表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
《完結》悪役聖女  作者: ヴァンドール


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/8

2話

 隣国へと足を踏み入れると、そこには静かな湖が広がっていた。

 陽の光を受けてきらめく水面のそばには、草木が瑞々しく生い茂り、鳥のさえずりが穏やかに響いている。

 それは、これまで見たこともないほど穏やかで、心を癒やす風景だった。


『ああ……こんな静かなところなら、きっと誰にも何も言われずに暮らしていけるわね』


 そう呟いて、シンシアは微笑んだ。

 そのとき、ふと視線の先に、年老いた夫婦が一生懸命に畑仕事をしているのが見えた。

 額に汗を光らせながらも、互いに笑みを交わすその姿に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 思い切って、シンシアは声をかけた。


「すみません……私を、ここで働かせていただけないでしょうか?」


 老夫は少し驚いたように顔を上げたが、すぐに申し訳なさそうに首を振った。


「悪いがね、わしらは二人で食べていくのがやっとなんだよ。人を雇うなんてとても無理な話さ」


 それでもシンシアは諦めずに言った。


「いえ、お手伝いをさせていただいて……ご飯だけ頂ければ、それで充分なんです。それでも駄目でしょうか?」


 老婦人が目を丸くした。


「本当に、それだけでいいのかい?」


「はい。どうかお願いします」


 深く頭を下げるシンシアを見て、夫婦は顔を見合わせ、小さく頷き合った。


「だったら、うちは構わないよ」


「ありがとうございます!」


 シンシアがほっとした笑顔を浮かべたその時、

 突然、背後から喚くような声が響き渡った。

 振り返ると、そこには大きな熊のような魔物が迫っていた。


「危ない!」


 夫婦の悲鳴が上がる。

 反射的に、シンシアは両手を前に突き出し、祈るように目を閉じた。

 その瞬間、掌から眩い光が溢れ出し、大きな火群となって魔物へと飛んでいく。

 轟音が響き、魔物はその場に崩れ落ちた。


 恐る恐る近づくと、すでに動かなくなっていた。


 老夫婦は呆然としながらも、やがて感嘆の声を上げた。


「ま、まさか……あなたは聖女様なのですか?」


 シンシアは首を振り、かすかに笑った。


「いいえ。私は聖女のように人々を癒やすことも、大地に恵みをもたらすこともできません」


 すると老婦人が、涙ぐんだ目で言った。


「何を言っているの。魔物から私たちを守ってくださったじゃないですか。それだけで、あなたは立派な聖女様ですよ」


 その言葉に、シンシアの胸が熱くなった。

 これまで否定され続けてきた《力》を、初めて肯定してもらえた、その喜びに、頬を伝う涙を止められなかった。


「辛いことがあったのね……」


 老婦人の柔らかな声が、優しく包み込むように響いた。


 こうしてシンシアは、老夫婦と共に畑仕事を手伝いながら暮らすことになった。

 最初こそぎこちなかった会話も、日を追うごとに笑顔が増えていき、いつしか三人は家族のような関係になっていた。


 夫婦には、かつてシンシアと同じ年頃の娘がいたという。

 けれどその娘は、生まれて間もなく魔物に襲われ、命を落としたのだと静かに語ってくれた。


「……あの日、もう少し帰るのが早ければ……」

 老婦人が悔しそうに唇を震わせる。

 その手を、シンシアはそっと握りしめた。


ーーーー


 そんな穏やかな日々が三月ほど過ぎたある日、畑のそばに数人の貴族らしき男たちが姿を現した。

 彼らは狩りのためにこの地を訪れたらしく、馬の手綱を引きながら賑やかに話している。


「ウィリアム殿下、まずはこの辺りに荷をまとめておきましょう」


「そうだな。食料もこの木陰に置いておけ」


「この森は魔物も出ると聞きます。くれぐれもお気をつけください」


 その会話が風に乗って耳に届く。

 殿下という言葉に、シンシアは小さく眉をひそめた。


『殿下……? ということは、この国の王子様なのかしら?』


 彼女は手にした籠を握り直し、そっと視線を逸らした。

 せっかく穏やかに暮らしているのだもの。関わらないほうがいい。


 そう心に言い聞かせながら、シンシアは再び畑へと足を向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ