残照
俺と須加田は、廃工場を使った佐藤の隠れ家にいた。
誰も引取り人の居ない佐藤は葬儀もやらず、火葬だけをしたのだった。役所への各種届け出は、須加田が行った。
火葬場には、俺と須加田と俺は初対面の松戸だけが立ち会った。火葬場の職員だけの読経もない質素な火葬で、それがかえって佐藤らしい。
『神はいない。死んだらそこで終わり。天国なんかない。地獄もない』
それが、奴の信条だった。
火葬場の煙突から、うっすらと煙がたなびき、突き抜けたように青い空に消えてゆく。冬の晴れた日、佐藤は骨になってしまった。
その足で、俺と須加田は廃工場に来た。この場所は、佐藤との付き合いの長い須加田も知らない隠れ家で、佐藤の心臓部とも呼べるものだ。
なぜ、佐藤が俺をここに導いたのか、資料を整理していてわかった。
震災孤児となった佐藤を引き取った岩手の家庭には、佐藤より年下の男児がいて、その男児が俺とよく似ていたのだった。
佐藤の弟は、あの震災で亡くなっていて、佐藤からしてみれば、弟が生き返ったかのように思えていたのだろう。
公園でチンピラに殴られていた佐藤を思い出す。
佐藤は俺を見て驚いた顔をした。そして、すぐに自嘲の笑みを浮かべたのだった。弟が生き返ったかと思ったのだろう。そして、すぐにそんなことは有り得ないと思い直したのだ。
だが、やり直すチャンスを得た。佐藤はそう考えたのかもしれない。だから、俺に金を渡して、俺が俺の夢をかなえる足しにしたいと思ったのだろう。俺は佐藤にとって、失った家族の代替品だったのかもしれない。
これらは、皆、俺の想像にすぎない。佐藤は居なくなってしまった。真相はどうだったのか、永久に聞くことはかなわなくなってしまった。
キャビネットに隠してある資料は膨大なものだった。ほとんどが強請に使った資料だが、一番古い資料だけは違った。
丹念な取材を重ねた違法建築に関するルポルタージュだった。
耐震基準の偽装を扱っていて、2度の震災で2度も家族を亡くした佐藤の怒りが詰まったものだ。それは、須加田が引きつぐことになった。
佐藤は強請った相手から「ハイエナ」と蔑まれていたが、そのルポルタージュはハイエナと呼ばれた彼のジャーナリストとしての誇りの残滓だ。
闇を覗き続ける覚悟がなかった俺より、佐藤に惚れていて、もしも佐藤が闇に沈むなら、躊躇いなくそこに飛び込むであろう須加田こそが、それを持つのにふさわしい。
最後は、隠されていた金だ。通帳を調べると、定期的に寄付が行われていて、法人口座だったことから、須加田が調べたところ、震災孤児を預かる孤児院だということが、分かった。
俺は、残された全ての金を持って岩手に飛び、その施設の責任者と会った。海が見える丘の上にあるカトリック教会の付属施設がそれだった。
残照に赤く冬の海が染まり、キラキラと光っていた。佐藤は、岩手の家族に引き取られるまでの短期間、この孤児院にいたことがあったらしい。
少年だった佐藤は、何を思いながらこの夕焼けの海をみていたのだろう。
あの昏い炎は、もう佐藤の目に宿っていたのだろうか?
孤児院の経営者と会った。ボランティアでここの経営を担う、教会の信者さんだった。
俺は、彼にもう寄付が出来ないことを話し、最後の寄付となる現金の詰まったバッグを渡した。
「あの、これは、いったいどなたからのご寄付だったのでしょうか」
孤児院の経営者が、俺に問いかける。
佐藤は匿名で寄付を続けていた。今更、名乗るのは彼の希望するところではないだろう。
だから、俺はこう答えた。
「誇り高きハイエナです」
(了)
『ハイエナの誇り』これにて終劇であります。
挫折しかけた時、絶妙のタイミングでお声をかけてくださった飛狼様は、この作品の大恩人であります。この場をお借りして、改めて感謝申仕上げます。
また、読んで下さった方やブックマークをして下さった方にも感謝申し上げます。
毎日投稿&完走させるという目的が果たせて良かったなぁ。
感想などお聞かせ下さると喜びます。
腕試しだったので、手厳しいご意見でも泣きません(多分)。糧にします。




