25.神霊ラタトスク
「やっぱり誰もいないよね」
改めて俺の部屋を見て、サクヤ嬢はそう呟いた。
どうすべきかと逡巡した後、ベッドの傍に立ったままでいるラスクさんに視線を向ける。
「全て正直に話して下さい。サクヤにも必要な話ですから」
「えぇっ?! 何?! 女の人の声? 誰?!」
腰を抜かしそうな勢いで驚くサクヤ嬢。まぁ、仕方ないよね。誰も居ない筈の空間から声だけ聞こえてくるんだもん。ちょっとしたホラーだよね。
驚くサクヤ嬢を見ながら、ラスクさんは楽しそうに笑っていた。うん、お茶目な笑顔だけど、それも様になる。
でも、いつまでもこのままだとサクヤ嬢が可愛そうだから、種明かしをすることにした。
「ここにはね、神霊のラスクさんが居るんだよ」
サクヤ嬢は目を丸くして固まってしまった。
◇◇◇
人間、驚きすぎるとフリーズすることがあるけど、さっきのサクヤ嬢がまさにその状態だった。
目を丸くしたまま固まっちゃったので、とりあえず手を引いて部屋の中に入ってもらって、扉を閉めたんだ。
少しして、漸く事態が飲み込めたのか、サクヤ嬢のフリーズが解けた。
「神霊って、あの神霊ですか?」
「あの、が、何をさしているのかは分からないけど、多分合ってるよ。まぁ、ラスクさん以外の神霊が喋ってるところは見たこと無いから、ラスクさんは特別力を持ってる神霊なんだろうけど」
「えぇ、その通りです」
「わわっ、また声が」
誰もいない筈の空間から声だけが聞こえてくることが慣れないのか、ラスクさんが話す度に吃驚するサクヤ嬢がとても可愛い。
「アキト兄さんは、神霊が見えるの?!」
「まぁね」
「凄い凄い! 神霊が見えるなんて、高位の神官様だけかと思ってた」
神霊が見える人は一応居るんだね。
俺の場合は、チート的な称号の賜物だろうけども。
「えぇと、それは一旦置いといて……。ラスクさん、サクヤも必要な話ってことだけど、サクヤも含めてさっきの話をするので良いのかな?」
「えぇ、構いません」
ラスクさんがそう言うので、俺は今までの経緯をサクヤ嬢に話すことにした。
もうこの際、理解されようがされまいが、俺が神族神霊の友なんて特性を持っていることとか、グラースの創世神や知識神と関わりがあることとか、もう全部話しちゃった。
サクヤ嬢のことは信じてるし、信頼されているとも思っているから、変に隠すことはやめにした。
案の定、話の半分は「???」みたいな感じだったけど、とりあえず理解はしてもらえたようだ。納得できたかは分からないけどね。
必死に納得しようとしてるサクヤ嬢が滅茶苦茶可愛かった。俺じゃなきゃ落ちてるね。
『アキトももう落ちてるんじゃないの?』
可愛いとは思う。でも、まだ大丈夫。
『なんで落ちないように我慢するのかは分からないけど、まぁいいや』
うん、そういうことにしておいてください、カネリン。
そんな訳で、サクヤ嬢も入れて、何故イズミおばあちゃんとサクヤ嬢が特別枠なのかを聞くことに。
勿論その前に、ラスクさんと俺が話していた事も伝えたよ。そうしないと何で俺がこんな話をラスクさんとしてるかわからないからね。
「まぁ、イズミおばあちゃんについては何となく分かるんですよ。ラスクさんと会話したり視線を交わしたりしてた所を見てるので、きっと契約してるとかそんな話なんですよね?」
「えぇ、その通りです。イズミがまだ7歳くらいの頃からの付き合いですね。
グラースでは神霊と人とが絆を深めることでスキルを使うことができるようになります。最初は気まぐれで、子供ながらイノシシを狩ろうとしていたイズミに手を貸したんですけど、イズミは私が思っていた以上に神霊との親和性があったみたいで、繋がりを持ったとたん、私が見えるようになったんですよ」
「そうなんですね。やっぱり、普通は人に神霊は見えないものなんですか? スキルを得るような間柄になったとしても」
「はい。存在を何となく感じることができる人は居ますけど、姿を視認できて、会話できるような人は殆どいません。ですから、神霊はただ人に寄り添って、その人生を応援していくだけなんですけど、イズミは違った」
ラスクさんは目を閉じた。
きっと、イズミおばあちゃんとの思い出を噛みしめてるんだろうな。
「それからは、本当に楽しい日々でした。人知れず応援するくらいしかできない筈の私が、実際にエールを贈ることができる。何でもない日常の話を交わすことができる。恋の相談だって……って、この辺りはイズミに怒られちゃいそうだからやめておきましょうか。
とにかく、イズミは私にとって無二のパートナーなんです。だから、助ける方法があるなら助けて欲しい。私の力では、この問題は解決できそうにないので」
「そうでしたか」
誰よりも近くにいる、人と神霊。だけど、神霊が人を認知することはできても、その逆は無い。そんな中で、双方向の絆を育むことができたイズミおばあちゃんとラスクさんが、どれほどの絆で結ばれているのか。
それを思うと、何が何でも協力したいって気持ちになるよね。
どこまでできるかは分からないけど。彼女の真摯な思いに応える術を俺が持っているのなら、応えたいと思う。
「分かりました。では、サクヤについては?」
俺がそう聞くと、サクヤ嬢も姿勢を正した。
そんな様子を見たラスクさんが、サクヤ嬢を見て笑みを深める。
「そうね、それも話さないといけないわね。……でもその前に、サクヤと少し話をしたいの。良いかしら?」
「俺は全然かまわないけど、サクヤは?」
「私も、ラスクさんと話をしたいです」
「じゃぁ、俺は一旦席を外すよ」
そういって立ち上がろうとした俺だったけど、ラスクさんが首を横に振って制した。
「そんな立ち入った話をするつもりは無いし、どうして私がサクヤを特別に思っているかも分かる話だから聞いていて欲しい。勿論、サクヤが大丈夫だったら、だけどね」
お、おう。でもどんな話かも分からないのに、サクヤそんな事判断できるんだろうか?
──なんて思ったけど、思いっきり杞憂であることが直ぐに判明した。
「勿論良いですよ。アキトさんは私の兄も同然ですから」
なんて、全く躊躇うことなく笑顔で言うもんだからさ。俺の方が吃驚しちゃったよ。
だから、俺はまたベッドに腰かけて、二人の話を聞くことにさせてもらった。
一方で、ラスクさんはサクヤ嬢の言葉に、更に笑みを深めていた。
そして、一呼吸置いて話し始める。
「サクヤのご両親は、イズミと知り合いだったの。 サクヤはこのこと、イズミから聞いてるわよね」
「はい。交流があったことは聞いています。両親が死んでしまった時に、その縁でおばあちゃんに引き取られたって」
「ふふ、そうね。イズミがそう言っていたわね」
そんな過去があったんだ。
血は繋がってないのかも知れないけど、縁は繋がっているんだね。
「サクヤのご両親は、サクヤのことを本当に愛していたわ。だからイズミに、くれぐれもよろしくと言っていたの。それだけじゃなくて、私自身もサクヤのご両親のことを知っているのよ。彼らも精霊を感じることができる力を持っていたから、お話したことだってあるわ」
「私の両親とですか?!」
「えぇ」
「そう、なんだ。私にはそんな力無いけど……」
少しだけ落ち込む様子のサクヤ嬢。そんな様子を見たラスクさんは、ゆっくりとサクヤの方へ近づいていく。
神霊を視認できないサクヤはラスクさんの行動に気づくことは無い。今は俯きがちで椅子に腰かけているだけ。
「サクヤ。貴女が神霊を見ることができないのは、ご両親がそう望んだからなの。普通の人として幸せを掴んで欲しいって。
確かに神霊を見ることができるって言うのは特別な事だけど、神霊だって人と同じように感情を持っていて、人と同じように生きているものなの。だから、綺麗な事も汚いことも、全てが見えると言うことになるわ」
そっか。神霊は人と種族は違うけど、確かに生きている。それはラスクさんを見ていても分かる。
いつも穏やかな笑みを浮かべてるラスクさんだけど、話していると苦手なことがあったり、嫌いなものがあったりもするみたいだった。……そういうところは人と変わらないんだね。
ラスクさんは、サクヤ嬢の前にしゃがんで、覗き込むような恰好でサクヤ嬢を見上げた。
「特にサクヤ、貴女は少し特別な星の下にあるみたいだから、見えることで余計な苦労をすることもあると思う。……いえ、必ず苦労することになると思うわ。──それでも、神霊を見てみたい?」
何だろう、特別な星の下って。ラスクさんが真剣な表情で聞いてるから本当に何かあるっぽい気がするんだけど……。
サクヤ嬢がどんな反応をするのか気になって見てみると、流石に少し考えてるみたいだった。
「……私、見てみたいです」
暫くした後、サクヤは真剣な表情でそう口にした。
「お父さんやお母さんの遺志に背くことになっちゃうのかも知れないけど……、同じ景色を見てみたい。……それに、兄さんは見えてるんですよね?」
「うん。まぁね」
「だったら、私も見てみたい」
「ふふ、そっか。そういう理由もありだと思うわ。貴女のお兄ちゃんは結構頼りになりそうだし。ね?」
そんなこと言われましても。
でも、まぁ──。
「そうだね。力になるよ」
『ひゅー』
うるさいぞカネリン。ちょっと黙ってて下さい。真面目な話をしてるでしょうが!
「ありがとう、兄さん」
「う、うん」
その満面の笑みは反則じゃないか。少しだけ首を傾げて笑いかけるなんて技をどこで覚えたんだ!
「ふふ。決まりね。じゃぁサクヤ、私と絆を結びましょう。それで貴女は神霊との絆が生まれて、神霊が見えるようになるはずよ」
「はい」
ねぇカネリン。神霊と契約? 絆? を結ぶとそんなことになるの?
『普通はならないよ。ラスクさんが特別なだけ。ミルル村にいる他の神霊は光の玉みたいじゃない? ラスクさんみたいにヒトガタを取れて、固有の名前まで持ってる神霊はそうそういないもの。グラース全体を見てもね。神様一歩手前って感じ』
そっか。やっぱりラスクさんは特別に力を持った神霊なんだね。
俺がカネリンとそんなやり取りをしていると、ラスクさんがサクヤ嬢の手に自分の手を重ねていた。
「あれ、なんだか手が温かい」
「ふふ、今サクヤの手に触れているから」
「これが、ラスクさん……」
「えぇ。でも、ラスクというのはイズミがつけてくれた愛称なの。私の名前は、ラタトスク。 さぁ、サクヤ、私の名前を呼んで?」
「……ラタトスク、さん」
サクヤがその名を口にした瞬間、光が溢れた。




