4話
王都へ向かう馬車の窓から見える景色は、黄金色の穂が風に揺れ、まるで大地そのものが祝福しているようだった。
隣にはウィリアム殿下が静かに座っている。彼は王族らしい気品を保ちながらも、どこか優しげな眼差しでシンシアを見守っていた。
「……不安ですか?」
殿下が穏やかに問いかける。
シンシアは小さく息を吸い、うつむいた。
「ええ、少しだけ。でも……覚悟は決めました。今度こそ、この力を誰かのために使いたいのです」
「そう、君の《力》は魔物をも排除できる」
その《力》という一言に、シンシアは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
逃げてはいけない、そう思い静かに口を開いた。
「……私は、この国の人間ではありません。隣国から来ました。
けれど、祖国では……聖女と呼ばれる存在に選ばれたのは、私ではなく妹でした」
馬車の中に、一瞬の静寂が落ちた。
「妹……?」
「ええ。私たちは双子でした。幼いころから、聖女になると言われて育ちましたが、私が長女ということもあり、王妃になるため、その教育を十年間、続けました。
二十歳の誕生日にその《力》が発動すると言われ、その時、妹ランナには癒やしと恵みの《力》が発現しました。
でも私には炎によって人を傷つける、攻撃の《力》が宿ってしまいました」
そして、少しの沈黙の後
「私の国では王妃になる絶対条件が聖女の力です。だからそれが無い私はその資格も失いました」
その声は震えていた。
「双子なのだから本当は長女も次女もありませんよね。なのに大人たちが勝手に決めて……」
シンシアの指先が膝の上でぎゅっと結ばれる。
「人を癒やせぬ聖女など必要ないと……王子に言われました。
そして《悪役聖女》と呼ばれ、家族にも……屋敷から追い出されたんです」
殿下は何も言わず、ただ真っ直ぐに彼女を見ていた。
シンシアは微笑もうとしたが、その笑みは儚く震えた。
「でも、今はこの《力》を恨んではいません。
だって、この力があったからこそ、あのご夫婦を、そして殿下たちを守れたのですから」
ウィリアムはゆっくりと頷いた。
そして静かな声で言った。
「あなたは《悪役》などではありません。
炎の力で攻撃する力も、時に誰かを救うために必要なものです。
それを知っているあなたこそ、真に聖女と呼ぶにふさわしい」
その言葉に、シンシアの胸が熱くなった。
涙がこぼれそうになるのを、必死に堪える。
「……ありがとうございます、殿下」
馬車は王都の門をくぐり、朝陽に染まる白亜の城が遠くに見え始めた。
ーーーー
王都での日々は、静かに、けれど確実に変わり始めていた。
《炎の聖女》と呼ばれたシンシアは、ウィリアム殿下の導きによって王家の庇護を受けることとなり、城の一角に設けられた小さな礼拝堂で、祈りと学びの日々を送っていた。
彼女の力は《癒やし》ではなく《炎》
けれど、殿下はその力を恐れず、むしろ彼女と共に、その性質を理解しようと努めていた。
「炎は破壊だけでなく、寒さを追い払い、闇を照らすものでもある。
君の力は《傷つける》ためではなく、守るためにあるのだろう」
その言葉が、どれほど救いだっただろう。
シンシアは初めて、自分の存在を否定しない場所を見つけた気がした。
だが、穏やかな日々は長くは続かなかった。
ある朝、王城に一通の封書が届けられる。
それは、かつてシンシアが追放された祖国からのものであった。
封を切ったウィリアム殿下の表情が変わる。
そして、深く息を吸い込み、彼女のもとへ歩み寄った。
「……シンシア。君に見せねばならないものがある」
手渡された手紙には、王印が押されていた。
震える指で開くと、そこには見慣れた名があった。
『我が国の聖女ランナ殿の力が、突如として失われました。
癒やしの祈りは届かず、大地の恵みも枯れ始めております。
医師も神官も原因を掴めず、今や王国は危機に瀕しております。
もし、貴国にもう一人の聖女が存在するという噂が真実ならば
どうか、その御方の力をお貸しいただけないでしょうか。
国王レオンハルト』
シンシアは息を呑み、手紙を握り締めた。
もう一人の聖女、それが自分を指していることは明らかだった。
「……妹が、力を失った……?」
声が震えた。
あれほど羨み、あれほど憎み、そして心の底で愛していた妹。
あの聖女ランナが。
殿下は静かに言った。
「君に決めてほしい。
戻るのか、それとも……このままここに残るのか」
シンシアは長く瞳を閉じた。
過去の痛みが蘇る。あの冷たい視線、罵倒、涙。
それでも、今は逃げる理由がなかった。
「……私、行きます。
妹を……助けに」
その言葉を聞いたウィリアムの瞳に、一瞬の驚きと、それを隠すような静かな微笑みが浮かんだ。
「君は本当に強い人だ、シンシア。
ならば、私も共に行こう。王の名のもとに、正式な使節として」
シンシアの胸が熱くなった。
もう一人ではない。
かつて孤独だった《悪役聖女》、今はウィリアム殿下が隣にいてくれる。
馬車の車輪が、再び運命の地へ向けて回り始めた。
そして、誰も知らぬうちに、空の向こうでは、
本物の聖女と呼ばれた妹ランナの祈りが、確かに届かなくなっていた。
世界の均衡が、静かに崩れ始めていた。




