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暗夜

 「君が私を信じるか信じないかは問題じゃない。生きて外に出たければ、私に賭けるしかないのだよ。誰も君を必要としない。例外は新井さんだけ。だけど、彼女にはサメの群れの中を泳ぎ切る力がない。しかし、私は現時点では君を必要としている。私は君が持っている情報が欲しくて、その対価に君の逃亡のための道筋を作ることが出来る。ギブ・アンド・テイクさ。君にとって、私は最後のチャンスだよ」

 木村は追い詰められている。佐藤はそんな木村を脅して、同時に救済の手を差し出している。これはまるで新興宗教が信者を洗脳する技法だ。

 昔、大規模なテロを起こした宗教団体が使った方法論と同じである。

 「まもなく、30分だ。それが、タイムリミット。これが過ぎたら、交渉決裂。二度とチャンスは無い。決断したまえ」

 木村は、その目つきを見るまでもなく、猜疑心の塊だ。今すぐにでも骨折地獄から抜け出したいと思っていても佐藤を信じることが出来ない。そこに木村の葛藤がある。

 もしも、時間がたっぷりあるなら、何度も説得を繰り返して信頼関係を築くという方法もあった。

 だが、我々には時間が無い。荒事師たちに、アドバンテージをもらっている状況で、一週間以内にケリをつけると約束してしまった。

 木村は手首の骨折が治癒し、筋肉を戻すリハビリが終わった時点で、ここを出るか、新たに怪我をするかを選択しなければならない。どこかしらに激痛を抱える毎日。考えてみれば、まるで地獄だ。

 「君が何を考えているか、よくわかるよ。私たちに情報を渡した瞬間に、私たちが君を見捨てるのではないかと疑っているのだよね。当然だよ。私が君の立場ならそう考える」

 木村は、佐藤を縋るような目つきで見ている。完全に佐藤のペースだ。だが、面会時間も残り少ない。そろそろ決着をつけないとまずい。

 「こうしよう。私が、君の逃亡を見届けるまで、情報を得ることは出来な様にしようではないか。君に万が一のことがあれば、私は君から情報を貰えなくなるので、必死に君の逃亡を助ける。つまり、情報が人質ということだね。どうだい?」

 必ず木村はこの提案に乗る。俺は見ていてそう思った。会話の内容だけ見れば、佐藤は大したことを言っていない。だが、佐藤のもつ独特の雰囲気や口調、緩急をつけた語り口、そうしたものを総合すると奇妙な説得力を生むのだ。特に、闇を覗き込んだことがある者は、つい引き込まれてしまう。

 俺は、闇ともいえない黄昏の中にしかいないが、佐藤のペースに引き込まれる奴らの感覚はなんとなく分かる。

 「助かるのか? 俺は?」

 うっすらと涙さえ浮かべて木村が言う。

 「必ず助かる。君は私が作ったプランに従って行動すればいい」

 木村の縋るような言葉に佐藤が断言する。呆れたことに、木村は佐藤を信用することにしたようだ。

 しかし、佐藤は、木村を荒事師たちに売るつもりだ。その結果、木村は多分、死ぬ。

 そのことに、佐藤は何の罪悪感がないらしい。まるで子供のように無邪気な残酷さ。度々佐藤から受ける、まるで異形の化け物と対峙しているような怖気の原因はそれだ。

 佐藤の提示したプランは単純だ。

 『木村は、こっちが欲しい情報を紙に書いて自分の体のどこかに隠し持つ』

 『出所と同時に出入り口に佐藤はタクシーを用意し、新井と待機する』

 『あらかじめ、沖縄行の航空券とパスポートを用意し、関西空港に向う』

 『新井を介護役にして飛行機に乗る。情報を書いたメモはコインロッカーに入れる』

 『無事飛行機に搭乗することが出来たら、コインロッカーの鍵を佐藤に渡す』

 『那覇空港から、石垣島に向う』

 『石垣島から新発航運の国際航路船に乗り、台湾へ』

 ざっとこんなプランが佐藤から提示されたのだった。

 普通の心理状態なら、こんな馬鹿げたご都合主義のスパイ小説もどきのプランには乗らない。

 このプランのキモである、国際航路は、貨物船で旅行客は乗せないわけだし。

 だが、追い詰められている木村はそれに乗った。切迫した者は自分の見たいものしか見えないものだ。

 「よろしい。勇気ある決断だ。情報提供料として、当面困らないだけの代金を新井さんに預ける。航空チケットや船のチケットはこっちが負担しよう。細かい段取りは新井さんと行うことで、よろしいか?」

 佐藤が畳み込む。気が変わらないうちに約束をとりつけ、既成事実を作ってしまおうということだろう。

 面会時間終了が迫っている。木村は、涙を流して佐藤に感謝していた。まさに、新興宗教が信者を獲得した図に似ていなくもない。佐藤は、差し出された木村の手を取って、ほほえみを浮かべている。

 「では、部屋に戻って、記憶を探ってくるんだ。私が欲しい情報は、徳山の情報。君は3件の事案に関わっているはず。それを、思い出せるだけ全て書き出してくれたまえ」

 木村は、徳山の名前を聞いた瞬間、陶酔状態から冷水を浴びせられたかのように、醒めたようだった。

 「だんな、佐藤のだんな。徳山はまずいよ。やめた方がいいぜ。あいつは危険すぎる」

 木村から感じ取れるのは、恐怖。そして嫌悪。

 「心配してくれて、ありがとう。だけど、私は大丈夫だよ。君も台湾に逃れるわけだから、安全さ。航空チケット購入は、現金で行うから足もつかない」

 佐藤の言葉に、木村が納得したのかどうかは分からない。しかし、木村だけは安心だという点が、情報提供に踏み切る重要な因子になったのは間違いないだろう。

 「はじめに断わっておくが、俺は徳山に命じられてやっただけだからな。やらないと、どんな目にあわされるか分からないから、仕方なくやったんだ」

 何も俺たちに見せないうちから、言い訳をしている。娑婆と刑務所を行ったり来たりしている木村のような悪党をして、こうも怯えさせるのは一体どんな事実なのだろうか。

 「わかっている。君は被害者だよ。君は悪くない」

 佐藤が優しく言う。本気でそんな事は思っていないだろう。佐藤は木村が言ってほしいことを察して、それを口から出しているだけだ。

 木村の目が歓びに輝いていた。福音を授かれれた使徒の様に。

 そこで、時間が尽きた。木村は、こっちの言うとおり動くだろう。とりあえずやるだけの事はやった。

 こっちが優位に事を進めることが出来た。ただし、条件はこっちが圧倒的に不利だ。木村が正直に情報を書かない可能性がある。

 「構わないよ。木村が裏切っても徳山攻略のルートが一つ消えるだけだし。また次の糸口を見つけるさ」

 佐藤は、そう言いながら、ポケットからハンカチを出して丹念に手を拭っていた。木村の手は、汗でびっしょりだったそうだ。


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