18.トイレの紙様
結局、製紙魔法を作るのに3日かかった。一徹目までは結構順調だったんだけど、その後が大変だった。
『まさか、魔力欠乏症になるまで頑張るとはねぇ』
そう。またも無限ループの沼に嵌り、一気に魔力を持っていかれてしまった。開発スキルの動力源が俺の魔力だから致し方ないのは分かるんだけど、マジでデバッグでも魔力をガンガン吸う仕様だけは勘弁してほしい。折角テスト環境があるんだから、俺の魔力とかもシミュレートしてくれないものか。
『まぁ、それは仕方ないよ。使い勝手は悪いかも知れないけど、総合的に見れば十分チートだよ』
それな。十分すぎる恩恵を得ているから、勿論文句は無いんだけどね。
因みに魔力欠乏症とはその名の通り魔力が欠乏することで発症する体調不良のことだ。グラースの生物は、その殆どが生命維持活動に魔力も使っているため、体内魔力を消費仕切ってしまう、もしくはその殆どを消費してしまうと激しい頭痛と眩暈に襲われる。人によっては吐き気を覚えたり、気絶したりする者もいる。因みに俺の場合は頭痛と眩暈と気絶だった。
魔力を持つ殆どの生物は呼吸なんかで自然界の魔力を取り込んでいるから自然回復が見込めるため、魔力欠乏症は時間経過で快復する。要するに、放置すれば良いわけだ。他には、魔力回復効果のあるポーション等を摂取することでも快復する。
つまり、すぐさま命の危機に繋がるようなことは無いが、危険な状態ではあるわけだ。
『アキトの開発スキルの場合、実行したモジュールが永遠に魔力を消費し続けるようなロジックになってたら、魔力欠乏症一直線だよね』
そうなんだよ。
しかも、開発スキルを使えば使うほど魔力が消費されていくから、魔力残量が少ないときにやらかすと、問題があるモジュールを起動した瞬間に気絶する。当たり前と言えば当たり前だけど、新しい発見だ。
『で、丁度まる一日くらい頑張った時に、魔力欠乏症になって気絶しちゃったんだよね』
うむ。その影響で開発が5時間くらい中断したんだ。
しかも、気絶から快復した直後は、魔力は微量しか回復していない。魔力欠乏症一歩手前くらいの残量なのだ。だから、快復直後に開発スキルでやらかすと、直ぐに二回目の気絶が待っている。
『うん。私の制止を聞くことなく、起き抜けの朦朧とした意識で問題のモジュールを再実行して、またすぐに気絶しちゃったんだよね』
その通り。誠に不甲斐ない。それでトータル10時間程度開発が中断してしまった。これはちょっと対策を打たなければならないな。時間がもったいない。
ともかく、そんなこんなで、気絶すること3回。
ん? 数が合わない。1回多い? そりゃそうだ。同じようなことを別のモジュールでやらかして気絶したからな! でもその時は二回目の罠には掛からなかったぞ。俺は成長するんだ。
ようやく製紙魔法が完成した!
頑張った!
目の前には柔らかいティッシュペーパーのような紙が沢山。色合いはちょっと灰色がかっているけど、柔らかさは十分だ。その影響で脆すぎるなんてこともない。ちゃんと使える紙が500枚くらいはある!
「これで俺の尻が救われる」
感動に打ち震えること暫し。
徐々に平常運転に戻ってくると、一気に体の不調が襲ってくる。これは単純に、長時間作業を続けたことに対する弊害だ。本来は眠気と空腹のダブルパンチなんだけど、魔力欠乏症による強制睡眠──という名の気絶──の影響か、眠気はさほどではなかったので、何かつまめるものでも無いかと、キッチンへ向かうべく部屋を出た。
「あ、サクヤさん」
俺の部屋はリビングスペースのすぐ近くにあるから、部屋を出るとリビングが見える。そして、リビングの向こう側がキッチンスペースとなっているので、キッチンに立つサクヤ嬢の後ろ姿が目に入った。
「アキトさん! 心配したんだよ、ずっと部屋に籠ってるから」
サクヤ嬢のエプロン姿。眼福である。
長いプラチナブロンドを後ろで一つに束ねて料理の邪魔にならないようにしているだけでも、普段とは少し違う新鮮さがある。エプロンは無地の簡素なものだけど、キッチンに立つエプロン姿の美少女というのは、どうしてこうも絵になるのか。
「ああ、ごめんごめん。ちょっと作業に熱中しちゃってて」
「何の作業だったの? ……その、えと……」
ん? どうしたんだ? 何か言いにくそうだけど。
『どうしてだろうねw』
なんだろう。カネリンは原因を知っているような気がするぞ。カネリンが草生やしてるときは碌なことが無いからな。
『世の中にはね、知らなくていいこともいっぱいあるんだよ』
なんだよそれ。不穏すぎるじゃないか。え、何なの、本当に。
……まぁ、良いか。カネリンは教える気が無さそうだし、サクヤ嬢も言いづらそうで何も言わないし。
とは言ったものの、サクヤ嬢の視線が合わないのは気になるんだよね。いつもはまっすぐこっちを見て話してくれるんだけど、今日は違う。何だか視線が下の方に行っているような気がするぞ。腰あたりが見られてる?
「スキルで魔法を開発してんだけど、どうかした?」
「う、ううん、何でもない! そっか、魔法を開発してたんだ……」
本当にどうしたんだろう。何だかほっとしたような表情だね、サクヤ嬢。
「それなら良いんだ。今回はどんな魔法を開発したの?」
「ふふふ。今回の魔法はこれだ!」
俺はそう言って、後ろ手に持っていた紙の束を彼女の前に差し出した。
大半は柔らかいティッシュペーパーみたいな紙だけど、固めの紙や白くツルツルとした肌触りの紙もある。仕上げの工程を色々調整していた中で出来た紙だ。
「えと……、これは……羊皮紙? それにしては軽くて柔らかいような……」
「惜しい。これ、木とか藁から作った紙なんだ」
「木や藁からも紙が作れるんだ、知らなかった」
「そうなんだよ。作れちゃうんだ。木の種類によって向き不向きはあるけど、家の裏にある木から簡単に作れる。原材料を集める手間はあるけど、集めさえすれば俺の魔力だけで簡単に作れるようになったから、これ、色んな所に使ってよ」
「色んなところって?」
「ちょっと水をこぼしちゃったりしたときに布巾代わりに使えるし、鼻をかむときにも使える。あと、これが大事なんだけど、柔らかくて肌触りが良いからトイレで用を足した後とかもオススメ」
寧ろその目的で作ったからね!
「と、トイレ……」
おっと、サクヤ嬢がちょっと恥ずかしそうだ。確かに、ちょっとストレート過ぎたかな。それにキッチンでする話でもないな。……反省だ。
しかし大事なことだからちゃんと伝えておかねば!
「ご、ごめん。キッチンでする話じゃなかったな」
「う、ううん、大丈夫! ……一枚貰っても良い?」
「どうぞどうぞ! 一枚と言わずに何枚でも」
サクヤ嬢が恐る恐る手に取る。軽くつまんで指で紙の感触を確認している。
「本当だ、柔らかい。凄いね、これ」
「でしょ? 水分をしっかり吸ってくれるからね。あと、材料費が安いからいっぱい作れる。じゃんじゃん使って大丈夫だよ」
こうして、無事にトイレットペーパー代わりの柔らかい紙が、イズミおばあちゃん家に採用されることとなった。
話をするとみんな最初は恥ずかしがるんだ。グラースのみんな、シモの話に耐性がないのかな? でも、凄く、それはもう本当に凄く喜ばれた。全員から。特にイズミおばあちゃんに絶賛された。
イズミおばあちゃん家の裏に自生してる木、実は楮の一種らしくて、和紙にも使われている木だっていうのはもう少し後に知ったんだけどね。道理で紙の質が良いわけだ。
ただ、お尻を拭くのにそんな上品な紙は不要なので、廃棄予定の藁とかニルギの森にいくらでも自生してる適当な広葉樹を使って作ることにした。
それからまた一週間ほどは、出来上がったプログラムを更に改良して、最終的に地球でお馴染みのロール状のトイレットペーパーと、一枚取れば次のも出てくるタイプのティッシュペーパーを作る魔法にカスタマイズした。
一連の製紙魔法は、俺の尻の救世主となったことから『トイレの紙様』って命名しようとしたけど、サクヤ嬢を筆頭に猛反対されて、結局トイレットペーパーを作る用にカスタマイズしたものを『トイレの紙様』、それ以外の製紙魔法を『紙作くん』とすることで落ち着いた。因みに、『紙作くん』はシズクちゃん発案だ。可愛い名前だよね。
そんなこんなで、イズミおばあちゃん家の住環境を改善したり、狩りの手伝いをしたりしてミルル村での生活を送っている俺。グラースの生活にも慣れ、次はどんな魔法を開発しようかなんて思いを馳せていたわけだけど、平穏な生活が続くわけじゃないと思い知らされるのは、そう遠くない未来だった。




