やDО520、ドイツ製のMe109やJu87なども置かれていた。
これら甲板係止の機体はもろに潮風に当たっているので、早く陸上に移すなりしないと、劣化して飛行不能になってしまう。防錆塗装が仮にされていたとしても、それでも限度と言うものがある。
「シートを持ってきて被せるくらいしか、今はしようがないな。それか「ちくご」か「蔵王」のクレーンを使うかだが。どっちにしろ、それは鳥居司令と協議してからだ。よし、次行くぞ次」
とにかく調べなければならない艦の数が多いので、1隻にそう時間を掛けてられない。昨日は丸一日掛けて「ペーター・シュトラッサー」を調べたが、時間を掛け過ぎていると注意されたため、調査内容を大幅に簡素化し、大まかな状態確認を終えたところで、中野は次の艦へ向かうことに決めていた。
「行くぞ、賢人」
「わかってるって」
もっと見ていたい気持ちをこらえて、賢人は武に促されて内火艇へと戻った。
こんな感じで、調査班が環礁内の艦艇を簡単ではあるが一通り巡って状態を確認した。
その結果、環礁内の艦艇は見た限りでは良好な状態であり、充分航行並びに戦闘に耐えられると判断された。
こうなると、風雨や潮風等で劣化する前に一刻も早く持ち帰るのが望ましいことであった。しかし、人手も曳航する艦船も充分でない状況では、大型艦を動かすことなど出来ない。
そこでまず、現状の人員から派遣できる可能な数の人間で、回航できそうな船を回航することとした。
この結果2隻の船が選定された。
1隻は輸送船で、米国で戦時中に大量建造されたリバティー船である。この船は戦時下において、設計を共通化させつつ工数を削減する等して大量建造を可能とした所謂戦時標準船である。
しかしながら、このリバティー船はアメリカの底力を反映した船であった。性能自体は総トン数7000トンで、航海速力も11ノット程度で、際立って高性能ではない。だが建造された数が、大戦中のわずか4年ほどで2700隻を超えるという、尋常ではない数が揃えられた。なにせこの数字は日本が建造した各種戦時標準船全て合わせた数の、実に3倍近い数なのだから。
これはブロック工法や電気溶接を大胆に採用したことに加え、それだけの造船が可能な造船所と工員を確保でき、なおかつ造船計画を効率的に成し遂げられた結果であった。その建造期間は1隻当たり平均しても3カ月程度。中には10日に満たない超短期間で完成した船まであった。
もちろん、完璧などということはありえなく、電気溶接の問題から船体が折損するという事故も複数発生したが、それも致命的な欠点とまではならず、枢軸国側の激しい攻撃による船腹喪失を補って余りある存在となった。
ちなみにどうしてリバティー船かと言えば、これは一番船の「パトリック・ヘンリー」の名の由来が、アメリカの独立宣言の署名者の一人であり、彼の有名な演説の最後にある「give me liberty or give me death」からとられたものである。
そしてどうしてこの船が今回回航対象に選ばれたかと言えば、皮肉なことに「つるぎ」や「ちくご」の乗員に、この船の乗船経験者が多数含まれていたからである。
このリバティー船は、終戦直後の日本人の本土引き上げに際し、壊滅した日本商船団の穴埋めとして、アメリカから100隻余りが貸与され、日本人の手で運航されたのである。その時にリバティー船に乗り組んだ人間が海上自衛隊に流れた結果であった。
もう1隻の回航対象艦に選ばれたのが、「タコマ」型のパトロール・フリゲートになったのも、似たような理由であった。
「タコマ」型フリゲートは大戦中に米国が建造した商船型式の船体に、手堅いレシプロ機関を搭載した護衛艦で、やはり性能は平凡である。しかしながら、この同型艦は海上自衛隊の初期供与艦艇であり、やはり「ちくご」と「つるぎ」乗員に、乗艦経験者がいた。
無論、現状定員を充足させるのは不可能で、2隻ともに回航に必要な最低限の乗員だけが乗り込んだ。
この2隻に巡洋艦「蔵王」と軽空母「つるぎ」が付き添って、瑞穂島へ回航することと相成った。
御意見・御感想お待ちしています。
次回は以前予告した通り、登場艦艇の解説を行いたいと思います。登場順に5隻から10隻程度紹介できればと思っています。




