黒い激情
狐面を付けた少年の吸血鬼。
今日会ったばかりだが、その幼気な風貌や声を、俺は知っている。
俺だ。
父の残したビデオで見聞きした過去の俺が、そこには居た。
何故そんな姿をしているかは分からない。
偶然なのか、それとも意図的なのか……。
ただ、その幼い外見にそぐわぬ静かな視線や漂わせる冷たい空気が、彼の存在感をより際立たせていた。
狐面の初撃は、背中から出現した血の尾による広域の薙ぎ。
地を這うその一撃を前に、俺に残されたのは、上に逃れる選択肢だけだった。
そして空中へ跳び上がった俺の次の逃げ道は、狐面が振り下ろした九本の尾によって完全に消し去られた。
「がッ!?」
着地を待つ間も無く、俺の身体は地面と尾で挟み潰された。
下敷きになった俺を、狐面が見下ろしてくる。
仮面から覗く金色の瞳に覇気は無い。
俺を倒すことなど工程の一つに過ぎないと、口にせずとも語っていた。
「貴殿の力は拙者たち三人に依存する。拙者は言わずもがな、残りの二人も封印された現状……こうなるのは必然でござる」
痛い。
重い。
精神世界だというのに、骨の軋む痛みや音、傷口から流れる血の感触まで、酷く現実的だった。
身体中の骨が砕け、足掻くことすら出来ない。
そして、同時に傷の癒えていく感覚もある。
吸血鬼の身体能力や再生は健在。
なのに血が操れない。
対して狐面は、高度な血液操作を使える。
……なんか、ずるくない?
「見当違い甚だしいでござる」
「なッ……」
「貴殿は我等の力を利用していただけに過ぎぬ。己の力で戦う術を持ち合わせていないだけでござる」
俺の妬む気持ちを読んだように、狐面は冷たく言い放った。
だが、よくよく考えれば此処は俺の心の中だ。
思考ぐらい読まれても何もおかしくない。
そして、これが戦闘中も続くなら、如何に小細工を弄しても──
「理解したか。この場において、貴殿は拙者に勝てぬ」
「ッ……なんで……なんで、レイアさんを狙う!」
「我々は『鬼の姫』に対する貴殿の強い感情から産まれた。『鬼の姫』を傷付ける者への怒り、『鬼の姫』が居る生活の充実感──」
狐面はそう言いながら、人差し指を鎖で縛られた鬼面、天狗面と順に指し──
最後に自分を指差した。
「そして拙者は、『鬼の姫』に奪われた自由への嘆きでござる。心当りがござろう。これは元々貴殿の物だ」
「ッ!」
「『鬼の姫』を殺して自由を手にする。これは意志ではない……本能だ」
心当りは、ある。
ふとした瞬間に、思った時はあった。
どうして自分がこんな目にって……
それこそ、なってすぐの頃は強く思ってた。
奴の言う事が真実なら、そんな俺の弱さがコイツを──
「違うッ!!」
強い否定の声が俺の思考を遮った。
視線を向ければ、悲しげな顔をした天狗面が息を乱していた。
「そんなの……思うでしょ!? いつも日常をいきなり奪われたら、誰だって──」
「封印の効果を打ち消しつつ、彼に力を貸していたのか。道理でよく動く……貴殿は我等の中で、尤もこの鎖の扱いに長けている。出来ぬこともないのだろうが──」
ジャララララッ!!
狐面が手をかざす。
それと同時に天狗面に巻き付いていた鎖が音を立てて、一切の身動きを赦さないほど強く縛り上げた。
「半端は身を滅ぼすだけでござる」
「くッ……」
鎖が天狗面を縛っていく度に、再生の出力が低下し、感じる痛みや圧迫感がより鮮明になる。
そんな苦しみすら薄れてゆく。
死に近付いてゆく。
まだ何も果たしていないのに───
「『影の刃』と戦ったあの日もそうだ。我々が居なければ、貴殿は何も果たせず死ぬだけだ」
『影の刃』……あぁ、ジャックのことか。
じゃあ、やっぱり……あの時の九尾の力は、コイツが──
「そっか……ありがとな」
「…………は?」
「ジャックとの戦いで助けてくれたって……お前が言ったんだろ?」
狐面が言った事が事実なら、感謝しなきゃいけない。
俺一人じゃレイアさんを守れなかった。
約束を果たせなかった。
グググッ……
地面に手をつき、身体を押し潰す尾を背中で押し上げていく。
少しずつ、一歩ずつ──
(拙者の尾が押し返されている? 何処にこんな力が……)
「怖かったんだよ。この力の源が、理解出来ない代物だったらって……レイアさんの望みを叶える為には、死ぬしかないって」
だが、俺の奥底に潜んでいたのは、好きな人を傷付けられた事への憤りや、好きな人と生きる日常への充実感。
そして、好きな人に奪われた自由への嘆き。
全部、彼女からの贈り物だ。
「でも理解出来るなら……生きて、レイアさんを守るってのもアリだ」
「……なんだお前は。何故、あんな女の為に……そこまで賭けられる」
「約束したからだ。分かってるだろ?」
レイアさんを守る。
ジャックと対峙した時、覚悟はとっくにし終えた。
「ジャックも、マリアも……ヴラドも含めて全部だ。レイアさんの敵は全て倒す。その一歩がお前だ」
「言った筈でござる。貴殿では──」
「勝つんだよッ! 何してでもッ!!」
発動した時の状況は二度とも同じ。
レイアさんを傷付けられた事で生じた止め処無い怒りや哀しみを、律する事無く曝け出す。
クソったれな悪夢に、先程の宣戦布告。
沸点など通り過ぎている。
コイツは、レイアさんの命を狙うれっきとした敵。
制限すること無く、持てる全てで──
「お前は倒、すッ!?」ゾワッ……
今迄とは違う感触だった。
身体の内側で燻っていた怒りや哀しみが、皮膚を突き破って、黒いモヤのようになって噴き出した。
モヤは霧散することなく周囲に滞留し、身体に纏わりついてきた。
「んだッ……クソッ!」
精神世界だからか、意識を塗り潰すあの感覚が実体を持って襲ってきた。
それも以前より遥かに勢いを増して。
「なっ……マスター、ダメだッ!! 感情を律して──」
「ッ……ゴチャゴチャ五月蝿ええええ!!!」
「うぇ!?」
天狗面の言った通り、感情を律すれば怒りや悲しみに呑まれる事はないだろう。
目の前でレイアさんが傷付いても、任務の為に切り捨てられるような冷徹な心を持てば──
でも、無理だ。
またレイアさんが傷つくなんて事になれば、律する余裕も無く、俺は怒りに身を委ねるだろう。
むしろ彼女を守れるなら本望。
最悪、それ以外を傷付けても──
けど、それもダメだ。
皆が傷付けば、彼女を苦しめる。
全員守るという彼女の願いを遂行して、初めて彼女を守れる。
そんな無理難題、今の弱い俺じゃ到底無理だ。
「やってやるよ……!」
この黒い激情を制する。
呑まれる前に呑んでやる。
二回も経験して、抵抗する術は掴んできた。
それをさらに強めて、拒むのではなく包み込むイメージを────ゾクッ!!!
「ぐあッ!?」
制そうとする程、黒い激情はより力を増し、俺の意識を塗り潰しに掛かる。
気を抜けば、一瞬で持っていかれる。
太腿に爪を突き立て、飛びそうになる意識をどうにか留め続けるが、それも時間の問題だ。
「負の濁流……魂だけの今、これまでの侵食とは桁違いでござろう。そのまま呑まれて、消えるがいい」
狐面は呆れた様子で尾を退け、俺に背を向けた。
重荷が消え、せっかく逃げるチャンスが生まれたというのに、身体の自由が利かない。
地面に伏せたまま立ち上がる事が出来ない。
徐々に痛みが、意識が希薄になっていく。
このまま行けば、俺が消える。
でも逃げる訳にはいかない。
いつか使える日を悠長に待ってる暇は無い。
ジャックとマリアの脅威は去ってない。
彼女との約束を果たす為に、全て救う為には、今すぐ力が──
「ハァ……ハァ……あぁ? 負の、濁流……?」
哀しみと『怒り』。
レイアさんを傷付ける者への『怒り』。
この激情の根源は──
「おい……おい鬼野郎ッ!!」
「ッ!」
「騙されちゃって……情けねぇなァ!! それで、抵抗もせず終わっていいのかよ!? 聞いてたろ!? アイツ、レイアさん殺すってよッ!!」
視界すら覆っていく深いモヤの奥。
鎖に縛られた鬼面を睨み、希薄になっていく意識の中で、どうにか言葉を捻出し、出せる最大の声量で煽る。
「ムカつくよな!? だったら俺に賭けろ!」
「くッ……」
「レイアさんを守る為に、俺のモンになれッ!!!」
隷属と封印。
いずれも鬼面にとっては許容出来ない屈辱だろう。
「殺、してやる……」
だが狐面と同様に、鬼面の行動原理が本能に準じるもので、その中心に『鬼の姫』がいるなら──
「負けたら殺すぞッ!!! 汐原輝ッ!!!」
その殺意は必然的に、愛する者を害する敵へと優先される。
黒い激情による侵食が、急激に弱まる。
「ッ……血迷ったか?」
狐面は背を向けたまま、九本の尾で俺に攻撃を仕掛けた。
四方八方を防ぐ奴の一撃に逃げ場は無い。
だから逃げない。
目を閉じ、狐面の攻撃を受けるその瞬間まで、激情の制御に全神経を集中させる。
俺の怒りと鬼面の怒りを、同調させる。
怒りを纏う────……ズパンッ!!
「なッ!?」(拙者の尾が全て、一撃で払われた……まさか──)
振り抜いた俺の拳は、狐面の放った圧倒的質量を全て打ち砕いた。
不思議な感覚だ。
知らない技の筈なのに、常識として脳内に蓄積されていた。
「《鬼殻鎧》」
血の鎧を両腕と両脚に纏わせ、徒手空拳の破壊力を増幅させる。
異次元に感じられた血液操作が、自分の物へと変わっていく。
力が馴染んでいくのが分かる。
「そんで? 俺の強さは、お前らに依存するんだっけか? じゃあ、殺せないな……」
狐面を正面に据える。
自然に振る舞えているといいが、今の俺は絶好調というわけでもない。
勢いが弱まったとはいえ、黒い激情のモヤは常に俺を蝕んでいる。
狐面とは依然として敵対しているからだ。
それに──
「あぁ……やぁ。味方が、増えて……嬉しいよ」
「味方、じゃと? 違う。狐がレイアを……ハァ……殺そうと、するからじゃ!!」
視界の端に映る天狗面と鬼面の険しい表情が、現状が如何にギリギリで成り立っているかを物語っている。
以上の二点から、チンタラしてられない。
思考を読まれる以上、どうせ小細工も通じない。
だから、この技を選んだ。
やるなら力尽くで──
「一から躾けてやるよ、子狐野郎」




