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10.姉弟?兄妹?


 「そちらへ行きました!」

「ほいさー」


 俺のいる方に来るのはイノシシだ。静かな森の中に、イノシシが下草を乱暴に踏みしめながら迫りくる音だけがやけに響く。

 軽口で応えるのは、自身の緊張を解すため。言葉とは裏腹に、俺は緊張していた。だってそうだろう? 今俺に生きたイノシシが向かってきてるんだよ。まともに突進受けたら普通に大けがだよ。当たりどころが悪かったら死んじゃうよ。緊張しないわけがないよね。


『来たわよ』


 カネリンが声と、ARナビで教えてくれる。イノシシはあそこから来るんですね。うん、このARナビ矢印めっちゃ助かる。

 本当に、矢印の先の茂みから出てきたし! 凄いデカいな間近で見ると。……あ、俺を見つけてこっちに来てるな。めっちゃ来てるな!


『まだだよー、もう少し待ってよー……。 ……今!』


 よし、落とし穴トラップ魔法起動! その名も『落とすんです』


 ポン、と空中に浮かぶ半透明の画面のアイコンをタップして、全速力で俺に迫ってくるイノシシのすぐ目の前に穴を作る。その直径は2メートル、深さは10メートル。そして底には硬い岩盤。

 次に踏みしめる予定だった地面がいきなり喪失したイノシシは、何もできずに落とし穴に落下。鈍い音がした。


 恐る恐る穴を覗いてみると、流石は野生のイノシシ、まだ息があるどころか、激しく暴れまわっている。だが、落下の衝撃は大きかったのか、牙の先は折れているし出血もしているようだ。あらら、ありゃ脚の骨が折れてそうだなぁ。


「凄い生命力だなぁ」

「ニルギの森の動物は下手な魔物よりも強いんです。それに、自分の命がかかっていますからね」


 その声の直後、暴れて這い出ようとしているイノシシの両目に深々と矢が刺さった。矢を放ったのは、イノシシを俺の方に追い込み、いつの間にか俺の横に立っているサクヤ嬢。

 手に持っている矢は狩猟用の弓。小さめではあるが、魔法を使って威力と連射力を向上させているんだとか。原理は良く分からないけど、一瞬でイノシシの両目を射貫くなんて芸当は魔法でも使わないとできないと思う。……弓術はそんなに詳しくないから想像だけど。


「なるほどね。自分の命がかかってるんだったら、文字通り死に物狂いで抵抗するか」


 イノシシが動かなくなったことを確かめてから、別のアイコンをクリックして落とし穴を埋める。こちら、落とし穴魔法『落とすんです』の対になる魔法『埋めるんです』。穴の底から、まるで水が溢れてくるように土が盛り上がって穴が塞がっていく。そうなると、当然穴の底にいたイノシシが、目の前の地面に横たわる事となった。プログラミング魔法、便利すぎである。


「……恐ろしい精度の魔法ですね」

「そう、なんです?」


 特に何もできない俺とは対照的に、早速イノシシを解体していくサクヤ嬢。手際が良すぎである。


「そうです。出来た穴も凄く綺麗な形で無駄がない。場所も……自由に設定できるのでしょう?」

「まぁ、ね」


 起動時に自分からの相対距離を引数で渡すだけだからね。その数値も、カネリンサポートがあるから狂いが無いし。


「しかも、それを埋める魔法だって完璧。そもそも穴に落ちたものを上に持ってこられるように埋められる魔法師は、そう居ないと思います」

『彼女の言う通りだよ。単に土で埋めるだけならできる魔法師は多いけど、中から押し出すように土を出すのはちょっと難しいみたいだね。それに普通に土魔法で上から埋める方が圧倒的に手軽だし』


 そんなもんなのか。穴に落としたイノシシを取り出すのが億劫だから、穴の底を押し上げていくように埋める後処理をプログラミングしただけなんだけどなぁ。


「さ、無駄話はこれくらいにして、村に帰りましょう」

「え、もう?」

「のんびり解体している暇はありません。持ち運びができるように分けただけですから。ほら、こちらはあなたの分です」


 おぅ、おっきな風呂敷みたいな布に包まれた荷物を渡されたでござる。包まれてはいるけど、色々はみ出てる。牙とか脚とか。そして血も、滲むどころか滴っている。


「男の人なんだから、余裕ですよね?」


 いけるのか? このサイズ。さっきのイノシシの三分の二くらいが俺の持ち分になってるけど、イノシシってそこそこ重いんじゃないの?


 ……いけるな。寧ろまだまだ持てそうだぞ。これが、ステータスの力、筋力30の実力ってわけか! 筋力30って言うと、凄いのかそうでも無いのかが分からなくなるけど。


「本当に持てるんですね」

「ぅをぃ! 何ですか、それ。無理だと思ってたのに渡したの?!」

「……本来はそっちは森に置いていく方ですから。私一人では、こんな大きなイノシシ一頭分を運ぶなんてできないでしょう?」


 てことは、今サクヤさんが持っている方が必要な部分──部位? で、俺の方は廃棄物の集まり?


「でも、持ち帰ることができれば助かるんです。普段は重量的な問題で持ち帰れないから泣く泣く森に還してるだけで、毛皮や牙なんかも用途は色々ありますから」

「……まぁ、今日はサポート兼荷物持ちとして来てるわけだから、否やはありませんけど」

「ふふふ、ありがとうございます。でも本当に助かりました」

「それなら良かったです。 さ、もたもたしてると別の獣に襲われるんですよね? それに、早く血抜きとかをしないと味も落ちる。だから、早く村に戻りましょう」

「ちゃんと覚えていてくれたようで嬉しいです。では、慌てない範囲で急いで帰りましょう」


 そう。初めにサクヤ嬢から聞いてたけど、狩った獲物を狙う肉食獣なんかが襲ってきたりもするから、ちゃんと仕留めてそれを持ち帰るのも大変なんだそうだ。倒すだけじゃないんだね。

 足早に進むサクヤ嬢を追いかけ、きっと腹を空かせて待っているであろうキッズとイズミおばあちゃんたちの元へと戻るのだ。



 ──と、どうしてサクヤ嬢とこんな普通に会話しながら狩りしてるのかが不思議だろう? 少し前まで険悪とは行かないまでも相当警戒されてたのに。


 それは、俺が異世界から来た異邦人だとぶっちゃけたからだ。

 説明したくても難しい部分があるから、全部が全部正直に話せたわけではないけど、誠意をもって話をした。

 サクヤ嬢だけではない。俺の滞在を許可してくれたその人にして、家主であるイズミおばあちゃんを呼んで、ちゃんと話したんだ。サクヤ嬢だけに話したと思った? そんなことはしないさ。話すならまずはイズミおばあちゃんだよ。

 正直、俺の正体を明かすことに、どんなリスクが付随するのかは分からない。イズミおばあちゃんたちにどんな迷惑をかけることになるのかも分からない。何も無いかも知れないし、とんでもないことに巻き込んでしまうのかも知れない。俺の知ってるラノベではこういう事を隠す話が多かったし、リスクを考えて何もしないという選択肢もあるんだろうとは思う。でも、それらはリスクであって現実的な障害じゃないんだ。起こるかどうか分からないことに怯えて、彼女たちの好意に一方的に甘え続けるのは人として違うと思ったんだよね。


 まぁ、その結果、嬉しい誤算があった。

 なんと、イズミおばあちゃんも鑑定が使えるんだ。それで、俺の年齢が6歳になってることを見てもらったんだ。

 やっぱりグラースでも、このサイズの6歳児は居ないらしくて、そりゃあもう驚かれたさ。でも、それがきっかけで、色々信じてもらえたんだ。


 そもそもイズミおばあちゃん、直感ってスキルを持ってるらしくて、凄く勘が鋭いらしい。俺を泊めてくれると言った時も、何となくその方が良いような気がしたかららしいんだ。

 イズミおばあちゃん本人にしか分からない感覚らしいけど、直感スキルが伝えてくる勘は特徴的で、不思議とそれに反対する意思は湧かないんだって。


 そんな訳だから、俺に今のところ目的が特にないこと──というより、何をしたら良いのかが分かっていないことも分かってもらえたんだ。それはサクヤ嬢も同じで、これまでの俺への接し方を謝ってくれた。謝る必要なんて無いと思うんだけどね。そう伝えたんだけど、それでも謝りたいって頭まで下げてさ。本当、凄く真面目で誠実なんだなぁって思ったよ。



「どうしたのですか? 急に黙りこんで」

「いや、特に意味は無いですよ。強いて言うなら、サクヤさんとこうして普通に話せるようになって良かったなって思ってただけです」

「それは……、ちゃんと謝りましたよね?」


 まだそれを言うんですか? みたいな感じの視線を向けてくるサクヤ嬢。


「ああ、違います違います。そうではなくて、俺もサクヤさん達に説明できていなかったのは嫌だったんですよ。 だけど、仮にきちんと説明したとしても、頭のおかしい人扱いされかねない状況だったでしょ?」

「ふふっ、そうですね」


 思わず吹き出すサクヤ嬢。

 今まで前を向いて俺の少し前を歩いていたけれど、振り返って笑顔を見せてくれた。

 うん、美少女の笑顔最強。凄いよね。これだけでコロッといっちゃう男子はいっぱいいると思う。


「でしょ? ボク、ココトハチガウセカイカラキマシタ! なんて、信じる方がおかしいと思うわけですよ」

「も、もう、笑わせないでください! でも、……それもそうですよね。私も、イズミおばあちゃんがいなかったら信じられてなかったかも知れないし」

「ですよね~。それが、色んな偶然が重なって信じてもらえた。それに、俺の身の上を打ち明けてから思ったんですが、本当のことを知ってくれている人が居るって言うのは拠り所にもなって、心強いなぁと。……あぁ、別に重く考えなくていいですからね? 真実を誰かと共有できてたら安心できるっていうだけのことですし」


 話しててサクヤ嬢の表情が曇ってきたから焦った。感受性豊かなのか、優しいのか、その両方なのか分からないけど、殆ど初対面の相手にそんな顔する必要ないのにな。


「アキトさんが変な事言うからでしょ」

「申し訳ない……。そういうつもりでは無かったんだけど……。とにかく、誤解を解くために話す真実が真実っぽく無いって自覚があったから」

「……ふふっ、言われてみればそうですね」

「でしょ? だから、普通に話せている今が、凄く幸せだなぁって」


 自然と笑みがこぼれた。

 サクヤ嬢も笑ってくれている。いや本当、昨日まではこんな状況を想像すら出来なかったからなぁ。嬉しい限りだよ。


「まぁ、そんなわけなので、昨日も言った通り、サクヤさんやイズミおばあさんには凄く感謝してるんですよ。だから、もう暫くはお世話になろうと思ってます」

「お世話だなんて他人行儀ですよ。イズミおばあちゃんが認めたんですから、アキトさんはもう立派な家族です」

「それは……」


 ……そっか。あの家には、血の繋がった人たちは居なかったんだよな。


「……いや、それもそうか。では、これからはイズミおばあちゃん()の四男として頑張りますっ」


 ほら、マサキ、リヒト、テンマの各少年が居て俺だからね。なんたって俺、6歳だから! テンマ少年より年下なんだぜ!


「向こうの世界では25歳だったんですよね? 私より大人びているのに6歳とかありえませんっ。弟とは思えませんよ……」

「えー、それは悲しいよ、お姉ちゃん」

「……ちょっとぞわっとしちゃいました」

「なんでだよ!」


 本当にっ。何でだよっ。ちょっと凹むわ。ぞわっとは言い過ぎでしょ、ぞわっとは。


「ご、ごめんなさい。……でもやっぱり、ほら、弟よりはお兄さんって感じがして……」


 まぁ、この姿の元になってるアバターは、大学の頃に撮った写真が元になってるから、20歳超えてるからね。それに、中身も25歳だし。因みに、サクヤ嬢は18歳らしいよ。


「わ、私はお兄さんが、いいなぁ……って」


 おうふ。

 この上目遣いの破壊力よ。あかんよ。これはあかん。年相応ではあるけれど、どちらかと言えば可愛らしいタイプの美少女サクヤ嬢がする上目遣い。攻撃力は計り知れない。


『堕ちた?』


 突っ込まなくてよろしい。流石にコロッとはいってないと思うけど、ぐっとは来ちゃうよね。これは仕方ない。そう、仕方ない!


『正直~』


 恥ずかしいんだから、これ以上弄らない! いい歳? の男の照れた顔なんてどこにも需要が無いんです(偏見)


「……じゃぁ、兄ってことにしようか。確かに見た目は年上だろうし」

「やたっ」


 ぐふっ。サクヤ嬢の仕草ひとつひとつが可愛らしい。胸の前で小さなガッツポーズとか、卑怯じゃないですか?


『だねー。全くあざとさが無いかと言われたら分からないけど、これがきっと彼女の素なんだと思う。取り繕ってるのは普段のきりっとした彼女の方なのかもね』


「じゃぁ、もっとこう……、家族っぽくというか、よそよそしく無い感じの話し方にしても、……良い?」


『可愛らしさが止まらないね~。これは私もぐっときちゃったよ』


 うむ。本当に。上目遣いの連続なのに、微妙に角度と表情を変えて違うところを抉ってくるのは、あざとさなのか、それとも天然なのか。いずれにせよ、俺はやられっぱなしで手も足もでませぬ!


「良いよ。俺も、早くみんなと家族になりたいから、是非お願いします。……いや、お願いしたい」

『みんなと? サクヤさんとの間違いじゃないの?』


 しっ。そういうことをいちいち口にしてはいけません。色々我慢しててもう限界なんですっ。


「……良かった。じゃぁ、改めてよろしくお願いします、アキト兄さん」



 満面のサクヤ嬢の笑みに、またもしっかりやられた俺。何も言葉にできない程度にはやられまくったから、妙な沈黙がこの場を支配してしまう……と思ったけれど、そんなことは無かった。



「随分と仲がよさそうだな」


 そんな、第三者の声によって。


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