7話
その日、王都は夜だというのに賑わっていた。
聖堂の奇跡と見事な魔物退治の一件は、数日経っても、人々の熱狂を鎮めることはなかった。
街のあちこちで『炎と癒やしの聖女』の名が囁かれ、
市場ではシンシアの姿を描いた絵札まで売られていた。
しかし、王城の奥深くそこには別の空気が流れていた。
黒衣の神官たちが、蝋燭の明かりだけを頼りに円卓を囲んでいた。
中央には一通の黒い封書。
それは、あの日、神殿から姿を消した男が持ち帰ったものだった。
「炎の聖女の存在を神はお認めにならぬ。
光と炎は共に在れぬ。
ゆえに、彼女を試練の火群に捧げ、真なる聖女を選定すべし」
それが、神託として広まった文書だった。
だが、実際には神の声ではなく、
王妃の座を狙う貴族派と教会上層が仕組んだ陰謀だった。
そのことを最初に察したのは、ウィリアム殿下だった。
夜更け、彼は側近を伴い、王城の塔に忍び込んだ。
闇の中で、彼の瞳は怒りと悲しみに燃えていた。
「……神の名を騙り、彼女を再び裁こうというのか。あの人はこの国を救ったというのに」
側近が言葉を失う中、殿下は拳を握りしめた。
「ならば、私が神に代わって彼女を守る」
翌朝、王宮に神の試練が正式に通達された。
シンシアは再び神殿に呼び出される。
白い衣をまとい、静かに歩む姿に人々は畏敬の念を抱いた。
「試練の火群に耐え、無傷であれば神が認めた証。焼かれたなら、偽りの聖女」
その宣告を聞いても、シンシアは俯かなかった。
ただ穏やかに、祈りの言葉を胸に刻んでいた。
ウィリアム殿下が駆け寄る。
「シンシア、やめるんだ! これは罠だ!」
「分かっています。……けれど、逃げたくはありません」
「なぜだ!」
その叫びに、シンシアは微笑んだ。
「殿下、私の力が誰かを癒やすための炎であると、自分の心がそう信じているからです。
神の前に立っても、私はその想いを曲げません。もし私が本当に炎の聖女なら神は必ず守ってくれます」
殿下は沈黙した。
彼女の瞳は、どんな聖典よりも澄んでいた。
やがて、試練の時が訪れる。
聖堂の中央に立つシンシアを囲み、祭壇の周りに火群が灯された。
それはまるで、炎が彼女を試すかのように燃え上がる。
誰もが息を呑む中、ウィリアム殿下が動いた。
「もう充分だ!」
彼は炎の中へ飛び込んだ。
護衛たちが叫び声を上げるが、殿下は止まらない。
彼はシンシアを抱き寄せ、そのまま身を盾にした。
「神が裁くなら、私も共に裁かれよう。
だが、彼女の命だけは奪わせぬ!」
その瞬間、炎が一斉に弾け、黄金の光が聖堂を包んだ。
灼熱のはずの火群が、まるで春の陽光のように柔らかく変わっていく。
人々は見た。
シンシアとウィリアム殿下の周囲に、無数の金色の花弁が舞うのを。
それは奇跡の証、神の祝福そのものだった。
大司祭が震える声で叫ぶ。
「神が……神が認められた……!」
こうして炎の聖女は、正式に神より祝福を受けた存在となった。
ウィリアム殿下は跪き、シンシアの手を取りながら言った。
「君の光がある限り、私は何度でも立ち上がれる。
どうか、私と共に歩んでほしい」
シンシアの瞳が潤む。
「……はい。けれど私は、ただの一人の女として、
あなたの隣にいたいのです」
その言葉に、殿下は静かに頷いた。
外では、春の花が咲き始めていた。
炎に焼かれるはずだった地面から、新しい芽が伸びている。
それは、破壊の炎が再生の光へと変わった証だった。




