1話(プロローグ)
アルファポリスさんにも投稿させて頂いています。
この国の第一王子、デューク殿下が告げた言葉は、まるで冷たい刃のようにシンシアの胸を貫いた。
「シンシア、悪いが私は君の妹のランナと結婚する」
思わず言葉を失ったシンシアは、震える唇で問い返した。
「……え、それはどういうことですか? 私は王妃教育にこの十年間を費やしてきたというのに」
「仕方ないだろう。君が聖女としての役割を果たせない以上、代わりは妹のランナにやってもらうしかない」
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シンシアとランナは二卵性の双子の姉妹だった。幼い頃より二人には聖女の加護が宿っていると教会から告げられ、長女のシンシアのことを将来の王妃候補として皆、敬ってきた。
聖女の力は二十歳の誕生日に発動すると言われ、今年がその年であった。
しかし、いざその時を迎えると、無情にも二人の運命は、両極端に分かれた。
妹のランナには大地に恵みと癒やしをもたらす、本来の聖女の力が発現したのに対し、姉のシンシアには相反する《炎》の力、つまりは相手を蝕むような攻撃の力が宿ってしまったのだ。
「シンシア、お前の力では人々を癒やすことも、大地に恵みをもたらすことも出来ぬ。ましてや人を攻撃するなんて、以ての外だ。これではまるで《悪役聖女》ではないか」
デューク殿下の言葉に、誰もが息を呑んだ。
シンシアは唇を噛みしめ、俯いた。否定の言葉は喉まで込み上げたが、たとえ告げたとしても真実を覆すことはできなかっただろう。
この国において、王妃に求められるのは《聖女の力》ただ一つ。十年前に亡くなった王妃以来、聖女の不在が続いていたこの国では、次の聖女の誕生を心から待ち望んでいたのだ。
「分かったら、さっさとこの場を去ってくれないか」
冷たく言い放つデューク殿下の瞳には、もはや情の欠片もなかった。
「シンシア、お願いだから大人しく屋敷へ帰って」
「お母様まで……そんな……」
「いいから、早く帰りなさい」
「お父様も……?」
答えはなかった。ただ沈黙がすべてを物語っていた。
「……分かりました。従います」
そう言ってシンシアは静かに一礼し、王城を後にした。
その背を、黙したまま見送るランナの心には、ひそやかな勝ち誇りがあった。
『これからは私が主役。今までお姉様ばかりが称えられてきたけれど、もう終わりよ』
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馬車に揺られながら、シンシアは窓の外を見つめていた。
灰色の雲が垂れ込め、遠くで雨が降り出している。
「どうして、こんなことになってしまったの……?」
誰に問うでもなく、かすかな声が零れ落ちる。
だが答えなど、どこにもなかった。
王妃教育に費やした年月、信じてきた未来、そのすべてが音を立てて崩れ去っていく。
『屋敷に戻っても、お父様とお母様に責められるだけ……どうせ追い出されるなら、自分から出て行ったほうがましだわ』
唇に苦笑を浮かべ、彼女は静かに呟いた。
屋敷に戻ると、シンシアはわずかな金貨と最低限の荷物をまとめ、夜明け前にそっと扉を出た。
『三人は暫く王宮で、お祝いのパーティー三昧ね』
私は行くあてもないまま、未だ薄暗い道を一人歩く。
『……そうだわ。王妃教育で隣国の言葉を習っておいて良かった。あの国なら、誰も私を知らない……静かに暮らしていけるかもしれない』
その言葉を胸に、シンシアは顔を上げ、隣国を目指し、歩き続けた。
冷たい風が頬を撫で、遠くに朝焼けが滲む。
『そろそろ夜が明ける頃だわ』
と呟き、彼女の新たな旅路が、今、静かに始まろうとしていた。




