覗闇
東京駅についた。駅には須加田がいて、佐藤を見て顔を輝かせた。キツい女だが、この時ばかりは少女のようだった。
しかしまぁ、これだけわかりやすい反応を見て、佐藤は何も気が付いていない。須加田も報われない女だ。
「ちょっと早いが、夕食がてら報告会としよう」
東京駅の中にある中華料理の店に向う。個室があるのが、この店だけだったから。数日一緒にいてわかったことだが、佐藤は健啖家ではあるが美食家ではない。食べられるものでエネルギーになれば、何でもいいというタイプだった。
俺も、食にはこだわる方ではないが、佐藤は極端だ。
須加田の捜査はプロだけあって、完璧に近い。徳山の写真、金田の写真、安東の写真、その経歴や交友関係、立ち寄り先や行動パターンなどが、分かりやすくレポートにまとめてあった。
「星本の分がないね」
佐藤が機械的に出された料理を口に運びながら、レポートを見て言う。
「星本は、暴行と傷害で実刑くらってブタバコ行き。だから、省略」
佐藤に負けぬ健啖家ぶりを見せつつ、須加田が答える。
「大阪はどうだった?」
須加田の問いに、佐藤が大阪での出来事を話す。荒事師に拉致されたことは伏せていた。余計な心配をさせたくないという心遣いくらいはあるのだろう。危うく殺されるところだったのだ。須加田が聞いたら心配のあまりどうにかなってしまうのではなかろうか。それより、護衛として役立たなかった俺は、ぶん殴られるかもしれない。
「噂以上に、徳山は危ない男ね」
須加田の顔が曇った。佐藤が心配なのだろう。
「6年前で既に3件の事件を起して、4人を殺害している。たった2年間でこれだ。今はもっと手口が洗練されているだろうし、エスカレートもしているだろうね」
須加田の心配をよそに、佐藤が肉団子を箸で刺して、かぶりつきながら言う。佐藤の行儀が悪いのは今に始まったことではない。
「徳山の会社では、木村逮捕のあと6人死んでいるし、これが故殺なら最低10人は死んでいることになるわね。で、どうするの?」
佐藤は、死体を発見することについて、須加田に説明した。直接的な打撃を与えることは出来ないが、徳山がやっていることを暴く発端にはなる。
「ええ? また、平ちゃん使うの? もう、彼、借りは返したでしょ?」
造園関係者は平というらしい。過去、佐藤とは因縁があって、佐藤は平という人物に貸があるようだ。佐藤の事だ、便利に使っているのだろう。
「そうそう、松戸さんは元気かい?」
仕事の話はこれまでとでもいうように、佐藤が話題を変える。そういえば、須加田の会社は、『松戸&須加田エージェンシー』だった。須加田と松戸という人物が経営者だということは、何となく分かる。
「相変わらず、趣味に没頭しているわ。あいつの趣味のために私が稼いでいるみたいよ。まったく」
須加田が大げさにため息をつく。佐藤はけくけくと笑った。
「それでは、可哀想な君のために、今日までの料金を支払いましょう。請求書をお願いします」
佐藤がそう言い終わらないうちに、須加田のスーツの内ポケットから封筒が出る。中身は請求書だった。金額は80万円。興信所というのは、儲かるのだなぁと思ったが、相場はもっと高いらしい。浮気調査などでは4人体制で尾行したりすれば、5日間で100万円もかかかるそうだ。
佐藤は、ずっと持っているキャンバス地の肩掛け鞄から札束を出し、そこから20枚を抜き取って、須加田に渡す。
「まいど」
須加田はそれを押し頂くようにして、封筒に入れてハンドバックに入れ、領収書を出す。
「引き続き、徳山の周辺を探ってほしい。危険な相手なのだから、無理はしないでほしいね」
俺は久しぶりに家に戻った。たった1週間いなかっただけで、俺の部屋はまるで他人の部屋の様に思え、そして黴臭い気がした。
空気を入れ替えるため、寒いのを我慢して窓を開ける。そして、持ち帰った洗濯物を洗濯機に投げ込んで洗剤を入れ、スイッチを入れる。
あとはそのまま脱水までやってくれる。俺は大阪滞在中、ずっと手でシャツや下着を洗濯していたので、この機械がいかに便利かを半ば忘れていた。
素晴らしい発明だよ。洗濯機は。
冷蔵庫を開ける。ミネラルウォーターが2本あるだけ。何もない冷蔵庫。 何もない部屋。そして俺は空っぽの人生だ。
佐藤と行動するのは、楽しかった。まるで探偵ごっこのようでわくわくした。だが、それも、木村に会うまでだ。死ぬと分かっていて、その背中を押したのは本当に気分が悪い。
メモが正しいなら、木村は直接的に一人、間接的に二人も殺している。自業自得と言えばそれまでだが、運命の裁き手は人間ではいけないような気が俺にはするのだ。
もっと大きな存在。そう、例えば神のようなものにゆだねなければいけないような気がする。
「神など、何処にもいない。私はその存在に何度も祈ったが、そいつは、私から何もかも奪っていっただけだったよ」
と、佐藤は言っていた。
佐藤は最初の震災で、両親を。2度目の震災で、養父母と弟を失っている。その絶望は俺には想像が出来ない。
佐藤の根底に流れるどす黒い感情の一つは、この絶望と怒りだ。
「振り上げた拳をどこに落としていいのかわからない」
そんなことも佐藤は言っていた。
がたがたと鳴る洗濯機の音を聞きながら、埃っぽい畳のうえに寝転がる。 一度雨漏りしてからずっと染みになっている天井が、差し込む月光で漂白されて見えた。
佐藤は、割り切ることが出来る。木村を騙すことも、馬鹿な新井を手玉に取ることも、全く躊躇いを見せなかった。
そんなことは、俺には無理だ。今でも、あんなクズで人殺しの片棒を担いだ木村でも、死地に向けて背中を押してしまったことを、悔やんでいる。
たった一つだけ、俺が佐藤をまだ単純な『悪』と断ずることが出来ないでいるのは、佐藤が相手をするのは悪党ばかりという事実。
佐藤の詐欺師ばりの才能を持ってすれば、小さいリスクで金を毟り取れるはずだ。堅気の人は、チャカを持ち出したり、刃物を振り回したり、尾行して暴行したり、待ち伏せしてスタンガンを押し付けたりしないのだから。
線引きがある。佐藤の中には一定の掟があって、その掟に従って狩りをしているのだとしたら?
佐藤の昏い目。それは、闇を覗いた目。昔の哲学者は、「闇を覗くとき、闇もまたこちらを覗いている」と言ったそうだ。
大東さんの昏い目。
国分の昏い目。
関西弁のスタンガン男も同じ昏い目をしていた。
俺はどんな目をしているのだろうか?鏡を見ようとしてやめた。俺には、闇を見続ける覚悟がない。素人相手に粋がるチンピラみたいなものだ。
佐藤には、何時かきっとついていけなくなる時が来る。それは、案外早い段階で来るのではないかと、俺は思っていた。
疲れていたのか、俺はそのまま眠ってしまった。悩まされてきた不眠症はいつの間にか治っていて、大阪滞在中も良く眠れたのだった。




