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死体

 洗濯機の中には、脱水されたままのくしゃくしゃになったシャツと下着があって、結局もう一度洗濯機を動かす羽目になってしまった。

 朝のジョギングは今も続けている。おかげでだいぶ体が軽い。ぜい肉もかなりそぎ落とされたようだ。もともと、減量に苦しむタイプではなかったけれど。

 今日は、トラックと小型のシャベルカーを受け取り、平という名の造園業者と合流する。それで、埋められているはずの死体を掘り返しにいくのだ。

 ジョギングから帰ると、洗濯機は脱水を丁度終えていて、俺は洗濯物を干す作業をしてから、シャワーを浴びた。

 鏡は見ない事にする。闇の住民の仲間になる覚悟ができていないし、負け犬の哀れな顔をそこに見るのが怖い。

 俺はこんなに弱かったか? そんな事を思う。多分、弱かったのだ。そして無知だったので何が怖いのかわからなかったということだろう。多少、知恵がつくと、何が怖いかがわかるようになるものだ。

 駅に向かうサラリーマンに混じってコンビニエンスストアまで歩き、サンドイッチとサラダと牛乳を買う。

 気温は低かったが、良い天気ではあるので公園で食べるのもいいかと思ったが、不審者と思われる可能性があるので、やめにした。

 世知辛い世の中になったものだが、警戒心をもって暮らすのは結構重要なことなのだと、俺はこの数日間で知らされている。

 思ったほど、日本は安全じゃないし、物騒な連中だって存在する。

 俺たちはそれを見ようとしていないだけで、見えないから存在しないと思い込むのは愚かなことだ。


 佐藤とは、上野駅で待ち合わせすることになった。俺は東京と千葉の境目に住んでいるが、俺の生活圏に上野がないので、あまり馴染のない駅だった。考えたら、小学生の頃に遠足で来て以来だろうか?

 ここで、スーパーひたちという特急に乗って水戸まで行く。俺は、初めて乗る電車だ。日立まで行くからその名前が付いたのかと思ったが、実際はいわきまで行くらしい。水戸まではノンストップで1時間ほど。水戸は遠いと思っていたが、案外近い。

 切符は、例によって佐藤があらかじめ用意してくれていた。今日、佐藤はさすがにラフな格好をしている。登山に行くような恰好なのだが、なんだかちぐはぐな印象で、まるで似合っていない。痩せているからだろうか。それとも、見慣れた、キャンバス地のショルダーバッグではなく、ナップザックを背負っているから違和感があるのだろうか。

 俺は、いつもの軍用パーカーとカーゴパンツ。足回りは山に入ることを考えて、ジャングルブーツにしていた。セーターと雨具は小型の背嚢に丸めて押し込んである。

「水戸で、平っていうやつと合流する。そこからは、トラックで移動だね。 途中で、小型シャベルカーを積んでいくよ」

 段取りは、佐藤が組んだ。俺は護衛兼助手としてついてゆくだけ。あまり役に立っているとは思えないが、前金で1ヶ月分の給料をもらっているし、この仕事の収入の40%が俺の収入になる。

 好条件すぎて申し訳なくなるくらいだ。

 がらがらで誰も乗車していないグリーンカーで、佐藤は俺にGPS装置と地図を見せた。ダウンロードされた二百分の一の地図だ。

「GPSの座標は、この地点だ」

 地図に×印がつけられている。何もない山の中だ。

「市販のGPSだと、最大で5mくらいの誤差が出るのだよ。だから、土地を区画するのに三角点を使ってわざわざ測量するわけだね。まぁ、某国では土地区画にGPSを使ってひどい事になったみたいだけど」

 けくけくと佐藤が笑う。

 たしかに、GPSで土地区画は乱暴な話ではある。

「GPSで15m四方にポイントを絞ったら、今度はメモにあった目印で更に場所を絞る。出来れば5m四方ぐらいに絞りたいね。あとは、シャベルカーの出番さ」

 死体を見つけにゆく。まるで、少年たちが主人公の古い映画のストーリーのようだ。

 だが、その死体は列車事故の犠牲者ではなく、理不尽な暴力で、理不尽に殺された老人の死体なのだ。

「そろそろ、水戸みたいだよ。降りる準備をしないと」

 まぁ、ちょっと考えれば、死体を見つけに行くことに何の感慨もない佐藤は、クリスじゃないし、俺はゴーディーじゃない。死体もレイという名前の少年ではない。

 上野から1時間しか電車に乗っていないが、水戸駅は寒かった。

 まるで空気の冷たさが違う。茨城を含む関東沿岸部には「筑波颪」という寒風が吹く。

 筑波山を吹き下ろす風に関係なく、冬に吹く乾燥した冷たい風をそう呼ぶらしい。空気が澄んで、何処からでも筑波山が見えるからそう呼ばれるという説もあるそうだ。

 駅の改札を出る。おんぼろのトラックが1台、駅前の有料駐車場に停車していた。その運転席から、一人の男が降りてくる。日に焼けた、いかにも野外で活動しているという外見の男だった。

 背は、俺と同じくらい。体重は、俺の3割増しというところだろう。髪は短く刈りこんでいて、額がやや禿げあがっている。この男が、平だろう。

「久しぶりだなぁ。剃りこみが天然になったのではないのか?」

 そんな軽口をたたきながら、佐藤が握手を求める。平は手を出さなかった。佐藤はしばらく手を差し出したままにしていていたが、やがてパタリと下に降ろした。

「借りは返したはずだぜ。俺は二度とてめぇのツラを見たくねぇんだ」

 詳しい事情はわからないが、きっと佐藤が悪いに決まっている。須加田も平という男に同情的だったし。

「我々の間に友情はもうないのか?」

 悲しげな顔をして、佐藤が嘆く。嘆いている演技かも知れないが。

「はなっから『友情』なんざ、ねぇ」

 吐き捨てるような平の言葉を聞いて、けくけくと佐藤が笑った。やっぱり演技だった。

「そういえば、そうだったね。では、ビジネスといこう」

 佐藤は平を有料で雇う事にしたようだ。平もこの不景気に造園業などをやっているのだから、副業は望むところだろう。

 日当10万円で決着がついたようだ。平にレンタルさせたトラックとシャベルカーは平が立て替えて払い、佐藤が日当とは別にその代金を補填することに決着する。

 ここで、改めて平は俺に向き合い、自己紹介をした。俺には、自ら握手を求めてきた。握った平の手は、ゴツゴツと節くれだっていて、真面目な労働者の手をしていた。

 トラックの運転席には平が座った。トラックは仕事柄、転がし慣れているし、水戸は地元で土地鑑があるから。

「うちの会社のトラックとシャベルカー使えばよかったじゃねぇか」

 平はそう言ったが、佐藤は首を振った。

「君の会社のロゴやナンバーが割れたらマズいんだよ。レンタルも偽名を使っただろうね?」

 平が頷く。そのあたりを疑問に思わないということは、彼は佐藤の仕事の内容を知っているということ。

 危険を承知で佐藤に協力しているのだ。

「いいかげん、足を洗ったらどうだい? いつまでも、綱渡りみてぇなことしてないでよ。俺の会社で、雇ってやろうか? 安月給でこき使うけどな」

 平の口は荒い。だが、本質的には人情味のある男のようだ。

「いや。もう遅いよ。私は既に引き返せないんだ」

 佐藤が前方を見つめたまま言う。俺からは佐藤の目は見えなかったけど、きっとあの昏い目をしていたのだろう。

 それきり、佐藤はしゃべらなかった。

 平も口を噤んだ。

 重苦しい沈黙がトラックの運転席を支配していた。

 重機をレンタルする会社に立ち寄り、小型のシャベルカーを荷台に積み込む。

 まるで、玩具のように小さいシャベルカーで、よく狭い道路などの工事で見かけるタイプのものだ。

 佐藤は、平が荷台にシャベルカーを積んでいる間、レンタル会社のロゴがペイントされている部分にガムテープを貼って隠していた。

 誰かに死体捜索の作業を目撃された時、重機レンタル会社から足がつくのを警戒しての事だろう。

 市街地を抜け、トラックは郊外に出た。水戸は大きな街とはいえ、地方都市の常で、郊外に出れば田園風景になる。那珂川を遡行するようにして1時間も走ると、山の気配が強くなる。

 廃道かと思わせる程荒れた県道があり、それをどんつきまで進むと、簡単な柵があり、立ち入り禁止の文字が見えた。

 俺はトラックを降りて、その柵を脇にどかした。佐藤は路の脇の泥をこねてトラックのナンバープレートにぬりつけている。

「何やってんだ?」

 平が佐藤に言うと、佐藤は

「念のためだよ。念のため」

 と言って、ペットボトルの水で手を洗った。見たところ監視カメラはないし、杞憂だと思うが、佐藤の用心深さは習性のようなものだ。

 舗装された道はしばらくすると終わり、道は林道になった。

 トラックがスタックしないように、平の運転は慎重になった。それでもトラックは左右に大きく揺れる。時化た海の船の様に。

 運のいいことに、トラックはGPSが示した現場のすぐ近くまで入ってくることが出来た。金田たちも、死体を車で運んだだろうから、トラックでも行けるのではないかと、俺たちは推理していたが、その通りだった。

 ここで、佐藤は平に、なぜ穴を掘るのか説明しようとした。平は、それを身振りで止める。きっぱりとした拒否だった。

「勘弁してくれ。俺は、何も知りたくない。穴を掘ってくれと言えば穴を掘る。それ以上でも以下でもないぜ」

 平の判断は正しい。

 知らなければ、何があっても「知らなかった」で通すことが出来る。危険な者を相手にするときは、余計な情報を持っていないに限るのは、鉄則だ。

「わかった。その方がいいだろうね。では、場所を特定するから、君はシャベルカーの準備を頼む」

 佐藤はそう言って、俺に竹箒を差し出した。

 佐藤も1本それを持っている。

「さぁ、死体探しを始めよう」


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