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23.【閑話】前線司令官の憂鬱

(3人称視点)


 リンバート領の領都──とは言うものの、都市ほどの大きさは無い──ナンテールと、ノルドオー領の玄関口にて交易都市であるマルシェ=ブレを繋ぐ街道の途中には、1本の分かれ道がある。いや、分かれ道というよりは脇道に近いか。

 というのは、その分かれ道、もとい脇道の先には、ミルル村という小さな集落しか無いからだ。


 人口200人にも満たない小さな村に目立った産業は無く、その先や周辺に別の集落もない。村の先には広大なニルギの森が広がっているだけ。ニルギの森は恵み豊かな森ではあるが、ニルギイノシシに代表される狂暴な獣が多いこと、リンバート領には他にも恵み豊かな森があることから、開発も進んでいない未開の森だ。更に、その場所はリンバート領に属してはいるものの、最寄りの街であるナンテールよりノルドオー領・マルシェ=ブレの方が近いということもあり、立地条件もよろしくない。


 そんな理由から、その分かれ道を利用する者は少ないのだが、見張りから分かれ道を少し進んだところにある宿泊用の小さな小屋に、ミルル村の使者が入ったと報告があった。


「……陳情書を携えた使者が来てしまったか」


 そう呟く男は顎髭を弄りながら顔を顰めた。


 巨躯と言っても差し支えの無いその男は鎧を身に纏っている。鋼鉄でできたプレートアーマーを付けているため、熊とも張り合えるのではないかというほどの大きさとなっている男が、一般的な大きさの簡素な椅子に腰かけている様は実にアンバランスだ。しかし、椅子の方はしっかりとした作りで、男の体重と鎧の重量を受け止めても軋む様子は全くない。


 男の目の前にあるテーブルには、鎧と同じ鋼鉄製のヘルムが置かれており、手に取れる位置に鞘に納められた大剣が立てかけてある。

 近くにいる他の騎士よりも上等な鎧、武器を持ち、見張りの報告を受けていることから、この男が一般騎士とは違う階級であることが分かる。


 それもその筈。この男はディミトリ・バイヤール。騎士爵であり、リンバート子爵私兵団──リンバート騎士団の第一隊隊長だ。

 恵まれた体躯と、類稀な膂力でもって繰り出される大剣は、オーク程度だと縦に真っ二つに出来るほど強力だ。



 ここはリンバート領・ナンテールと、ノルドオー領・マルシェ=ブレを繋ぐ街道の、ミルル村への分岐近くに設置された、リンバート騎士団の天幕だ。

 子爵子飼いの騎士が詰めているのは、ここが最前線の指揮本部だからだ。


 ただし、敵は武装勢力ではなく黒呪病だが。


 黒呪病とは、それが流行る段階で付いた通り名だ。正確なところを言うと、呪いなのか病気なのかもはっきりしていない。

 分かっていることは、初めは軽い風邪のような症状が暫く続き、やがて体に赤黒い斑点が出てくる。この症状が出た者の凡そ半数が死に至るという凶悪な何かだということだけだ。


 地球と違い、魔法由来の呪いによって死に至ることもあるグラースでは、こうした感染症のような症状を人為的に引き起こすことも理論上は可能であるため、呪いか病気かの区別もついていないというわけだ。勿論、そんな状況のため、発症を防ぐ方法も分かっていない。更に、有効な治療方法も判明していない。


 どこから来るかも分からず、身分の貴賤も関係なく猛威を振るう死の嵐。それを防ぐ最前線の司令部がここだった。



 ディミトリはため息を吐き、重い腰を上げる。


「少し前にミルル村に行った時、行商を囲う村人の数が少なかったが……、やはりあの村は黒呪病の餌食になってしまったか」


 この男、よく見れば、最近ミルル村へ行った行商団の護衛をしていた男である。あの時は、リンバート騎士団の鎧は着込まず、冒険者のような恰好をしていたが、他に類を見ない巨躯と厳つい顔は、紛れも無く、マリというミルル村の少女とひと悶着起こした時に居た護衛と同一だ。


 ディミトリは、ミルル村を見張らせていた者たちからの連絡を受けて、今一度ため息を吐いた。


「例の連中の準備はできているか?」

「はい。まだ準備期間が短いため、魔法対策は講じられていませんが、討伐対象を無条件で襲撃するように準備できております。ただし、攻撃対象を刷り込むのに1時間ほど時間を頂きたく」

「魔法対策が未完了なのは仕方ない。──で、使者の……攻撃対象の情報は掴めているのか?」

「はい。男二人、女一人です。人相も把握しておりますので刷り込みに問題はありません」

「分かった。……今から刷り込み作業を始めると深夜になってしまうな。夜目が利く者たちでも無いから、襲撃は日の出直前頃としろ」

「承知いたしました」


 伝令役の男はそういうと、一礼して天幕を出ていった。



 天幕に一人残ったディミトリは、またもため息を吐き、ゆっくりと腰を下ろした。

 それと同時に、文官のような恰好の男が天幕の中へ入ってくる。手にはトレーを持っており、湯気の立つ紅茶の入ったカップが二つ乗っていた。


「少し休憩されてはいかがですか?」


 そう言って、テーブルにカップを置く男。優男風で、背中の中ほどまである茶色の髪を後ろで一つにまとめている。

 芳醇なハーブの香りが、武骨な天幕内に仄かに広がった。



「なんともやり切れん命令だ。領民を洗脳して領民を殺すなど……」


 前線の司令官を任されたディミトリに下された命令は『ナンテールへ人を入れないこと』だ。具体的には、街道沿いにあるハヤ川を渡河してくる全ての者を処断すること。

 セオリツ王国の北と西で猛威を振るう黒呪病を、ナンテールへ侵入させないことが、ディミトリに与えられたミッションである。


 正体不明の黒呪病ではあるが、発症が確認されているのは人だけ。そのため、感染者に接触しなければ発症しないという考えが広まっているが故の、領主命令だ。勿論、感染経路が不明である以上、感染者経由で感染が拡大するという確証も無ければ、感染経路がそれだけである確証も無いのだが。


「ナンテールのスラム街の住人を駒にする。報酬は作戦後の住居の提供と作戦中の衣食住の保証……でしたよね」

「ああ。しかし、作戦の最終段階で洗脳者を抹殺するよう言われているから、作戦後の報酬など発生しやしないがな。それに、作戦中の衣食住の提供は当たり前の話だ。本来報酬でも何でもない」


 ディミトリの眉間に深い皺が二本刻まれる。


「感染している可能性がある外部の者に触れた者は、それが騎士団員(身内)であっても排除して帰還せよ、という命令ですね」

「その通りだ」

「捨て駒には、スラムの人間を使う。黒呪病の侵入を防ぐこともでき、洗脳魔法の人体実験データも蓄積でき、スラムの住人も減らすことができる。しかもコストはほぼ発生しない。一石三鳥で経済的な作戦だと、我らがリンバート子爵が自画自賛しておりましたね」


 そして、人員が減った分のスラム街を潰し、一般平民が使う土地を確保する。

 セオリツ王国に限らず、グラースの殆どの街は城壁や柵で居住部が囲われている城塞都市型になっている。これは野良の魔物や狂暴な獣から街を守るためにそうなっているのだが、弊害として居住部の拡張性に欠けるという問題がある。リンドバーク子爵は、なし崩し的にスラム街となっている一角の住民を強制動員し、使い捨て、空いた土地の使用権を別の人間に売りつけるつもりだった。


「ああ。その上、黒呪病の兆しが見られたミルル村を見捨てる判断まで下したよ。管理の面倒な場所が減るならそれに越したことは無いそうだ。……狂っているとしか思えんよ」

「……そんなストレートな批判を口にするなんて珍しいじゃないですか」

「今回ばかりは、かなり気が滅入っているからな」

「ミルル村を見捨てるということは、ミルル村から出てきた者は全員抹殺するという、正気を疑う命令も有効となったのですか?」

「その通りだ。陳情が届くと厄介だから届く前に潰せ、だそうだ。領民を守るための騎士団が、領民を使って領民を殺し、黒呪病に苦しむ領民を見捨てるなど……」


 ディミトリの心中を察してか、文官風の男も苦い笑みを浮かべていた。


 文官風の男の名はローベル。平民の出ではあるが、頭が切れ、魔法も扱える有能な男で、ディミトリの副官をしている。因みに毒舌は彼のチャームポイントだ。


「そうだ。ノルドオーからの使者の件はどうなった? 引き返してくれたとは聞いたが、あの辺境伯の使いだろう? ただで済むとは思えんが」


 ノルドオー領。セオリツ王国の北から北西に渡る広大な土地を治めるのは、ノルドオー辺境伯だ。

 アイゼンバルト帝国との国境に位置するノルドオー領は、常に帝国との争いが絶えない土地である。また、北部は魔物犇めくヨトゥンハイメン大山脈が広がっていることもあり、領内は常に争いが絶えない。それ故に、主に軍事面で特別な権限を有する伯爵位として、辺境伯の爵位が与えられている。


 そんな、一癖も二癖もある領地を治めている者がノルドオー辺境伯だ。

 そして、一癖も二癖もある領地を治めている者がリンバート子爵のような者かというと、勿論違う。領地同様、一癖も二癖もある領主であり、セオリツ王国の貴族からも変狂伯(・・・)などと揶揄される人物でもあった。

 態度が気に入らないという理由で他領の使者の首を刎ねたり、非常事態だからと通行税を一方的に引き上げ、苦情を申し入れに行った商人を滅多打ちにして帰したり、罪人ではない領民を鉱山送りにしたり。そんな話が絶えないサイコパス領主という評価が、セオリツ王国貴族の中で多数を占める。


 そのノルドオーから、街道封鎖に関しての苦情申し立ての使者が、この前線基地に来ており、応対したのがローベルだった。


「他領の者であれば、使者であろうと領主であろうと渡河は許さない。相手が格上であっても、こちらは王命による対策を講じているだけだから従わせろというのが、他に屈しない気高き馬耳東風な意志をお持ちの、我らがリンバート子爵様のご意向ですからね。それを懇切丁寧に説明したらお帰り頂けましたよ」


 言葉は丁寧だけれど、肩を竦めて半笑いする様子からは、子爵への敬意は微塵も感じられない。


「……何も言わずに帰ったのか?」

「『よろしい』とだけ言い残して帰られましたね」

「……逆に恐ろしいじゃないか」

「あとは、封鎖位置を確認されて、ミルル村の住人はどうするのか? というところも気にされていましたね」

「何と答えたのだ?」

「その通りだと答えました。ミルル村に関しての口止め指示は、子爵様から出ておりませんので、誠意をもって正直に回答しました」

「……分かった。もう良い」


 ディミトリは頭を抱えた。

 そんな司令官に、ローベルはテーブルに置いたカップを改めて促す。


「偉大なる子爵様からの命令を守り、虚言を弄さず真摯に対応した結果なので仕方ありません。……それよりもこちらを飲んで、少しリフレッシュ下さい。──本当は私のような者ではなく、奥様のようなお綺麗な方にいれて頂いた方が美味しいと思いますが」


 ローベルはそう言いながら、自分用に用意したカップに口を付けた。


「……一応茶葉は、奥様から差し入れて頂いたものを使っていますが……、不思議ですね、奥様と同じ味になりません」

「ははっ、それは仕方ない。茶の道は奥が深いらしいからな」


 ディミトリも、カップを手に取り紅茶を口にした。


「……確かに。全く違うな。苦みが先に来る」

「えぇ。何が足りないのか、または何が余計なのか……。隊長に対する愛情が足りないことは間違いありませんが」

「それは仕方ないな。 ……もしかすると、我々の舌の方がおかしくなっているのかも知れんぞ? ここにいること自体が尋常ではないからな」

「理不尽な命令ですからね」

「……そう、だな」


 二人の男のため息が、重なった。



  ◇◇◇



 「何だと!? どういうことだ」


 宿泊小屋の三名を抹殺するための刺客を放った後、天幕で結果を待っていたディミトリに届いた報告は、刺客全滅の報せだった。

 ミルル村の村長から、村人の中に高い戦闘力を有する者は居ないことを聞いた上に、元スラムの住人とは言え、洗脳して狂暴化させた刺客21人を相手に、たった3人が勝てるとも思っていなかったため、その内容は衝撃だった。


「多数の魔法による火柱が上がったため、相手側に魔法を使える手練れがいたようです」

「だとしても、狂暴化させた人間21人だぞ? そう簡単に全滅するとは……」

「全員の反応が無くなったため、それは間違いないと、洗脳を施した魔法師が言っております」

「そう、か……。して、相手側は襲撃の後どう出た?」

「まだ動きはありません。こちらへ来る様子も無いようです」

「ふむ……」


 ディミトリは暫し黙考する。


 顎鬚を弄りながら、眉間に深い皺を刻み、目を閉じることを数秒。


「良い、このまま捨て置く。ただし、相手が橋を渡ってくるようであれば、他の渡河者と同じように対応せよ。まずは引き返すように告げ、従わない場合は……殺せ」

「恐れながら。子爵様の命令は、ミルル村からの使者は殺すように……」

「ミルル村の村長から、村人の中に強者は居ないと聞いている。そんな村人三人に対して、21名の刺客をぶつけたのだ。三人は当然、死んだであろう」

「……よろしいので?」

「構わん。どのみち死体を確認しに行くわけにはいかんのだ。確認の為であっても、渡河してしまえばその者を……処断せねばならぬ」


 苦虫を噛み潰したように言うディミトリ。

 リンバート子爵からは、川の向こうに渡った者も殺すよう指示がでていた。例えそれが騎士団員であったとしてもだ。

 伝令兵も、その理不尽な命令を知っているため、それ以上何も言わなかった。


「上への報告は私の責任で、私が行う。お前は今の指示を伝えよ」

「は。……ありがとうございます」


 伝令兵は深々と頭を下げ、天幕を出ていった。



 ディミトリだけが残された天幕。深いため息を吐いて、目を閉じた。


「頼むから、川は渡ってくれるなよ……」


 呟きが、朝焼けの空気に溶けた。


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